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【放課後日本語クラスから⑦】JSL高校生の、もうひとつのリアル

こんにちは。公立高校で日本語指導員をしている、くすのきと申します。

先日、非漢字圏の国をルーツとする若者について知るオンラインセミナーに参加しました。私が接する生徒たちの多くも非漢字圏の国がルーツであることから、自分が知らない新たな取り組みや実践例に出会いたいというのが参加した理由です。

つまりはいつもと同じような気持ちでZoomの画面を見ていたわけですが、そこに登場したひとりのスピーカーの発言に、私はちょっとした衝撃を受けました。なぜだったのか。セミナー後、少し振り返ってみました。

Aさんが語った日本の現実

実のところ、JSL児童生徒や若者支援について知る機会は、意外に数多くあります。コロナ禍以降、セミナーや学習会がオンラインで無料で開催される機会が増え、以前なら簡単にはアクセスできなかった情報に、いともたやすく、コストをかけずに接することができるようになったからです。

その恩恵を受け、私も折に触れてこのテーマのセミナーや学習会に参加してきました。あまりにもたびたび参加するので、「それ、聞いたことあります」「もう知ってますから」という身勝手な気持ちに襲われることもあるほどです(主催者さん、ごめんなさい!)。

しかし先日参加したセミナーでは、これまで耳にしたことのない発言に出会ったのです。

セミナーは、主催団体、大学の研究者、地域団体の代表者の報告を柱として行われました。国が発表した調査報告書の数値を読み上げるだけのようなセミナーもあるなか、実態調査やインタビュー、時間をかけたフィールドワークなどを通じて海外ルーツの若者の実情に迫るもので、調査研究に携わった方々の地道な取り組みには頭が下がる思いがしました。

そのプログラムのひとつが、主催団体の支援を受けながら中学、高校、大学と進学したひとりの若者・Aさんのインタビューでした。Aさんはいまは「卒業生」として、団体が支援する後輩や出身高校での学習支援などに携わっています。

屈託ない笑顔で話し出したAさん。その話は、日本語がわからず、学習にも友だちとの関係にも苦しい思いをした中学時代の経験を語るところから始まりました。

「当時は日本語指導もなかったので、勉強はまるでわからないし、友だちもできない。日本での生活は絶対無理! って思ってました」

そんな時代を支えてくれたのがこのセミナーの主催団体でした。Aさんは日本語と教科の指導を受けながら高校まで進みましたが、高校卒業後の進路を考えなければならない時期になっても、「日本で進学するのは絶対イヤ」だったそうです。

しかし語学を学びたい日本人学生や留学生の多い大学と出会い、日本での進学を決断。いまに至っていると話していました。

Aさんの話からは、親の呼び寄せで日本に来ることになった海外ルーツの子どもたちの孤独や、異文化のなかでの混乱などがひしひしと伝わってきました。日本の支援の手薄さ、おとなや子どもの無関心や差別に苦しむのは、Aさんに限らず、海外ルーツの子どもたちが多かれ少なかれ向き合うことになる、日本の現実なのかもしれません。

発言の意味を考えて

インタビューの時間も経過し、そろそろ締めくくりに差し掛かろうとする頃、Aさんから、

「この機会に、ひとつ伝えたいことがあるんです」

との発言がありました。そして語り始めたことは、おおまかにではありますが、まとめると以下のような内容でした。

「いま、私が海外ルーツの若者たちを見ていて気になるのは、言葉がどれも不完全なことがあるということです。子どものときに来日して母国語がよくわからなくなってしまう。日本語もよくできない。英語ができるわけでもない。つまり言葉で自分のことを伝えることができません。母国語が通じなくなると、親との関係にも距離ができてしまいます」

「いまこの地域にも外国人が増えてきて、外国人の子ども同士だけで仲間になり固まるようになっている気がします。だから日本語を使う機会も少ない。ますます学校の先生や日本人の同級生からは離れてしまいます」

「高校生も、日本語を自分から一生懸命学ぼうとしているように見えません。高校に行けば仲間がいるし、友だちとの会話は日本語がなくても成り立ってしまうからです」

「私の頃には外国人が少なかったし、日本語指導をしてもらうこともほとんどありませんでした。でも、いまはその頃とはまったく違います。学校でも日本語指導が行われるようになって、いまは生徒は勉強しようと思えば、その環境がありますそれなのに。とても残念です」

ステレオタイプはどっちだ

はじめ、私がAさんの発言を予想外に感じたのは、発言の内容が後輩たちに対してかなり手厳しいものだったからだと感じていました。

しかし、それだけでは説明しきれない違和感が心の中に残りました。それこそが今回私が自分の気持ちを整理せずにはいられなかった理由でした。

Aさんは、自らも海外ルーツの若者と呼ばれる存在であるにもかかわらず、後輩たちを批判的に語っています(それが辛口のエールであるにしても)。こうした発言は、私が参加したセミナーや学習会では、あまり耳にしたことがなかったものだと思います。

当事者として登場する海外ルーツの若者や子どもたちは、自分が日本に来てからの体験を語り、私たちは、日本には支援の制度や担い手がとても少ないこと、そのことに気づかない日本人が多いのだということを知ります。

しかし誤解を恐れずに言えば、そこには海外ルーツの若者や子どもたちと私たち日本人のあいだの支援される側と支援する側という線引きがあり、役割分担を前提とした構図をもとに、話が組み立てられているのではないでしょうか。

一方、Aさんは当事者でありながら、その構図をひっくり返す発言をしたのです。私がショックを受けた理由は、そこにあるのだと思います。

ではもう一歩進んで、役割分担をひっくり返すような発言に、なぜ私はショックを受けたのでしょうか。

「支援してもらう社会」もあり

先述のとおり、私は海外ルーツの若者や子どもたちの支援についてのセミナーや学習会には、それなりに数多く参加してきました。そのなかで語られるのは、日本社会の支援の手薄さ、そこから起こる在留外国人子弟の教育機会の不公平さや、選択肢の少なさが生み出す将来への希望のなさなどです。それは実際にひとつの現実であり、私たち自身が日本社会の一員として不公平に加担していることを、強く認識させられることでもあります。

しかしこうした場に参加し、いろいろな立場の多くの人の発言を聞いているうちに、私は海外ルーツの若者たちを、ある種のステレオタイプに押し込めていたのではないかと感じるのです。
そして言うまでもなく、ステレオタイプな役割分担に無自覚であることは、その役割を補強こそすれ、解体する方向に働くことはないでしょう。

Aさんの発言は、私自身のなかにある先入観や偏見を、ショック療法のように取り出して見せてくれたのだと思います。と同時に、私に新たな視点を明らかにしてくれたのではないかと感じます。

多文化共生社会は、私たちが「入れてあげるよ!」といった社会などではなく、私たちが「支援してもらう」社会でもあること。役割分担という名の分断社会よりも、その実現ははるかに難しく工程は複雑なのかもしれません。そのことに気づかせてくれたAさんの発言を、忘れないでいたいと思います。


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