[ 読了 ] 神社の虚像。神社は太古の自然崇拝から自然発生したものではない(井上寛司「「神道」の虚像と実像」講談社現代新書)
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神社の虚像
神社は,太古の昔,例えば,縄文や弥生のころの,わたしたち日本人の自然崇拝から生まれたものであると,わたしは漠然と思っていた。
わたしたち,ふつうのひとびとが感じ取っていた神々に感謝を捧げる場が神社であって,その営みは太古の昔より,ずっと続いていると漠と考えていた。
神社の実像
しかしながら,それは誤りであるらしい。井上寛司(著)「「神道」の虚像と実像」(講談社現代新書)[Amazon] によれば,神社は,律令制度が始まった7世紀に政治的に整えられたものであり,太古のひとびとの信仰を引き継ぐものではないという。
井上寛司(著)「「神道」の虚像と実像」(講談社現代新書)[Amazon]
井上寛司によれば,日本の天皇は,「法の妥当性そのものに根拠を与える究極的な権威(現人神)としての地位を与えられ(p.31)」た存在として,律令制の導入とともに登場したという。天皇は行政権や司法権を統括することによって,伝統的な在地社会(天皇を神としてはこれまで考えてこなかった社会)と(神である天皇がその妥当性をあたえる)律令法とをつなぐ存在として機能したという。
律令制が始まったのは7世紀。縄文時代が16,000年前に始まったとすると,ずいぶん最近のことのように思える。
当時,新たに神社が作られ,土地土地を管理するためにそれらの神社は機能したというから,権力者の道具として整備されたものであって,わたしたち,ふつうのひとびとの祖先の信仰を引き継いだものでは,残念ながら,ないらしい。
繰り返される歴史
律令制以降,再び,権力者の道具として,神社の組織が整えられるのが,明治維新であったという。井上寛司(著)「「神道」の虚像と実像」(講談社現代新書)の,なまなましいとも思える文章を引用しよう。
庶民のための神社
その後,戦後をわたしたちは迎えた。
神社とはなんなのか。祭神がなになにで,由緒がこうで,そういう知識をもってわたしたちは神社を訪れる。しかし,おそらく歴史は何度でも繰り返すだろうから,過去に神社がどういう機能をもっていたのか,それで何が行われたのかということを知っておくことは意味があることだろう。
政治的な道具として使われたのは事実だろう。しかし,一方で,子どもの病の平癒を祈ってお百度参りをする親,疲れた気持ちを立て直すために神社を巡るひとびと,願ったことが叶ってお礼の気持ちを伝えたくて神社を訪れるひとたち。その願いを受け止めてきたのも,やはり神社であって,神社があることによって,地域のひとびとに紐帯性があったというのもたしかなことだ。
神社がどのような場であってほしいとわたしたち庶民は思うだろう。わたしたちに安らぎを与え続けてくれる,そんな場所であることを,きっと望むだろう。そういう思いを大切に,それを叶えてくれる神社を大切にするためにも,上寛司(著)「「神道」の虚像と実像」(講談社現代新書)[Amazon]の一読をお勧めします。
これは面白い!
井上寛司(著)「「神道」の虚像と実像」(講談社現代新書)[Amazon]
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