見出し画像

「ぎをん森幸」の鷄の甘酢@京都

 京都の南座で、桂米朝一門会をきいた。コロナウィルスの流行以来ひさしぶりのお楽しみだ。桂米朝さんの落語が子供のころから好きで、ちょいちょい出かけるホール落語(寄席や演芸場ではなく劇場やホールで開催される落語会)のなかでももっとも回数多くきいているのがこの一門会だ。約3年ぶりの今回も、一門若手、中堅の「ちりとてちん」や「遊山船」などで大笑いし、とりの米團治さんの「子は鎹」には泣かされて、たっぷりと楽しませてもらった。大入り袋がでたそうで、芸能の興行がコロナ禍から脱していくのを見るのもうれしい。
 桂米朝さんは1925年の生まれなので、私が落語を好きになった小学生のころはまだ40代だったことになるが、テレビで観る姿はすでにまぎれもない大名人、大御所の風格を漂わせていたように思う。戦後噺家が激減し上方落語が存続の危機となるなか、その伝統を必死に守り、新たに発展させた立役者の一人といわれている。89歳で亡くなるまで上方落語の魅力を体現する大きな大きな存在だった。ご長男の米團治さんが一門の中核となり父親譲りの語り口をきかせてくれることがうれしく、頼もしく、すこし大げさかもしれないが、米朝・米團治父子と同じ時代を生きる幸せを感じている。ざこばさんも南光さんも、いつまでもいつまでも活躍してほしいと思う。
 7月最初の日曜日、南座で一門会を堪能した後、知恩院さん近く白川のほとりの「ぎをん森幸」で食事をした。近年食の界隈で話題の京都の中華料理のなかでも人気が高いお店で、前から行きたいと思っていた。店に入るとテーブル席でも座敷でも何組かの家族連れが、それはそれはにぎやかに食事を楽しまれている。搾菜や海鮮の炒め物とともに「鶏の甘酢」をオーダーする。鶏の胸肉を酢豚のような味付けで仕立てた一皿だと思うが、油っこくなくあっさりしていて、筍や山芋が入っているし、だしの味も感じられて和食のようだと思ったりする。いわゆる京都の中華は、けっしてスパイシーでなくニンニクや油もひかえめというか、ほとんど感じられないくらいで、他の街の中華料理とはあきらかに一線を画している。
 じつは京都在住のライター、姜尚美さんの『京都の中華』(幻冬舎文庫)に触発された部分大である。私も含めて人々がぼんやり感じていた京都中華の存在と意味を、定義し可視化することに見事に成功しておられる。ていねいな取材と達者な本づくりに敬意を表したい。この本を読むと、京都中華のなりたちと、街の人々との関係性を理解することができ、すぐにでも京都に行って店々で食べたくなる。ぜひ一読をおすすめしたい。
 2022年夏、京都に祇園祭が帰ってきた。3年ぶりに山鉾巡行も行われるそうだ。八坂神社から南座、高島屋の界隈にも提灯があり、さまざまな飾り物があり、祭りの風情にあふれている。
 おそるおそる、そしてすこしずつだけれど、心浮き立つ京都の夏だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?