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ここだというときに打つ

月曜日に先生から,出頭の打ち方をアドバイス。そのアドバイスにしたがって,今週は稽古を継続中。

相面で負けることがなくなりました。もちろん,技量も経験も数段上の先生には相面で負けます。しっかり吹き飛ばされます。けれども,今まで,うーん,剣先,それるなーという先生には相面,負けなくなりました。

相面にならなくなっただけなようにも思います。例えば,先に面を打つ。あるいは,先に面を打つが竹刀で受けられるというパターン。機会じゃないときに打っただけ?しかし打っているときは,「ここだ!」と思って打っている。打った後も変な感じがない。変な感じというのは,ぷつりと緊張が切れる感じ。緊張が切れるときは,ありゃりゃ,なんで今打ったの?というときに感じる感じ。それがないから,たぶん打つ機会だったのではないでしょうか?それに,先生が受けるだけになっているということは,打つ機会でよかったのでしょう。打つ機会じゃないんでしたら,応じられているはずですから,稽古という制約のなかでいえば,「面あり!」と考えてよいのでは?剣道に防御という考えはないはずだし。

もちろん,面を打って,なんだか変な感じ,「ああ,今は打つときじゃなかった」という面もあります。構え合っているとき,身体は「いくぞ,いくぞ,いくぞ」,心は「うーん,来い,来い,来い」と相手との間に張り詰めた空気がある。それが打つと,その空気が白ける。「あ,今じゃなかった」だいたいそういうときは,相手の攻めを我慢できなくて,ぱっと打ってしまうとき。我慢して,自分からもう一度攻めるべきだなー。けれども,パッと打ってしまう。やっぱり,相手の動きを見ているからかな。兆しを見ないとなー。兆しは見ることはできないけれど。感じないといけない。じっと,ずっと,見ていると見えるはず。見えるまでは打たれる,打たれる。

むちゃくちゃ強い先生がおられる。どの先生も強いですけど,その先生は僕から見るとむちゃくちゃ強い。木曜日にかかってみる。背が高い。背比べをしてみる。面の上はとても見えません。けれども,見るんだ!

初太刀。相面。打った後,体が崩される。くそー。

稽古がはじまる。ぴりぴりとした気。打つ度に体ははじかれてしまうが,ぴりぴりとした気は切れることがない。きちんと稽古になっていると,感動。

「一本」と先生が言われる。「え?一本,があるの?」

稽古しか考えていなかったので,一本,どうかかっていけばいいのか,考えがなかった。今思えば稽古どおりでよかったのに,あー,どうしようか,とたんにわからなくなった。すると,やっぱりかー。構えている間はいい。けれども,打ったとたんにぴりぴりした感覚がなくなるんです。すーと。あー,打つ機会じゃなかったんですね。それが続きました。

稽古後,挨拶に行く。「ずいぶんよくなっている」という言葉。「ずいぶん」という言葉はおっしゃっていたかなー。今勝手に入れたかもしれない。とにかく,よくなっているというのは3度おっしゃったので,そう言われたのはたしか。やったー。でも,僕もそう思っていたんです。よくなったなー。

打つ機会を変えるとこんなにも変わるんですね。じゃあ,もっと考えてみて,もっと上達したい。技量や経験も増せばよいけれども,どうしたって,他人には負ける。じゃあ,自分に何ができるかと言ったら,気持ちかなー。いわゆる肚というやつだ。技量ももちろん大切にします。けれども,自分の場合。肚のほうだろうな。肚で勝負だ!

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