「おかえり」という言葉のありがたさ。
昨晩はかなり濃厚なお話をしていたので、ショックのあまりnoteは薄っぺらくなりました。あんな濃いお話をしてしまうと、脳みそが機能するはずもなく。
1日経った今日も1日中忙しく、夕方になってようやく思考タイム。つらつらと思いを綴っていきます。
「おかえり」
萩・阿武町に行くとみんな「おかえり」と言って迎えてくれるんです。
イベントに顔を出しても、古道具やさんに行っても、パン屋さんに行っても、宿にチェックインしても、お好み焼き屋さんに行っても。
これってすごくないですか。
「いらっしゃい」でもなく、「久しぶり」でもなく、「よくきたね」でもなく、そこにある言葉は「おかえり」。
まるで家族のように迎えてくれる。
こんな嬉しいことはないと思うし、いつか自分も「おかえり」と出迎えることができる立場になりたいと強く思いました。
「定点」となる場所
昨日のnoteのタイトルにもした「定点観測」という言葉。
ものすごく簡単に言うと、「昔を思い出せる場所」ということです。
実家はもちろん、母校の小学校・中学校・高校でもいいし、通学路でもいいし、以前働いていた勤務先でもいい。
その場所に戻ることで、当時の記憶・考えていたこと・志がよみがえる。
きっと、大切なことも一つや二つ、忘れていることもあるはず。
定点観測できる場所さえあれば、自分がどんな道を進んでいこうと、帰ってくる場所がある。
マイナスなことがあったって、定点に帰ることができれば、いくらだってやり直せる。
そんな場所が明確にわかっていると、強い人になれるなと確信しました。
やっぱり「人」
人付き合いはかなり苦手です。ぶっちゃけ、親しくしている人だって、長くいると疲れます。
最初の2時間は大丈夫でも、3時間目になると急に一人になりたくなるんです。テンションが急降下する感覚。
でも、やっぱり、人と関わって生きていかなければ楽しくないですよね。
ただ、わかっていても疲れるのは事実。
今はまだ自分自身が求めている距離感を理解していません。
近すぎても遠すぎても疲れるから、ちょうど良い距離感をつかめれば、きっと今よりも楽しいはずなんです。
ずっと一緒にいても疲れない距離感を保てているのは、家族と彼女くらい……。
誤解して欲しくないのですが、原因はわたし自身です。相手は一切問題ありません。わたしの相手との距離感が適切でない。
どこかで悟れそうな気がしているので、もう少し待ってみましょう。
楽しく生きていけると確信した
もう、なんか、文章に起こすと意味不明なことなのですが、この2日間で「俺はこの先何があっても楽しく生きることくらいはできそうだ」と確信しました。
うん、自分でも何言っているかわかりませんけど、直感的なものですね。
小学生時代から振り返ってみても、わたしはかなり運がいい。特に「人」と出会う運がいいんです。だから大丈夫。
今、酔っぱらっていませんよ。シラフです。言い聞かせているわけでもありません。異常なテンションでもなく冷静です。
もちろん、浮き沈みはあって当然ですし、一生悩みが尽きるわけでもない。
でも、何があっても根本的に「楽しく生きることくらいはできる」と確信できました。
理由も考えたら出てくるでしょうけど、とりあえず「直感」です。
直感ほど信用のあるものはないですからね。これで最強になった!
・・・・・・
とりあえず、何事も始めないと結果がわからないので、方向性を決めてみようと思います。
怖いですけどね。昨日も何度も「怖い怖い」と弱音を吐きました…笑。
「気になっていることはやるべきこと」
人生ってビックリするほどシンプルでわかりやすいんだよ。
末次ゆう(@ysgenfu)