SNS依存を脱却する方法はこれだけかもしれない
入院を期にSNSを全部やめようかなとか思ったんですが、やめられませんでした。
思えば一番最初のSNSはTwitterで、中学3年生のときにはもうアカウントを持っていた記憶があります。アメブロやlivedoorブログなんかも書いていました。
わたしはギリギリZ世代なんですが、確かに小学生の頃から遊びといえばゲームボーイだったし、高校生になってからはスマホを持っていない人のほうが少なかったです。当時はiPhone4sが最先端でしたね。
もうSNSが生活の一部、いや、身体の一部くらいになってしまっており、中毒と言われても仕方ないかもしれません。何かあったらSNSに投稿したくなってしまいます。
でもね、SNSなんて本当に日常の一部を切り取っただけなんですよね。当たり前のことだけど。だから人を見て羨ましいとか、よい姿を見せようとか思ったって仕方ありません。SNSが充実していても現実が充実しているとは限らないって話。
わたしも以前は当時のパートナーと一緒に車で旅をしていて「すごい」「いいなぁ」とか言われていましたが、当時は収入が少なくて不安ばかりだったし結局別れました。色々と問題は抱えていたんですよ。
SNSを辞められない一番の理由は、友人たちとつながっていたいって感じなんですけど、直接連絡を取るほどでもないって感じの距離感の人ばかりです。これが寂しさにつながっているのかなと思うこともあります。
だって、本当に伝えたい人がいるならその人にLINEなりして、「今日◯◯があったよ〜」とか言い合えるのが友達なんだろうなって。うーん、いないなぁ。
たぶん、そういう「いつでもなんでも言い合える友人」が2人くらいいるなら、SNSをする人はものすごく減るんじゃないかなと思います。ただ寂しくてかまってほしいから投稿するんですよね。本質的に。インスタのストーリーなんかまさにそれです。
要はね、リア充になればSNS依存症は脱却できるよってことです。
それも「心のリア充」。お金がたくさんあっても、やっぱりここなんじゃないかなと思います。
そもそもなぜSNSに投稿するのか。それは「自分のよい(時にはネガティブな)姿を見せてアピールしたいから」に尽きるんですよね。異性にも同性にも。そうやって自分への興味を惹かせて友達になってほしい、パートナーになってほしい。
まあでも、フツーに考えてSNSで相手に対して感情が動くことってないですよね。やっぱり会ってからじゃないとさ。
別にSNSに投稿する行為のすべてが悪いとは思っていないし、よほどの散財や時間の浪費になっていなければSNSをわざわざ辞めなくてもいいと思います。でも、根本的な寂しさには早めに気づいて対処しておきたいですよね。
今日はそういうお話でした。心を満たしたいよねぇ。