【読書】『悲しき熱帯』 レヴィ=ストロース著 川田順三訳 中央公論社 1977年
レヴィ=ストロースの著作は一度は読んでおかねばならない、と思いつつ30年以上経過していた。これまで読んできた高野秀行の本にも、石田ゆうすけの本にも名前が出ていた。
30年以上前にロウイングという競技に没頭していた際に、「構造主義」という言葉に触れた。正しい「構造主義」であったとは思えないが、ロウイングという競技に限らず、様々な競技について整理したことがあり、これを構造化と思っていた。レヴィ=ストロースが構造主義の祖であることは知っていたが、著作を読んだことはなかった。
レヴィ=ストロースのどの本を読むのか。
真っ先にでてくるのは本書であると思う。
本書の最初にレヴィ=ストーロスの教え子である翻訳者の「二十二年の後にーレヴィ=ストロースに聞くー」が書かれている。この中でレヴィ=ストロースは以下のとおり語った。
「まったく職業生活の枠外で書いたもので、一生のうちに一度だけ、頭に浮かぶことすべて、それが正しいか正しくないか、十分裏付けのあるかないかなど、一切願虜せずに物語ってみようと思って書いた本です」(二十二年の後に XXiV)
本書は学術書ではなく、彼の「感じたままを書き付けてみようと」した本である。
本書の初めは彼の体験した航海、そして彼がどうやって熱帯(ブラジル)に行くことになった経緯を高等学校卒業時からたどってみたりとモノローグが続く。
特に、ブラジルに行く船の準備を整えてからの「冗長な前置き」は本書を読むことを止めようかと思わせるほどだ。
ここは個人的に修飾が多い冗長な文を読み通す能力が低いためであり、読む人によって感想はかわってくるはずだ。
さて、第五部からブラジル奥地の四つの部族について、レヴィ=ストロースの冒険譚、民俗学的見たてが綴られている。ここは、一気に読み通すことができた。
レヴィ=ストロースの博識から部族について様々な見方、例えば北アメリカや南米のインディオとの共通の風習に思いを馳せる。
何より当時(1935年)の民族学者がブラジル奥地を旅して、危機に遭遇し、いかにしてそれを乗り越えるか。例えとしてはどうかと思うが、まるで映画「インディー・ジョーンズ」に出てくるシーンを思い起こさせるものがある。
そして、「回帰」として、また本人は書いていないが「冗長」が続く。
確かに本書を通じての結論はないが、レヴィ=ストロース自身の基盤になる思想が窺える内容となっている。特に宗教の比較において仏教に一目を置いている。
ただし、彼は「この本の終わり方の、哲学的、政治的ともいう性格をもった考察の幾つかのものは、私はまったく理解できません。」(二十二年の後に XViii)と述べているが「放置」した、としている。
僕が読んだ本では上下巻650ページに及ぶものであったが、この本の中で唯一線を引きたいな、と思ったところは以下のところになる。
「私の精神は一種の不具といえる特殊な性格を示していて、同一の対象の上に二度集中することがむずかしいのである」(第二部 旅の断章 6.どのようにして人は民俗学者になるかP78)
ここは大きく頷くことができた。
恐れ多いことですが、僕自身のことだから。