【放課後日本語クラスから⑨】学びの糸がほころぶ前に
こんにちは。公立高校で日本語補習クラスの指導員をしている、くすのきと申します。
この投稿では、私と海外ルーツの高校生との日々の交流や授業の様子を描いています。日本語教師の方、日本語教育や海外につながる子どもたちへの支援に関心を寄せる方々に、JSL(*)高校生の素顔の一端をお伝えできれば幸いです。
*JSL:第二言語としての日本語。Japanese as a Second Languageの略。
日本語補習クラスの位置づけ
いま私が担当しているのは、漢字圏と非漢字圏の国をルーツにもつ8名の高校1年生。多くが中学の時に来日し、学校や地域の学習支援教室で日本語や教科を学び高校に進学してきた生徒たちです。
来日して数年の海外ルーツの高校生にとって、在籍学級で教科を学ぶことは非常に難しいのが現実です。たとえば私たちが日本の中学や高校で学んだ英語力だけで留学し、現地の高校で英語で授業を受けることを想像すれば、その難しさや心細さは容易にご理解いただけることと思います。
そのため私が関わっている高校では、そのような困難を抱えた生徒のために取り出し授業を行い、さらに放課後補習クラスを設けて日本語指導を行っています。
とはいえ、生徒たちの日本語レベルは様々です。JLPTを目安に考えると、少し勉強すればN2に手が届きそうな生徒もいれば、N5がやっとかも…という生徒もいます。そのなかで私が担当しているのは、N3合格はすぐには難しそうなので、まずはN4レベルの日本語力の定着をめざそうとするクラスです。
一方で、高校生には教科でそれなりの成績を上げなければ進級も卒業もできないという現実があります。生徒たちのためを考えるなら、日本語指導はあくまで教科指導を支えるものと位置付けられるものでしょう。
と同時に、3年後には進学か就職を通して社会に出ていく生徒たちにとって、日本語は人生を切り開き支えてくれるものである必要があります。いま私が関わっている放課後補習クラスでは、JLPTの勉強を利用しながら日本語力のアップをめざしていますが、それだけで生徒が将来にわたって本当に必要とする日本語力を身に付けることができるのか、実践を通じて慎重に見ていく必要があります。
興味のある話題で導入へ
さて、JLPT対策として現在私が利用しているのは『日本語総まとめ』(N4)シリーズ(アスク)です。使用教材については以前の投稿で紹介しましたので、よろしければご覧ください。
先日、この問題集の「文法」問題の中にある「ホームステイ先での日記(中文)」を利用して読解の授業を行いました。
しかし導入にあたって「留学」や「ホームステイ」を取り上げても、生徒には自分とは関係のない他人事にしか感じられず、授業に興味をもってもらえないかもしれません。
そこで、日記の中にホームステイ先のペットと遊ぶシーンがあったことから「ペット」をキーワードに授業をスタートさせることとし、全体の構成を次のように考えました。
1.導入:「ペット」について知っていることや経験を話してもらい、文章の内容に興味をもってもらう。
2.読みの練習:Tが文全体を読んだ後、Sが一人ずつ段落ごとに音読する。
3.語彙の確認
4.文章問題解答(自主制作教材を使用)
5.文法問題解答(問題集の問題を使用)
6.ポイントとなる文法、文型の確認
Cocoaと3人の家族
たまたまこの日の授業に出席していたのは漢字圏、非漢字圏のふたりの女子生徒だけ。私を含めて3人だけのちょっとゆったりした雰囲気のなかで授業はスタートしました。
「ペット。わかりますか?」という私の問いかけに、ふたりははじめキョトンとしていましたが、犬や猫といった例を挙げるとすぐに関心をもってくれました。
まず非漢字圏のAさんに「ペットを飼ったことがありますか?」と尋ねました。Aさんは自分の名前を漢字を当て字にして書くほど、漢字を書くことが大好きな生徒です。すると「ウサギがいます」との返事。
T「Aさんのうちにうさぎがいるんですか?」
S「そう、コゥコァ」
T「コゥコァ?」
S「chocolate! 茶色だから」
T「ああ! ココア。茶色いうさぎだからココアなんですね」
S「そう。ママはココ、妹はココナって呼んでる」
T「ココアと3人の、4人家族ですね」
そう言うと、少し内気なBさんが愉快そうに笑ってくれました。生徒が自分から家族の話を始めたときは少しでも生徒との距離を縮めるチャンスです。授業から多少脱線しても、生徒のことを知ることができる大切な時間になります。
Aさんは父親とは暮らしておらず、母親と小学生の妹の3人家族です。妹がまだ小さいため、仕事がある母親の代わりに面倒を見たり、一家の食事の準備をすることもあります。
S「ママはこわい。こわいじゃない、うるさい」
T「うるさいですか?」
Aさんによると、家が高校から片道2時間という遠方のために、放課後の勉強で帰りが遅くなることを母親は心配しているらしく、いろいろ言われることをAさんはうるさく感じているようなのです。
「私はもう子どもじゃないのに。夜になっても大丈夫」と話すAさんの言葉は、ある意味ほほえましいと言えるかもしれません。しかしAさんの何かを我慢しているような表情からは、年ごろの娘とその行動を心配する母親といった図式だけでは推し量れないものがあるように感じられました。
このときの授業そのものは、ペットの導入からスムーズに(無難に?)進めることができました。しかしその頃から、Aさんは2時間の補習クラスの後半1時間目が始まると、「先生、もう暗い。ママがうるさいから帰ります」と言って、引き留めようと声をかけても早退するようになりました。
途絶えた出席
期末試験前に行われる最後の補習クラスの日のこと。最初に教室に現れたのはAさんでした。「Aさん、こんにちは! 元気?」と声をかけると、Aさんは「先生、あの」と話し始めました。
S「私、家で用事。家事がありますから、今日は帰ります」
T「用事があるの? 少しでも勉強できませんか?」
S「だって(*)、ママが早く帰ってきなさいって」
T「もうすぐ期末試験ですよ。うちで勉強できますか?」
S「はい……」
T「ここなら、みんなで一緒に勉強できますよ。少しでも勉強していきませんか?」
S「だって帰らなくちゃ」
(*この場合「だって」は語用論的には不適切ですが、Aさんの口癖です。これまでだれも指摘する人がいなかったのかもしれません)
私がよっぽどがっかりした顔をしていたのか、はじめは怒っているように見えた(多分緊張していたのでしょう)Aさんの顔が、困ったようなごめんなさいと謝るような表情に変わっていきました。その困り顔のAさんと目が合いました。
「Aさんは漢字が得意だから、試験きっと大丈夫。がんばってね。気をつけて帰ってね!」。最後にそう声をかけると、Aさんは小さく片手を挙げて帰っていきました。
何度か早退が続いたのち、Aさんはついに放課後補習クラスを欠席してしまったのです。
子どもの学びを守るためには
欠席は、母親を言い訳にして放課後の勉強から逃れるためのAさんの算段だったのかもしれません。そういった気持ちがなかったわけではないと思います。
しかし、Aさんの母親の立場に立って考えてみたらどうでしょうか。
自分もAさんもいない間、小学生の下の娘をひとりで家に置いておくことを不安に感じるのは自然なことではないでしょうか?
なぜAさんが学校から帰るのが夜になるのか、放課後補習クラスで学ぶ意味を理解していたでしょうか?
なによりも、不安定な雇用状況のなかで一家を支えているいま、母親自身にAさんのがんばりに寄り添う余裕があったでしょうか?
Aさんが教科学習とともに日本語の勉強を少しずつでも続けるためには、Aさん自身の努力だけではなく、教員や指導員、そして後ろからサポートする家族とのつながりや協力、さらにはそれらすべてをつなぐ社会的な基盤が欠かせないのだと思います。
そして正直をいえば、それを実現するまでの果てしない困難さに茫然としてしまった……。Aさんの後ろ姿を見送った日は、私にとってそんな一日となりました。
いま私は、8名の生徒たちみんなが試験の結果をドヤ顔で報告してくれることを願いながら、今年最後1カ月の授業準備に取り組んでいます。
経験不足の拙い記事を最後までお読みいただき、大変ありがとうございました。