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SNS時代のコミュニティ

箕輪編集室さんの、「みんなの居場所を作ろう! 明日も頑張ろう会」の記事を読んで、とても共感しました。私もオンライン・コミュニティ”Shut Up & Write"を運営しながら、つながることの大切さを実感しています。今回は、なぜオンラインコミュニティが必要なのか、について、市民社会の観点から考えてみました。

耐えがたい孤独、満たされない帰属欲求

SNSでの誹謗中傷が常軌を逸している、と確信するような事件が相次いでいる。会ったこともない人達が徒党を組んで、有名人や時の人を、日常では決して用いない言葉で傷つけ、哀しい結末に追い込んでいる。何が彼らを狂気に駆り立てるのか?個人化した現代社会に潜む孤独と、新たなコミュニティの形について考える。

個人主義の明暗:自由が生む孤独

現代社会では全体よりも個が重んじられているが、個人主義は煩わしい対人関係から解放され、自分の意志や利益を追求することに集中できる反面、個人主義を選択した者は、精神的、経済的不安定に耐えなければならない。20世紀なら、近所づきあいなどで不自由を感じる代わりに享受するものもあった。例えば、夜遅く帰った次の日に近所の人に「昨日の夜はどこ行ってたの?」などとあいさつ代わりに聞かれてうるさいと感じることがあるものの、味噌や醤油が切れた時には貸してもらったり(実際は返さずにもらっている)、大家に家賃滞納を許容してもらえるなどの援助を受けることができる関係があった。しかし、生活様式の多様化によって核家族や単身世帯が増えることにより個人化が進み、周りの目や近所のしがらみから解放された代わりに、困ったことが起こっても周りに助けを求めづらい社会が形成されてきた。我々は自由を手に入れた代償として、孤独とそれによる不安に耐えることが要求されているのである。

満たされない欲求:帰属と承認

孤独による不安は情緒不安定を生み、普段であれば抑制される行動が制御できず、極端な行動に人々を駆り立てる。なぜか?それは、人間はひとりでは生きていけない生き物だからである。基本的欲求が満たされ、生存が保障された後に人が求めるのは、帰属欲求と承認欲求である。「私はこのグループの一員である、ここでは私の存在が認められている」、という安心感を欲することは、人間の強い欲求なのである。しかし個人主義が進む現在では、家庭でさえ帰属欲求を満たさない。また、個人主義で自由を味わった者は、他者との関わりは煩わしい干渉と考えるようになり、実社会の集団に属することに躊躇する。このとき、現在の複雑かつ多様化した社会で人々の帰属欲求を満たすのが、SNSである。SNSは、不安を解消したい個人主義にとっては、非常に便利なツールである。SNSのユーザーは、同じプラットフォームを何度も訪れることで、そこを自分の居場所と認識するようになる。そして、そこで自分の存在を認められることが、実社会で満たされない孤独への対処療法となっているのである。

大義名分としての「正義」

行き過ぎた個人主義によって社会的に孤立した人々は、過激な行動に引き込まれやすい。また、直接関係を持たず匿名の個人が組織を形成することなく群れることで、行動に歯止めが利かなくなり、社会的規範が崩壊する。これを大衆行動あるいは大衆社会と呼ぶ。大衆行動は、過激な思想に追随しやすい特徴がある。この顕著な例が1930年代から1940年代にみられるファシズムであるが、現在では同じような傾向をインターネット上にみることができる。今日の社会では、孤独にさいなまれた人たちが、SNSというプラットフォームに集うことで集団が生まれる。このとき、集団のなかで掲げられる思想の一つが「正義」である。彼らの中では、正義は悪の対義であり、これが受け入れられないわけはない、という理屈になる。そして、世間の道理から外れた者を、正義の名目のもとに集団で攻撃するようになる。集団に属することで、彼らの帰属意識は満たされる。しかし、孤独感が大きければ大きいほど、彼らの承認されたい気持ちも大きくなる。いきおい、正義を訴える論調が厳しくなる。顔が見えない、個人が特定されないという状況も、激しい口調に拍車をかける。こうした承認されたいと願う者の正義を唱える声が、ついには常軌を逸することになり、最悪の場合は悲劇を生む。

帰属欲求に必要な新たなコミュニティ

コロナによって、様々な人間関係がオンライン上に形成されつつある。これは時代の流れなので抗えない。しかし、人間の他者とのつながりに対する欲求は普遍的なものである。孤独によるインターネット上の大衆行動を防ぐためには、人の結びつきの新たな形を、急いで構築する必要がある。オンライン飲み会なども一例だが、これは実社会上にすでに築かれたコミュニティがオンラインに移行しただけで、孤立した人たちの救済とはならない。このような背景のなか、不特定多数の人が、決まった時間に特定のオンライン上のプラットフォームに集う動きが表れている。直接会うことがないため密接な関係を構築することはないが、お互いに認識しあうことで帰属欲求を満たすことができる。集まった人たちは見慣れた顔を見てほっとする。また来てくれたんだね、集まれてうれしかったよ、といった声かけが、お互いの承認欲求を満たす。簡単なようだが、孤独化した現代社会に最も必要なものである。こうしたオンライン・コミュニティが多く生まれ多様化することで、自分に適した居場所を見つけることができる。SNSで他者を攻撃する人は加害者であり、現代社会における行き過ぎた個人主義の被害者でもある。彼らを救済し、孤立化をこれ以上広げないためにも、現在の生活様式に適した新たなコミュニティの構築が急務である。


参考文献
STEVEN M. BUECHLER Mass society theory
コトバンク 大衆社会 
Yahoo Japan ニュース ネットの誹謗中傷、参加するのは「ネットユーザーの1%未満」 コロナで増加、その実態は?
山田昌弘 家族の個人化
Ferret マズローの欲求5段階説







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