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【読書】『藤森照信の現代建築考』 藤森照信 文 下村純一 撮影 鹿島出版会 2023年

週刊朝日に連載されていた藤森照信の「建築探偵考」は「近代建築」ということばを日本語に持ち込んだそうだ。連載開始は1987年。僕が大学を卒業する前年のことだ。そのころ大学の体育会で年間三百日合宿を敢行していた自分にとって、たまに帰る実家に父親の買ってきた週刊朝日で「現代建築考」を読むのが楽しみだったと覚えている。

 藤森は建築史家であり(約四十年前、そういう学問があることすら知らなかった)、現在は四十五才から始めた設計でも大きな評価を受けている。藤森が、「日本のモダニズムに関心」をもち、「フランク・ロイド・ライトから始まり、丹下健三を経て、今も活躍する”野武士”の面々までの建築」(P2)をとりあげている。「日本に建築という新しい表現の領分を開拓した明治初期の辰野金造の夢」として「ヨーロッパに追いつくこと」「日本の伝統を何とかすること」(P2)とあった。

 何だローイングの現在と同じ夢じゃないか。

 建築の世界では、大正の初めにはヨーロッパに追いつき、そして昭和の始めには「追い越す」段階へ第一歩を踏み出しているという(P2)。
 建築家は設計して、その建物が建てられた段階で初めてアウトプットした、と言える。そのアプトプットには、いろいろな流行があり、思想があり、紆余曲折を経ている。そして、先にも名前の出た丹下健三において世界のトップに抜きん出て、彼は「追い越し」と「日本の伝統」のふたつを一緒に実現したのだった(P3)。

 もちろん、僕は建築はよく知らないし、本書に出てくる建物については一つも知らない。近くまで行っていることはあるけれど、本書を読んで初めて寄ればよかったと後悔する始末。それでも、全編モノクロームの写真(これが時代をぼやけさせてくれる)と藤森のちょっと専門用語をまぶした、そして感じたことを的確につたえるわかりやすい文がとても心地よい。

 先に書いた「ヨーロッパへの追い越し」と「日本の伝統」を軸に戦前から戦後にかけての流れが非常によくわかる。何でもローイングに結びつけてしまうのは悪い癖だと思うけれど、僕らは考えなさすぎているのかもしれない。
 僕は、ローイングに限らず、スポーツに関わる選手は(団体としては監督、コーチ、関係者みな入ると思う)芸術家と同じく、自分を表現する手段としてそのスポーツに取り組んでいると思う。それは、美しさだけでなく、爆発する(岡本太郎的な)というプラスの表現もあれば、迷いや失敗などのマイナスの表現も含めたことだ。
 「考えるな、感じろ」という表現もあり、それを理解する一方で自分の取り組んでいること、取り組んでいたことについて、整理し、そしてそれをまとめておく、ということは大切だと思う。

 本書はどの建築も写真と文で数ページで終わる。一つ一つで語られることは少ないけれど、全体を通して、現代建築の中にあった美しさ、爆発、そして迷い、失敗といったものが分かる。そして初めてだったり、久しぶりに会った建築に対して、藤森はいぶかしく思っていたことが解決したり、めったにないものを見つけたりしている。

 読み終えたあと、来月(9月)にインカレがあるので、久しぶりに腰を据えて観戦しようかな、と思った。

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