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音写真を撮ってみる。
fendoapです。
なぞったり叩いたり、楽器だったら素材が違ったらどんな音がするか。音がしそうな風景の写真を音写真と名付けてみる事にしました。
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グラウンドレコーディング
元々背景としてグラウンドレコーディングという活動を行ったのでグラウンドレコーディングについて軽く紹介します。
>グラウンドレコーディングというのをやりたい。 地面の凸凹を拾って音にするやつ。 フィールドレコーディングは三次元だけど グラウンドレコーディングは二次元的な。 ピエゾを自転車やコロコロにつけたらいけるかな。
>グラウンドレコーディング。散歩だけで録音しなかったんだけど録音しなくてそれを見つけるだけというのもすごく良い感じもする。
グラウンドレコーディングと言いつつ録音はしませんでした。散歩しながら良さそうなものや場所、シチュエーションを考えたり見つけたりしながら移動していく。この行為自体がとても面白いと感じました。こういう視点を持って歩くと景色が変わるというか面白いです。
だんだんグラウンドレコーディング自体が録音する事よりその可能性の場所を発見することに視点が向いてきたのを感じたのでグラウンドレコーディングの拡張でサウンドフォト、音写真としてみる事にしました。
サウンドウォーク
サウンドウォークという活動があります。様々な音に耳を傾けながら外を歩き回るアクティビティです。イヤークリーニングの一環として行う人もいます。イヤークリーニングとは物理的にクリーニングするのではなく聞く能力を高めるために一旦様々な音に耳を傾けることで聞くという事をリセットする行為のようです。
視覚と聴覚
フィールドにおいて視覚的に音を見出す、取捨選択するという事はどのような意味を持ちうるのか考えてみます。聴覚と視覚において見出すこと、発見する事はどのような違いがあるか特性から考えてみます。まず耳について考えてみます。耳は目と違い目を閉じたりふさいだりすること、耳をそらすといった物理的に感覚を遮断することは本来できず、すべての情報が否応もなく入ってくる構造になっています。遮断という取捨選択をとることが出来ないので構造的に入ってきた中から取捨選択する必要があるのが聴覚の、特性かもしれません。このような脳の取捨選択もこのような構造から発生しているかもしれません。
聴覚において遮断、注力というのは物理的にではなく意識、脳内において処理するものであるという特性が一つあるかもしれません。聴覚においてマスキングというのは遮断ではなく別の音への注力によって行われたりもします。騒がしい場所で音楽を聴いて気をそらすことなど音楽を聴くことそのものがマスキングであったりもします。耳を鍛えるというような能力を向上させるという事を考えた場合、筋トレのような物理的なことではなくある種脳内の話になるかもしれません。先ほどのイヤークリーニングもそう考えると納得がいきます。聴覚というのはひとまず全てを受け入れたのちに取捨選択するという構造がある一方で視覚というのは受け入れを取捨選択できる容易性があるかもしれません。
時間性
時間性というのも違いにあるかもしれません。音というのは時間的な変化の中にあります。音は繰り返し再生したりしなければ一定の状態をとどめておくことが出来ません。ある種、建造物や構造物は静止した時間の中にあり、聞き逃したり繰り返し再生しなくても一定の状態をとどめています。
音にはある種、聞き逃してしまうような時間の制約が特にあります。視覚的な情報は音に比べて時間的制約が少ない場合が多いです。映像や写真などとして残すことである程度ゆっくりと情報を確認することが出来ます。眺めるという事の時間性は音の場合に比べゆっくりしているかもしれません。
アフォーダンス
アフォーダンスとは環境が生物に対して与える情報や意味の事をいいます。目の前に橋があるときその環境から強度的に渡れそうか、渡れなさそうか何となく情報を得ます。このような環境が生物に対して与える情報や意味のことをアフォーダンスと言います。音写真はある種、環境の中にある音的なアフォーダンスを見出していこうという行為かもしれません。可能性とか音的に面白いような構造というのを意識してみていくと結構見つかる感じがします。
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それは具体的に鳴ったりしなくても良くて例えば素材が別のモノだったら面白そうとかでもいいかもしれません。例えば素材が金属だったら葉っぱは面白そうとか。
予測性
視覚的な可能性について少し探ります。例えば音は予測性も持ちえます。橋がいずれ崩れそうな音を立てていたらその崩壊を予想できます。そのような予想が音自体から出来るとしたらそれは現象の始まりかもしれません。何かが実際に起こることの初期段階、もしくは延長線上にそのような存在を認識できます。しかし一方で現象の延長線上や動きが実際に起きて音が鳴ってからしか予測することは出来ません。その予測性はある種動きのあるものに限定されているかもしれません。一方で例えばひびが入った橋を見ると、視覚的にそこから将来的な崩壊を想像することが出来るかもしれません。音が出ていなくてもいずれ音が鳴るだろうと予測することが出来ます。これは現象の延長線上ではありますが、動きの無い時間の中でも認識できることに起因します。予測性に限らずある種の想像性や可能性というものを音以外から探ることで範囲を広げるという事はあるかもしれません。
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可能性、現に存在していないという事
必ずしも音写真ではそこに存在する音をとらえません。むしろそこには存在していない音の存在を見出すという事が一つあります。写真を撮るという点ではサウンドスケープも風景を撮る点で似ているかもしれません。もし音写真とサウンドスケープの相違を考えるとしたら存在性かもしれません。サウンドスケープは記録形態が写真であってもその風景の背景にはそこに現に音が存在していることが意識されます。現実にリアルとして存在している音を対象としている点が特徴かもしれません。それがスケープ設計であっても現に存在しうる音を想像する、対象とする点でリアルです。
一方で音写真では必ずしも現に存在している音を対象としていません。また可能性も例えば建築物を叩いたらとか、建築物に風を送り込んだりといったリアルとして存在しうる音とも限りません。何かそれを楽器と見立ててみようというような視点で見たりしてみようとかそういう発見をしてみようという風に考えてみたり、音という文脈でいろいろなものを切り取ってみようという試みです。
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録音と時間性と移動性
音は時間的な性質を持つので、例えば5分の録音には5分間かかります。ある場所の音を5分間録音しようと思ったらその場に5分間留まらないといけません。一方で写真は非常に時間的には高速です。記録用としての撮影なら例えば歩きながら気になった景色を見つけてサッと撮ることが出来ます。このスピード感は気軽さと移動性にとても良く作用します。歩みや移動を妨げないので手軽にフィールドワーク的な感じで行うことが出来ます。機材も必要ありません。また写真も記録用として対象が確認できればいいのでテクニックも必要ありません。ただ切り取ることが出来ればいいという手軽さがあります。
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