家は負債で良いし、出口も要らない(僕らの場合)
家づくりをしていると、実家に帰ったときに、工夫が凝らされているところ、もっとこうしたら良かったのに、と思うところがニョキニョキと湧いてきます。
「南の隣家までこれだけ近いのに、なんでこんなに明るいのだろう」や
「この壁はクロスじゃない方が良かったよなあ」など
長年何とも思っていなかった家の意図が透けて、新鮮に捉えなおせる感覚はなんだか面白いです。よく通ったお店などでも、きっと同じ感覚を得られるのでしょう。家づくりの副産物的楽しさです。
余談でした。さて、今回は一軒家を作ることに決めた理由シリーズ最終回(恐らく)。これまでは僕らが「家に求めること」の切り口から書いてきました。今日は最後に「家に求めないこと」の切り口から書いてみたいと思います。下記が以前の記事で書いた、僕らが家に求めないことたち。
よく人に聞かれるのは、8、9あたりでしょうか。「どうして価格上がっていない土地でいいの?都内でなくていいの?」「将来売るかもしれないのに一軒家でいいの?」などなど。
雑にまとめると
という2大質問に集約される気がしています。ので、今日はこれらに対する僕らの考え方を勝手に披露していきます。
家でお金を溜めなくてもいい。負債でもOK(※僕らの場合)
と思っています。まず、僕らは人生ですんごく経済的に豊かであることを必ずしも求めていません。例えば、毎食外食で、お手伝いさんがいて、高級な車に乗り・・といった暮らしは別に要らないなと思っています。という目線の中で、家が負債、つまり仮に売却する際は購入金額を下回ることは問題ないと判断しました。今後給与や運用で得られるお金に、家の負債を加味しても、目指したい水準感の暮らしはできる目途が立つということです。であれば、そもそも一軒家に住みたいのだから、住まいが負債であることは、僕らにとってストップ要因になりません。
売る必要がない。住まいあげたい(※僕らの場合)
僕ら夫婦はふたりとも、労働者である間は、大半を東京(家を建てる場所から通勤可能)で勤務する可能性が高いです。周囲の方々のキャリアを見渡したときの傾向として、そして自分たち自身の志向性として、ということなので、可能性は0ではないものの、勤務エリア的リスクは比較的小さいと考えています。
そもそも、せっかく愛を込めて建てる家を売りたくない、住まいあげたいという希望もあります。木造一戸建ての法的な耐用年数は22年ですが、世の中には100年を超えて立派に役目を果たし続けている木造建築が沢山あります。家族の健康がはばかられない限り、どれだけ永く家を愛せるか、は僕らがチャレンジしたいテーマのひとつです。
唯一、もし子供に恵まれた際には、彼・彼女の選択したいモノゴトの最適エリアによっては、ベストな支援を行えない可能性があります。が、それでも比較的多様な選択が可能な立地ではある(東京にはアクセスできる)ことと、家族で協力してベストを尽くす覚悟はあるので、許容範囲のリスクです。
といった具合に、よく聞かれるABの質問に対しては「僕らが得たいものや目指したいことを踏まえるとデメリットにならないのです」ということになります。
よく見かけるマンションVS一軒家論争の記述では、主語が大きすぎる場合が多いなと感じます。家を建てる自分が何を目指したいのか、そのために取れる手段は家を含めて何があるのか、どの手段を選択できるのか、であれば家はどうあるべきなのか。ということを冷静に考えると、ベストな家の在り方は「本当に」人それぞれだなと思います。
次回
第2回から今回まで「一軒家を建てる」と決めた理由をつらつらと書いてきました。書ききれていない思考も沢山ありますし、振り返っても突っこみどころ多々ですが、家づくりを楽しみたい小童の日記でしかないので、構わず突き進もうと思います。
ただ実りの有り無しは置いておいて、読んでくれた知人な皆さまと家の話が出来ることが増え、それはとても楽しいもので、やはり書いてみてよかったなとも感じています。
かくして一軒家を建てることに決めたわけですが、課題は山積しています。
「土地どうすんねん」
「誰と作るのかいな」
「支払いいいい」
次回から、骨をうずめてもいいを思える土地と巡り合うまでの日々を書いていきたいと思います。(番外編的なもの挟むかも)
ここまで読んでくださりありがとうございます。
引き続き家づくりとその記録を楽しんでいきます。
西村
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