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戦後,フェンシングと剣道との意外な関係。
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武道の禁止
戦後,剣道は戦闘的精神を育てる武道だとして,学校で行うことが禁じられました。1945年8月,日本は終戦をむかえます。同年11月には「終戦に伴う体練科教授要綱取扱に関する件」が通牒されます。これにより,学校で武道を扱ってはいけなくなります。同年12月には「学校体錬科関係事項処理に関する件」が通知。学校の施設で武道を行うことが禁じられます。1949年には警察剣道まで禁じられる様になりました。剣道の歴史に幕がおろされたかのように思われました。
それでも稽古はなくならない
しかし,剣道の稽古はつづけられていました。
武道が禁じられた1945年の翌年の1946年,早稲田大学や中央大学の剣道部の関係者がフェンシング部を作って活動をはじめています。剣道はやめてフェンシングをしたのかといえばそうではなく,フェンシングもするし,剣道もしたようです。結城 (2021) の論文には,当時の中央大学剣道部の様子がに記されています。
同好の士もぽつぽつ集まり,寄せ集めの道具で細々と稽古を始めた。意気旺盛で剣道の命脈を守り,その復活を如何にすべきか色々競技を重ねた。その結果先ずフェンシング部を創設しようということになった。剣道はまだ公然と許可にならないので,剣道のかくれ蓑にしようということだった。フェンシングの練習が終わると待ちかねた様に剣道をやった。(p.47)
https://opac.tenri-u.ac.jp/repo/repository/metadata/4692/GKH025703.pdf
同時期,早稲田大学でもフェンシング部が作られ,フェンシングの練習のためとして剣道の稽古が行われていたといいます。
簡単にいえば,戦後,剣道関係者はフェンシングを隠れ蓑にして稽古を続けていたということです。
剣道とフェンシング
剣道をしているひとのなかには,薙刀もやってみたり,杖術をやってみたりするひとがいます。剣道をしてフェンシングで活躍している人といえば,佐藤希望選手,徳南堅太選手がおられます。
剣道家の森寅雄先生にいたっては,剣道はもちろんフェンシングの技量も抜きん出ており,アメリカでフェンシング道場を開くなどされています。過去,非常に交流のあったふたつの競技。人間形成におもきをおく剣道とスポーツ的なフェンシングという一見相性のよくないふたつの競技ですが,おたがいを知ることで,より多くの発見があるやもしれませんね。
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