配達中に抱く劣等感の正体とは? 2022年4月30日

今日で4月が終わった。

社会復帰し、noteの毎日更新も始めた4月。今年の1〜3月は自分史上最も怠惰に過ごした3ヶ月で、本当に家で寝てばかりの日々を過ごしていた。全く外出しなかったし、誰とも会わなかった。

唯一した事と言えば、漠然とウォーキング・デッドを10シーズンぶっ通しで見たことくらいか。ウォーキング・デッドとは、ある日「ウォーカー」と呼ばれる、意識がなく、ただ歩いているだけの屍(ゾンビ)が街中に溢れ、世界がパニックになるというドラマなのだが、当時の自分はまさに「ウォーカー」のごとく屍状態だった。歩く屍の話を死人のような目つきで、ただ惰性で見続けていた。

参考までにシーズン1がピークで、なんとか4くらいまでは持ち堪えるが、5以降は地獄のようなつまらなさだった。視聴率もどんどん下がっていたみたいで、ドラマ自体も歩く屍状態だったようだ。現在ファイナルシーズンが配信されているらしいが、全く興味が湧かない。

そんな地獄のようなドラマを惰性で見ることぐらいしかしてなかった自分だが、いざ働き始めると思いの外、ここまで順調に〝新〟社会人生活を送れている。そして、1000個の荷物を配達完了し、ついに研修期間も終了したようだ。

ちなみにAmazonは素晴らしい会社なので、研修期間でも報酬が割安になることはない。出来れば、ずっと研修扱いが良かったのだけど、こればかりは仕方がない。明日から仕事が今までより、しんどくなることが予想されるので、一抹の不安があるにせよ、やるしかない。

そんな感じで、なんやかんやAmazonの宅配を一ヶ月やってきて思うのは、家賃が高そうなマンションに住んでいる同世代くらい、もしくは年下であろうお客さんに配達する時、劣等感のようなものを抱くことだ。

自分は家賃4万円代の安アパートに住んでいるのだが、一体どこでこんなにも差が開いたのだろうか?と少し考える。多分、これまでの積み重ねの差がどんどん広がっていった結果なんだろうが、果たしてこの差は埋まるのだろうか。

別に良い家に住みたいとかいう欲は特にない。物欲的なものは昔からなく、住居としては今の安アパートで十分だ。ただこれまでの人生で自分よりも己を律し、リスクをとって、修羅場をくぐってきたりして、色んなものと戦ってきたんだろう。そのような経験値の差に劣等感を抱いているように思う。

自分がのんきに「ウォーカー」でいた間も、彼らは様々なプレッシャーを跳ね除けていたのかもしれない。

世界中にゾンビが蔓延る世界では秩序が乱れ、殺し合いや奪い合いが多発する。他者と戦わなければ、平穏は手に入れられない。そこまで極端ではないが、やはり行動しないと欲しいものが手に入らないのは現実世界でも同じだ。

配達中に抱く劣等感の正体とは、過去の怠惰な自分だ。つまり、自分は今も「ウォーカー」と対峙していることになる。もう一度、地獄のようなつまらなさだったウォーキング・デッドを見て、ウォーカー対策を研究し直そうか。もしかしたら、今見直してみるとなんらかの面白さを再発見できるのかもしれない。

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