【にほんご日誌(23/3/3)】声を聴くための作文
日本に高度人材を呼び寄せるために、英語のみで講義を受け卒論を書く、留学生のための英語コースを設けている日本の大学院は、どのくらいあるのだろう?
Fさんはそんな英語コースを卒業したひとりだ。卒業後は母国に戻らず、日本で外資系企業に就職した。
在学中は日本語が全く必要ではなかったために、日本語の力がおぼつかない。それがFさんと個人レッスンを始めた理由だった。
「日本語で書くことができない」というFさんの話を聞いて、作文をいっしょに勉強していくことにした。
作文の構造(起承転結とか、説明文の場合、結論・理由・再度結論の形で書くといいとか)や段落の役割について、文章の書き方(文体を統一するとか、接続詞の使い方とか)など、パワーポイントを示しながら、ごく基本的なことからレッスンは始まった。
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Fさんの会話力は高くない。文章を作ることはさらにハードルが高いようだった。
Fさんが書いた、メモのような叩き台のような文をいっしょに読む。私が、「ここにはどんな気持ちがありますか?」「どうしてこのことを書こうと思ったんですか?」「具体的なエピソードはありますか?」「この文はFさんが最も言いたいことだから、その理由をもう少し書きませんか?」といった問いかけや提案をする。
そして、その文章のなかで書いた方がよいことが明らかになり、Fさん自身がそれを納得できるところまで行ったら、スキルの面の添削を行う。それを繰り返した。
時間の制約があるので、レッスン中に書くことはできない。当然ながら、仕事が終わってからのプライベートな時間に書き進めることになる。意志が強くなければ、すぐにも投げ出してしまうだろう。
だが、入社したばかりの混乱や緊張、疲労やストレスもあるなか、Fさんは根気強くレッスンを続けてくれた。
先日のレッスンでのこと。最後にFさんがポツリと言った。
「推敲が好きになってきました」「自分が何を考えているのか、よくわかるようになったと思います」
聞いたその瞬間は何が起こったのかよくわからなかった。次の瞬間、胸がうっと詰まった。そう、そうよね! Fさん。
「書くことは結果にすぎない、自分が考えていることがすべてなんです」「だからまず、書くことではなく考えることを大切にしてください」
たとえ文章が上手に書けずに終わっても、書く過程で必ず自分の心や精神、思考に向き合うことになる。自分の編集者としての実体験から、私はそのように確信している。
作文レッスンで伝えたいと思っていることも、それに尽きる。
Fさんは、書くことは自分自身を知り、世界を広げたり深めたりすることだということを、ほんの少しでも感じてくれたのに違いない。
いや、そう信じて、コツコツとこれからも作文レッスンを続けていきたい。