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餃子づくり=体育(器械運動系編)③

餃子づくり=体育(器械運動編)② の続きから読みたい方は
☆【続】の部分からお読みください

自己紹介を兼ねて体育語り

自己紹介

小学校で先生をしているysuke(わい、すけ)と申します。
「y(わい)は、suke(すけ)と言います」という自己紹介と、
みんなが
毎日を「わーい!(y)」と楽しく過ごすための
「助っ人(suke)」になりたいという思いを込めて
ysukeと名乗っています。
一番、興味があることは、体育なので
体育の授業で使えそうな「考え方」を中心に
Xで発信しています。
興味がある人は、フォローしていただけたらうれしいです。

「餃子づくり=体育」の考え方

ある日、息子達にと一緒に餃子をつくっていたら、
体育に似ているところあるなぁとふと思いました。
どこが、どのように似ているか
何を感じたかを語りながら、
自分の体育観を言語化し、それを自己紹介としようと考えました。
餃子づくりの場面を交えながら、
体育授業のつくり方を考えていけたらと思います。

個人的な考えになります。
このnoteが誰かの考えの「助っ人」になっていたら
最高にうれしいです。

バックナンバーたち 

↓これは「餃子づくり=体育」の背景について簡単に語ってみてます↓

この記事を読むために書いた前提の話たち
餃子づくり=体育(器械運動系編)①
「あなたは、この自称餃子(前転)を餃子(前転)して認めますか?」

この記事を読むために書いた前提の話
餃子づくり=体育(器械運動系編)②
「子どもの『恥ずかしい』意識をつくるのは誰?」

よければ、読んでいただけたらと思います

②の続きから読みたい方は☆【続】の部分からお読みください


一言で、器械運動系ならではの学びとは?

⇒回転のコントロール

 器械運動系の内容を
 ざくっと
 マット・鉄棒・跳び箱としてみると
 すべて「回転」について学んでいると言えます

 マット上で、回転のコントロール
 鉄棒上で、回転のコントロール
 跳び箱を越えるときに、回転をコントロール

 全部「回転」です

⇒評価について

 回転のコントロールがアップデートされていれば、
 知識・技能は、○
 これを見取るためには、
 先生が一人一人の子どもの現在地を知るために工夫する必要があります

☆【続】具体的に話す!マット編

 ②の続きになります。

色々な状態の子どもがいるのは、当たり前!?

「できる子」と「できない子」が混在?

 前転の見分け方を理解し、(教材研究・・・【器械運動系編①】)
 先生の在り方について考え、(心構え・・・【器械運動系編②】)
 「よしっこれでいける!」と意気込んで単元をスタート!
 
 「あれれ、思った通りに行かない…」
 体育の授業を行ったことがある方なら
 一度は、経験したことがあるのではないでしょうか?
 
 特に、器械運動系の領域は子ども同士の技能差は大きく、顕著・・・
 つまり、学級内の「技能の差」問題に直面するのです
 
 この問題に対して、3つの考え方で対応したいと思います

 以下、前転を取り扱う授業を想定して考えています
 特に特別な場は必要なく、短マット1枚につき、2、3人で
 活動するイメージ。
 時に、マット2,3枚をつなげて長マットにすることも

➊ 回転のコントロールに着目しちゃう「問い」

 「自分の身長より短く(長く)前転できますか?」
 ぱっと言われると即答できないような問い・・・
 このように問いが面白ければ、思考(感情)が刺激され、
 「やってみたい!」が発生!そうなれば、こっちのもの 
 問いの具体は、こちらから引用させてもらいました↓

 個人差に対応するために
 身長の2分の1や2倍・・・と条件もどんどん厳しくしていくことで、
 みんなが楽しみながら前転?を試すことができます
 二人一組で短めのマットを使い、相手に背の高さの辺り立ってもらっい、 
 やってみても面白いです(行っている子の足が当たらないように注意)
 と同時に、先生は一人一人のできる/できないを把握していきます。
 イメージは、短マットに2、3人いて、一回行ったら交代

❷ 一斉指導で、色々な前転(前転がり)を体験させる

  面白い問いも、よいですが、
  私は、「変化のある繰り返し」を大切にします
  回転がある動きに少しずつ変化を加えて
  どんどん紹介し、行わせていきます
  まずは、寝返り・・・
  その後、横転がり・・・
  大きな前転(歩きながら前転とする)を目指して。
  頭や手の接地方法を変化を加えたり・前転の前後に動きを入れたり・・・ 
  もし、難しいという子がいたら、
  「今まで行ったものの中でやりたいものをやっていいよ!」
  と伝えておきます
  全員ができていても・できていなくてもスピーディに
  どんどん行い、どんどん進む
  先生は、動きを変化させる視点をどんどん伝えていくことが大事
  もはや、
  マット運動が苦手だろうが、得意だろうが、もう他の子の視線を気にし
  ている場合ではなくなると思います。それくらい「どんどん」です
  イメージは、短マットと2、3枚つなげて、長くし、一方通行で
  指示された動きをどんどんやっていく感じ

❸ やさいしい場を設定する

  とにかく、「痛い」「怖い」「恥ずかしい」を排除する
  痛かったら、子どもはやらない
  怖かったら、大人でもやらない
  このことを肝に銘じて
  身体的苦痛の少ない場づくりを行いたい
  セフティマットの上で前転するとまったく痛くない
  「痛み」「怖さ」をとるところから授業改善を始めたい
  そして、
  精神的苦痛は、人からの評価によるものが多い
  技の習得から、回転のコントロールの学ぶこと。
  自分自身を回転をアップデートすることに視点をもっていくことで
  できないから「恥ずかしい」感は少しずつ薄まっていくと考えます

❹ ❶で把握❷で確認❸で寄り添う

  ❶への取組の様子から
   技能の獲得状況・学級の雰囲気を見取る
  ❷で何に原因があるのか、先生が見て分析しておく
   ついでに、活動の様子から
   全体に聞く「問い」個人の「問い」を考える
   ちなみは、❷は準備運動としても優秀なので、
   自分の現在地をつかむヒントになるよう、説明でも使用する
  (共通の体験と子どもに上限の解放と最低限の明示の際、役立つ)
  ❸は、❶❷を踏まえ、子どもの思いが達成できるように
   考えてモノを配置する。
   順次、変容していく取り組む内容に合わせ、場の調整を続けていく

 といった感じ

 そして、忘れてはいけないのが「できる」ようにすること
 「小学校学習指導要領解説 体育編」にも、その学年に合った
 動きが示されているそれを参考に、単元を組み立てておきたい

小学校学習指導要領解説 体育編 175ページより

https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/03/18/1387017_010.pdf

ここに記載されている動きが、技能としての◎の最低基準であることは
間違いないと考えます

★ 主体的・対話的のためにも、最低限の確保が必要

 マット運動は話し合っても、動画を見てもできるようになるとは
 考えにくい。やはり、体を動かしてこそ、高められると考える
 この前提の部分を、子どもに委ねる場合があるが、残念ながら
 圧倒的な経験を全員の子どもが、自分で考え、確保することは難しい・・・ 
 
 主体的・対話的は「回転力アップ」の後
 
先生が確保した「回転力アップ」のための時間は
 たくさんの共通経験として、
「共通言語」や「共通の視点」を生む
「共通言語」や「共通の視点」を使える段階に来て
 初めてその学習の主体的・対話的が機能し、
 深い学びにつながっていくと私は考えます
 学習量は、どの領域でも絶対に確保する必要があります

体育に教科書がないのは?

❶ 一人一人に合う課題を設定できるようにするため

 そう考えています。
 ある技の習得をその単元に目標にすると、
 技能差が大きな学級で授業がうまく機能しなくなります
 だから
 回転のコントロールという大きなものを目的にすえる
 そして、
 回転をコントロールする技能が高まれば、
 色々な技ができるようになるという単元デザインを描くことができれば
 技能差に関わらず、マット運動に向かうことができる授業になるはずです 
 
 ちなみに、
 その考え方を基にすれば、
 幼稚園児と小5と中2がともに
 回転のコントロールについて学ぶ授業の
 デザインが可能
になり、実現することができます
 技能差しかない状況でした・・・笑
 中2が園児の転がる様子を見て、「なんで、できるの?」と学び直す姿も
 見られました。非常に興味深かった・・・
 何を問うのか?どのようなモノを用意するのか?子どもの願いは?
 これが本当に大切です
 
 学級内の子ども達に技能差があるのは、
 算数だって、漢字だって・・・何だって同じはずです
 私からすると、算数の技能差の方がどうにもできない感が強いかも・・・
 
 体育も、個人差が前提として設計されている教科
 だから、誰もがアップデートできる内容を学習内容にしないといけない
 
と思っています

❷ 小学校体育に教科書はない

学習内容をどのように子どもに伝えていくのか?

 教科書がないということは
 その授業における学ぶ内容について子どもが
 自分で知る術をもっていない状況であると言える
 だから、
 先生自身がしっかりとその単元で目指す姿をもち
 それ基準にして、指導&評価することが大切です
 それって
 考えようによっては、とても素敵なこと
 先生達に「実態に合わせてね」というメッセージを送っている
 ように感じます
 教科書がないからこそ、できる体育の授業の在り方を考え、
 楽しんでほしいと思います 

改めて、餃子づくり=体育

これは、餃子でしょうか?

❶ 改めて、「これは、餃子でしょうか?」その①

 これを見たとき、餃子と呼ぶべきかどうか悩んだ経験を
 自分が動きを評価するときに似ていると感じた
 みなさんはどう思う?精神で
 今までnoteを綴ってきました
 これを餃子と呼ぶ人もいれば、違うという人もいる
 頭の中にあるイメージが
 お店のおいしそうな餃子だけでは
 子ども達と楽しみながら
 授業なんてできないなぁという思いから
 見切り発車で書き上げました。
 ちなみに、この餃子を「餃子の仲間」と私は呼びます。

これは餃子でしょうか?

❷ 改めて、「これは、餃子でしょうか?」その②

 ちなみに、これは餃子ではないと思います。肉団子ですね
 私は餃子を「餡を皮で包んだもの」と決めているので
 違うと思います。この基準が評価基準となります。
 ただ、実際に子どもが見せてきたら。
 直接、「違う」とは伝えず、
 あと○○が△△になったら、いい感じだね~と伝えます笑

❸ 実態把握こそ、基本→願いを言語化

 実態把握という言葉
 なかなか奥が深いと思います
 何の実態がその授業をする上で大切にしているかは
 人によって違うと考えるからです
 
 私の場合は、
 「その時間の願いは何なのか?」
 この授業に対して、子どもが何を願っているのか?
 この部分をしっかりと把握して授業に臨みたい!
 と思って学習カードへの記述を読んだり、話しかけたりしています
 そのためには、願いを言語化させることは必須です
 ここが分からないと適切なフィードバックはできません
 
 自分の餃子の店を開きたい人と初めて餃子をつくった人に
 掛ける声は違いますよね
 
 その子が目指す姿は何なのか?
 そして、現在地はどこなのか?
 先生は、把握し、成長を見守る必要があると思います
 そうしなくては、
 ほめることも認めることもできない
 その辺りは、「学習カードを白紙」も考え方を載せたつもりです↓

最後に 自己紹介を兼ねて体育語り

なんか餃子づくりと器械運動系体育の授業の考え方が似ているなぁと思い、
見切り発車で書き始めました
ついでに、自己紹介も兼ねて書いたつもりです
体育の授業を
もっと楽に考えてほしいし、自由があるってことを伝えたい
そして、
自分と向き合うことが自然とデザインされているすごい教科だ!
と信じています
だから、
これから、体育は、学校教育のど真ん中に来ますよ~
と思っているのが、私です

どこかで学び取ったアイディアや考え方を
勝手な解釈をつけて、まとめて掲載していると思います
お気付きの点やもっと詳しい何かがほしいがありましたら、
XにDMいただけたらと思います。対応できるものは対応します
(あまり期待はしないでください)
とりあえず、器械運動編はここまでにしようかなと思います

他にも、
体育について知りたいことや困っていることなどがあれば、DMを。
体育であっても自分がうまく言語化できないこともたくさんあります。
もちろん苦手な領域もあります。笑
ただ、いただく視点について言語化していく過程は
間違いなく自分の勉強になるので、ありがたいです。
時間はかかるかもしれませんが
なんとか言語化してnoteにまとめ、
発信という形で返事をしようと思います

Xやネットを見ていると、
具体的でとても素敵な実践がたくさんあります
本当にすごく勉強になります

「本やXのアイディアをどう授業づくりに生かしているのか」
「授業中の先生の在り方」      など、
体育に困る方の「助っ人」的に考えを提供するような
発信ができたらと考えています

また、
気が向いたときに
noteにまとめていきたいと思っています。

ご興味がある方をお付き合いいただけたらと思います。

これからの体育を考えていきたいysukeでした~

体育でしあわせになる方法を学べる子が一人でも増えますように☆

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