221020 伝聞と痛覚

伝聞を
どう扱うかで
その人の水準と言うか
レベルというか
情報に対する姿勢が
見えると想うんです
その点ではニュースの扱い方にも
同じ事が謂えると想うんです

仲本工事さん、逝きましたね
痛かったんだろうなぁ
クルマって硬いものなぁ
あっ!って想うのかなぁ
身内にも轢かれたのが居ます
どんな気持ちなんだろう
想像シただけで辛いです

しかも命に関わる痛さだものなぁ
コリャマズイって痛み
それとも脳が遮断シちゃうのかしら
其れも有りそうだよね

さっきの伝聞や情報の取り扱い
って意味では
仲本工事さん亡くなって無いのかも
証人保護プログラムで
別の人生を歩き出していてさ
アナタの隣で新聞
読んでるかも知れないよね

ニュース自体の価値ってさ
ニュース自体が何も無くなったら
其れは其れで困りそうだけろ
実はコレほどの情報量は
要らないんじゃないか
などと想う事が有ります

家族の事故に痛む胸が
テレビでしか観ていない人にも
果たして同様に痛むのか
其れは
不感症なのか不干渉なのか
気に病む事なのか

志村けんさんの時も
個人的には大層なショックでした
でも何処か仕方ない
顔馴染みを助ける為
飲み屋さんに顔を出してた
と謂う情報を聞いて
仕方ないのかも
と想ったけろ
この情報だって
何処までホントなんだか判らない
テレビや新聞は
人の心を救ったり
人の足を掬ったり
心の奥に巣喰ったり
シちゃうから
ニュースを何処まで信じるのかで
その人の状態が変わってしまう
恐ろしい事実が横たわっています

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