【放課後日本語クラスから⑩】noteを書くことでもらった3つの贈り物
こんにちは。公立高校で日本語補習クラスの指導員をしている、くすのきと申します。
タイトルにもありますように、この投稿では私と海外ルーツの高校生との日々の交流や授業の様子を描いています。今回は少し趣向を変えて、noteを書くことで私がどのような気づきを得ることができたのか、振り返ってみたいと思います。
情報がほしくて始めた
情報のアウトプット
何度か触れたことがありますが、私が投稿を始めたのは日本語指導員の仕事についての「情報がほしい!」という焦燥感のような思いをいだいていたからでした。書き始めるときの気持ちについては第1回に書きましたので、よろしければ以下をご覧いただければ幸いです。
情報がほしいのなら、まずは自分から情報を提供するべきでしょう。つまりもっと多くの情報を得たいから。それがnoteを書き始めた理由のひとつだったわけです。
情報をアウトプットするということは、この場合、指導員としてどのように生徒たちと接しているのか、自分の体験を誰かに伝えることです。
私と同じように、海外ルーツの子どもたちに関わる仕事の全体像がつかみきれなくて困惑している人、日々の授業内容やその進め方に悩み、他にもっとよい方法があるのではないかと手探りしている人に、何か役に立つことがあるかもしれない。
そう考えたことも動機のひとつでした。が、いま思うと自分の体験を書くということについてかなり大雑把にしか理解できていなかったことに、ちょっと呆れてしまいます(笑)。
書くことは自分の心を覗き込むこと
9月に第1回を投稿後、これまでなんとかかんとか投稿を続けてきました。9回という数字が多いか少ないかはともかくとして、多くの方にスキしていただき、フォローしていただいたりコメントをいただくことができました。
5000字近いようなメンドーな投稿もあるにもかかわらず読んでくださった皆様には、心からお礼をお伝えしたい気持ちです。
さて、そんな石橋を叩くようにコツコツ書くなかで、私自身、得られた(改めて確信した)視点がいくつかありました。ここでは「書くこと」全般に考えを広げることは目的ではありませんので、あくまでこれまでの投稿をもとに考えてみますと、おもには次の3つの点が挙げられるのではないかと思います。
①生徒の言葉の行間にこそ、本当に伝えたいことがあるということ。
②教室で目にすることの後ろには、構造的な問題、社会的な課題が隠されているということ。
③生徒は私に何が足りないかを映し出す鏡だということ。
この記述だけでは何を言っているのかよくわからないと思いますので、前回の投稿を素材にして、私の考え方にどのような変化が起こったのかをたどってみたいと思います。
個人の問題から社会的課題へ
前回の投稿は以下の通りです。よろしければご覧ください。
描いているのは、女子生徒Aさんが母親との気持ちのすれ違いから放課後クラスを早退するようになり、ついに休んでしまう日までの私とAさんのやりとりです。
この投稿を書き始める段階では、Aさんからちょっとほほえましい一家のエピソードを聞いたことから、ひとりのJSL高校生のいまを描きたいと考えていました。
生徒たちとの交流のなかでは、生徒が直面する現実が垣間見える瞬間があります。その断片を描くことで、読んでいる方にJSL高校生という存在に思いを馳せてもらうことができるのではないか。それが書き始めるときの思いでした。ある意味、Aさんの個人的な物語を描くつもりだったのです。
ところが最後まで書き進み、自分の体験を客観化する段階にさしかかったとき、私は自分が書いてきた小さなエピソードには、(少し大げさで恥ずかしいですが)JSL高校生を取り巻く日本社会の構造的な問題が横たわっているといった点に思い当たったのです。
実のところ、自分でも思いがけない展開になってきたために、私は少し頭を抱えてしまいました。このnoteはあくまで体験に基づいた記事を書く場で、そこから逸脱することは書かないと決めていたからです。
しかし隠れていることにふたをし矮小化することは、読む人を、本来たどり着くべき地点とは異なる場所に導いてしまうことになるかもしれません。
そこで、私は最後に恐る恐る次のように書きました。
Aさんが教科学習とともに日本語の勉強を少しずつでも続けるためには、Aさん自身の努力だけではなく、教員や指導員、そして後ろからサポートする家族とのつながりや協力、さらにはそれらすべてをつなぐ社会的な基盤が欠かせないのだと思います。
はじめは、放課後クラスを欠席したAさんがもう少し頑張って勉強できるような環境を整えるためにはどうすればよいのだろう、といった自分の気持ちを書いて終わりにするつもりでした。
ところが考えを進めるうちに、それを実現するためには様々な役割でAさんを支える人々の存在が欠かせないということ。さらにその人たちをつなぐ社会的な基盤がなければならないという、結果としてずいぶん振りかぶったことに言及することになってしまったのです。
発見の連続を大切に
上記のように、考えを進めるうちに当初思い描いていたのとは異なるゴールにたどり着くことは、ある意味よくあることでしょう。それが書くことのおもしろさであり、振り返りがもたらす軌道修正の効果でもあるのだと思います。
さらに言えば、情報を得るために情報を発信しようという単純な動機で始めたnoteですが、
①生徒の言葉や行動を丁寧に観察し、その意味をじっくり考えるきっかけとなった。
②書き留めておかなければ忘れてしまうような小さな出来事も、大切に目に焼き付けておこうとするようになった。
③高校生であるいまだけでなく、おとなになって未来をどうやって生きていくのかまでを考えながら、生徒と向き合うようになった。
以上のように、自分の指導員としての姿勢を支えてくれる存在にもなってくれているように感じます。
これからも生徒たちとの日々の体験から多くのことを学び、それを書き記すことで、新たな発見を重ねていけたらと思います。
「放課後日本語クラスから」をお読みくださったすべての皆様、本当にありがとうございました。2022年もどうぞよろしくお願いいたします。
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