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【神の王国】⑤王国を相続できない者



神の王国を相続できない者(新天新地の都に入れない者)

聖書において、神の王国を相続できない者(新天新地の都に入れない者)は、次のように記されています。
※「新天新地の都」とは、「聖なる都、新しいエルサレム」です(黙示録21:2)。

1. 神の王国を相続できない者

コリント人への第一の手紙 6章9-10節
それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

ガラテア人への手紙 5章19-21節
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

エペソ人への手紙 5章5節
あなたがたは、よく知っておかねばならない。すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない。

2. 新天新地の都に入れない者

ヨハネの黙示録 21章8節
しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。

ヨハネの黙示録 21章22-27節
しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。

ヨハネの黙示録 22章12-15節
犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。


これらの聖句は、神の王国を相続できない者と新天新地の都に入れない者を端的に述べています。これらに列挙されたものは、次のとおり四つの区分に分類することができます。カッコ内の数字は列挙した聖句での言及回数です。

(1) 性的堕落
不品行(3)、姦淫(3)、男娼(1)、男色(1)、汚れ(3)、好色(1)、忌む(2)、犬ども(1)

(2) 異教迷信的行為
偶像礼拝(5)、まじない(3)

(3) 社会的堕落
盗む(1)、貪欲(2)、そしる(1)、略奪(1)、敵意(1)、争い(1)、そねみ(1)、怒り(1)、党派心(1)、分裂(1)、分派(1)、ねたみ(1)、おくびょう(1)、信じない(1)、人殺し(2)、偽り(3)

(4) 放蕩享楽的行為
酒酔(1)、泥酔(1)、宴楽(1)

これらの分類について、以下で説明します。


【1】聖書における「性的堕落」

聖書における「性的堕落」という概念は、神の教えや道徳的基準に反する性的行動や態度を指します。このテーマは、聖書全体で繰り返し取り上げられており、神との関係や人間同士の関係の健全性において重要とされています。

1. 姦淫

結婚の契約に対する不貞行為です(出エジプト20:14)。姦淫は、神が定めた結婚の神聖さを破壊するとされます。

出エジプト記 20章14節
あなたは姦淫してはならない。

 

2. 淫行

結婚外の性行為全般を指します(1コリント6:18)。新約聖書では、「ポルネイア」(πορνεία)というギリシャ語が使われ、性的不道徳全般を意味します。

コリント人への第一の手紙 6章18節-7章2節
不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。
さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい

3. 同性愛

聖書には同性愛行為に対する否定的な言及があります。レビ記18章22節やローマ人への手紙1章26-27節では、男女の間で結ばれるべき関係が、神の創造の秩序(マルコ10:6)に従うべきだとされ、同性愛はその秩序に反すると記されています。

レビ記 18章22節
あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。

ローマ人への手紙 1章26-27節
それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、彼らの中の女は、その自然の関係を不自然なものに代え、男もまた同じように女との自然の関係を捨てて、互にその情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなし、そしてその乱行の当然の報いを、身に受けたのである。

マルコによる福音書 10章6-8節
しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。それゆえに、人はその父母を離れ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。

4. 近親相姦・獣姦

レビ記18章では、家族間や動物との性的関係が禁じられています。
 
5. 売春や性的取引

売春や性的な搾取も批判されています(申命記23:17-18)。

申命記 23章17-18節
イスラエルの女子は神殿娼婦となってはならない。またイスラエルの男子は神殿男娼となってはならない。娼婦の得た価または男娼の価をあなたの神、主の家に携えて行って、どんな誓願にも用いてはならない。これはともにあなたの神、主の憎まれるものだからである。

6. 心の中の不純さ

イエスは、心の中の欲望も罪であると教えています(マタイ5:27-28)。

マタイによる福音書 5章27-28節
『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。

 7. モラルの堕落と神の裁き

聖書の中で、堕落的な性的行動は神の怒りを引き起こし、裁きに至る原因とされています。例えば、ソドムとゴモラの都市は、性的堕落や不義が極まり、神によって滅ぼされたとされています(創世記19章)。この出来事は、堕落の結果として神の裁きが下るという警告として解釈されています。


【2】聖書における「異教的迷信的行為」

聖書における異教的迷信的行為は、神の意志や約束に反する宗教的な実践や信仰に関わるものを指し、これらは神に対する背信行為と見なされます。
聖書は、信者が神以外の存在を崇拝することや、迷信や占い、魔術などの行為に関わることを強く戒めています。以下に、異教的・迷信的行為の具体的な例を挙げます。

1. 偶像崇拝

偶像崇拝は聖書における最も重要な異教的行為の一つであり、神に対する背信行為として非難されています。
聖書は、神以外の神々や像を崇拝することを強く禁じています。例えば、十戒の中で「あなたにはわたし以外に神があってはならない」と命じられ(出エジプト20:3)、偶像を作って拝むことを禁じています(出エジプト20:4-5、レビ26:1、申命5:8-9)。
偶像崇拝は神への不忠実とされ、その結果として罰が下ることが示されています(列王上18:21-40、エゼキエル14:4-5)。

出エジプト記 20章3-5節、申命記 5章8-9章
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。

レビ記 26章1節
あなたがたは自分のために、偶像を造ってはならない。また刻んだ像も石の柱も立ててはならない。またあなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしはあなたがたの神、主だからである。

エゼキエル書 14章4-5節
それゆえ彼らに告げて言え、主なる神は、こう言われる、イスラエルの家の人々で、その偶像を心の中に持ち、その顔の前に罪に落しいれるところのつまずくものを置きながら、預言者のもとに来る者には、その多くの偶像のゆえに、主なるわたしは、みずからこれに答をする。これはその偶像のために、すべてわたしを離れたイスラエルの家の心を、わたしが捕えるためである。

2. 占い・魔術

占いや魔術、呪術は迷信的行為とされ、これらも神の意志に反する行為として強く非難されています。「占い」とは未来を知ろうとする試みであり、「魔術」や「呪術」とは霊的な力を使って影響を及ぼそうとする行為です。
旧約聖書では、これらの行為は神が許さないものであり、神に対する信頼を失わせるものとされています。例えば、レビ記19章26節や申命記18章10-12節では、占いや魔術、霊媒(死者との交信)などの行為が禁じられています。
また、新約聖書では、ガラテヤ人への手紙5章19-21節や使徒行伝19章19節で、魔術や占いが罪として挙げられています。

レビ記 19章26節
あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。

申命記 18章10-12節
あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者ぼくしゃ(占い師)、易者えきしゃ、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ(神降ろし)、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。

ガラテヤ人への手紙 5章19-21節
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

使徒行伝 19章19節
それから、魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀五万にも上ることがわかった。

3. 霊媒・死者との交信

霊媒や死者との交信、霊的な存在との接触(霊感商法や霊的儀式を含む)も聖書では忌避されています。
神の民は、死者との交信や霊的な存在との接触を試みることは禁じられており、これらの行為は神に対する不誠実な行為と見なされています。例えば、サムエル記上28章で、サウル王が死者を呼び出そうと霊媒に依頼し、その結果が悲劇であったことが描かれています。

4. 占星術と天体観測

占星術や天体を利用して運命を占う行為も異教的な実践とされています。
古代の多くの文化では、星や天体の動きが人々の運命に影響を与えると信じられていましたが、聖書はこうした迷信的な行為を否定しています。例えば、イザヤ書47章13-15節やエレミヤ書10章2-3節では、占星術師や天文学的な予測が神から離れる行為として非難されています。

イザヤ書 47章13-15節
あなたは多くの計りごとによってうみ疲れた。かの天を分かつ者、星を見る者、新月によって、あなたに臨む事を告げる者を立ちあがらせて、あなたを救わせてみよ。
見よ、彼らはわらのようになって、火に焼き滅ぼされ、自分の身を炎の勢いから、救い出すことができない。その火は身を暖める炭火ではない、またその前にすわるべき火でもない。あなたが勤めて行ったものと、あなたの若い時からあなたと売り買いした者とは、ついにこのようになる。彼らはめいめい自分の方向にさすらいゆき、ひとりもあなたを救う者はない。

エレミヤ書 10章2-3節
主はこう言われる、「異邦の人の道に習ってはならない。また異邦の人が天に現れるしるしを恐れても、あなたがたはそれを恐れてはならない。異邦の民のならわしはむなしいからだ。

5. 神々への犠牲や儀式的行為

異教の神々への生け贄や儀式的行為も聖書では禁じられています。例えば、モーセの律法(レビ記、申命記)では、神殿や祭壇における神々への生け贄や犠牲が厳しく定められ、これらは唯一の真の神に捧げるものであるとされました。しかし、他の神々への犠牲や儀式的行為は忌避され、神の裁きが下る対象とされました(申命12:30-31、列王下21:6)。

申命記 12章30-31節
あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって行い、むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。

列王記下 21章6節
またその子を火に焼いてささげ物とし、占いをし、魔術を行い、口寄せと魔法使を用い、主の目の前に多くの悪を行って、主の怒りを引き起した。

6. 神以外の力を求める

神以外の力を求める行為(例えば、呪文や護符、宗教的な儀式など)も異教的とされ、聖書では神以外の力に頼ることは罪と見なされます。神に信頼し、神の導きを求めることが強調されています。
イザヤ書8章19-20節では、神を離れて他の力を求めることは暗闇に落ちることだと警告されています。

イザヤ書 8章19-20節
人々があなたがたにむかって「さえずるように、ささやくように語る巫子および魔術者に求めよ」という時、民は自分たちの神に求むべきではないか。生ける者のために死んだ者に求めるであろうか。ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。

7. 心の中の偶像

聖書は外面的な偶像崇拝だけでなく、心の中で神以外のものを偶像とすることも堕落とみなしています。
エゼキエル書14章3-8節では、心に偶像を置くことが神に対する冒涜とされています。また、コロサイ人への手紙3章5節では、物質的な欲望や地上のものを偶像化することも警告されています。

エゼキエル書 14章3-8節
「人の子よ、これらの人々は、その偶像を心の中に持ち、罪に落しいれるところのつまずきを、その顔の前に置いている。わたしはどうして彼らの願いをいれることができようか。それゆえ彼らに告げて言え、主なる神は、こう言われる、イスラエルの家の人々で、その偶像を心の中に持ち、その顔の前に罪に落しいれるところのつまずくものを置きながら、預言者のもとに来る者には、その多くの偶像のゆえに、主なるわたしは、みずからこれに答をする。これはその偶像のために、すべてわたしを離れたイスラエルの家の心を、わたしが捕えるためである。
それゆえイスラエルの家に言え、主なる神はこう言われる、あなたがたは悔いて、あなたがたの偶像を捨てよ。あなたがたの顔を、そのすべての憎むべきものからそむけよ。イスラエルの家の者およびイスラエルに宿る外国人のだれでも、わたしから離れ、その心に偶像を持ち、その顔の前に罪に落しいれるところのつまずきを置きながら、預言者に来て、心のままにわたしに求めるときは、主であるわたしは、みずからこれに答をする。わたしはわたしの顔を、その人に向け、彼を、しるし、およびことわざとなし、これをわが民のうちから断ち滅ぼす。その時、あなたがたはわたしが主であることを知るようになる。

コロサイ人への手紙 3章5節
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。


【3】聖書における「社会的堕落」

聖書における「社会的堕落」とは、社会や共同体の中で道徳的、倫理的な秩序が崩れ、神の意志に反した行動や価値観が広がることを指します。
聖書では、社会的堕落が神に対する背信や不正、暴力、貧困層の抑圧、正義の欠如などと結びついて描かれています。
社会的堕落は、個人の道徳的堕落だけでなく、社会全体の価値観や構造が神の義に反する形で変化した状態を指します。
以下に、聖書における社会的堕落の具体的な例を挙げてみます。

1. 不正義と不道徳

聖書では、社会における不正義が神に対する大きな罪として非難されています。神の律法に基づく公正や正義が守られない場合、社会は堕落したとされます。特に、貧困層や弱者の権利が軽視されたり、権力者や富裕層によって不正が行われることが問題視されます。例えば、アモス書やイザヤ書などでは、社会的な不正が神の怒りを招く原因として描かれています。

イザヤ書 1章23節
あなたのつかさたちはそむいて、盗びとの仲間となり、みな、まいない(賄賂わいろ)を好み、贈り物を追い求め、みなしごを正しく守らず、寡婦の訴えは彼らに届かない。

アモス書 5章11-12節
あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から麦の贈り物をとるゆえ、あなたがたは切り石の家を建てても、その中に住むことはできない。美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲むことはできない。
わたしは知る、あなたがたのとがは多く、あなたがたの罪は大きいからである。あなたがたは正しい者をしえたげ、まいないを取り、門で貧しい者を退ける。

ここでは、不正取引や賄賂、貧しい者を軽視する社会の状況が厳しく糾弾されています。

2. 暴力と無秩序

社会的堕落は暴力や無秩序の蔓延にも関係しています。
聖書では、暴力的な行動や殺人が社会に広がることを警告しています。創世記には、カインが弟アベルを殺す話があり、これが暴力の最初の事例として示されています。
神は人々が暴力的な行動に走ることを厳しく非難し、平和と秩序を守ることを求めています。

創世記 6章11-13節
時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。

イザヤ書 59章3-4節
あなたがたの手は血で汚れ、あなたがたの指は不義で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、あなたがたの舌は悪をささやき、ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。
彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。

暴力や無秩序が広がることによって、社会が堕落し、神の裁きが下ることが強調されています。

3. 貧困層の抑圧

聖書では、貧しい者や弱い者を抑圧することが社会的堕落と見なされています。特に、経済的な搾取や社会的不平等が問題視されています。
神は貧しい人々に対して公正を求め、社会の中で最も弱い立場にある人々を守るよう命じています。

イザヤ書 10章1-2節
わざわいなるかな、不義の判決を下す者、暴虐の宣告を書きしるす者。彼らは乏しい者の訴えを引き受けず、わが民のうちの貧しい者の権利をはぎ、寡婦の資産を奪い、みなしごのものをかすめる。

エゼキエル書 22章29節
国の民はしえたげを行い、奪うことをなし、乏しい者と貧しい者とをかすめ、不法に他国人をしえたぐ。

社会が富裕層や権力者に有利な方向に偏り、貧しい者が無視されたり搾取されたりすることは、神の眼には堕落とみなされます。

4. 偶像崇拝と道徳的腐敗

社会が偶像崇拝に陥ると、その文化や道徳が堕落するという警告が聖書にはあります。
偶像崇拝は、単に物理的な像を崇めることだけでなく、人々の心の中で神以外のものを最も重要な存在とすることも含まれます。これが広がることによって、道徳的な価値が崩れ、社会が堕落することが描かれています。

エゼキエル書 16章47-49節
あなたは彼らの道を歩まず、彼らの憎むべき事に従っていないが、しばらくすると、あなたのおこないは、彼らよりもさらに悪くなる。主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたの妹ソドムとその娘たちは、あなたとあなたの娘たちがしたほどのことはしなかった。見よ、あなたの妹ソドムの罪はこれである。すなわち彼女と、その娘たちは高ぶり、食物に飽き、安泰に暮していたが、彼らは、乏しい者と貧しい者を助けなかった。

イザヤ書 2章8節
また彼らの国には偶像が満ち、彼らはその手のわざを拝み、その指で作ったものを拝む。

ソドムとゴモラの例(創世記19章)や、イスラエルが偶像を崇拝することによって神の怒りを引き起こす場面が描かれ、偶像崇拝が社会的堕落の象徴として使われています。

5. 偽りと欺瞞

社会的堕落には偽りや欺瞞が蔓延することも含まれます。虚偽をもって他人を欺くことや、偽の約束を交わすことは、社会の倫理的基盤を崩す行為とされます。神は、正直で誠実な関係を築くことを求めており、嘘や欺きは神の怒りを引き起こすとされています。

箴言 6章16-19節
主の憎まれるものが六つある、否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、罪なき人の血を流す手、悪しき計りごとをめぐらす心、すみやかに悪に走る足、偽りをのべる証人、また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。

イザヤ書 59章4節
ひとりも正義をもって訴え、真実をもって論争する者がない。彼らはむなしきことを頼み、偽りを語り、害悪をはらみ、不義を産む。


【4】聖書における「放蕩享楽的行為」

聖書における「放蕩享楽的行為」とは、自己中心的で道徳的に堕落した生活様式や行動を指し、特に物質的な快楽や欲望を追求することに焦点を当てています。これらの行為は、神の意志や道徳的規範に反するものとして非難されています。放蕩享楽的行為は、神から与えられた生き方や目的を無視し、無秩序で自己満足を追求する姿勢が強調されています。

1. 放蕩享楽的行為の主な特徴と聖書における言及

(1) 肉体的欲望の追求
放蕩享楽的行為の中心には、肉体的欲望や快楽の追求があります。
聖書は、人間が自分の肉体的な欲望に支配されて生きることを警告しており、特に不道徳な性的行為や過度な飲酒、暴食などが非難されています。

ガラテヤ人への手紙 5章19-21節
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。

エペソ人への手紙 5章18-19節
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。

ここでは、肉体的な快楽を追い求めることが放蕩(浪費)であり、それが神の意志に反することを示しています。

(2) 過度の飲酒と宴会
聖書では、過度の飲酒や宴会が放蕩的な行為として非難されています。
過度な飲酒やその結果として引き起こされる無秩序な行動や暴力は、自己制御の欠如を示し、神の教えに反するものとして警告されています。

箴言  23章20-21節
酒にふけり、肉をたしなむ者と交わってはならない。酒にふける者と、肉をたしなむ者とは貧しくなり、眠りをむさぼる者は、ぼろを身にまとうようになる。

ルカによる福音書 21章34節
あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。

このように、飲み過ぎや放蕩的な生活が警告され、心を乱すものとして強調されています。

(3) 金銭的な浪費と贅沢
放蕩享楽的行為には、金銭や財産を無駄に浪費することも含まれます。
聖書は、贅沢を追求することが神の意図に反することを警告し、物質主義に対する戒めを述べています。

ルカによる福音書 15章13-14節(放蕩息子の例)
それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。

マタイによる福音書 6章19-21節
あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。

放蕩的な生き方は、物質的なものを過度に求め、最終的にその結果として困窮や後悔をもたらすことを示しています。

(4) 享楽的な生活様式と道徳的堕落
放蕩享楽的行為は、道徳的な堕落を伴うことが多いです。
聖書では、放蕩的な生活が社会全体に悪影響を及ぼし、神との関係を断絶させる原因となることが強調されています。

ローマ人への手紙 13章13-14節
そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

ペテロの手紙第二 2章18-19節
彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである

放蕩的な生活は、道徳的な堕落を引き起こし、他者を誘惑し、共同体の中で悪しき影響を与えるものとされています。

(5) 神への背信
放蕩享楽的行為は、神への信仰を無視し、自己中心的な生活を追求することで、最終的に神から離れる原因となります。
聖書では、神との関係が最も重要であり、肉体的な快楽や享楽を追い求めることは、神に対する背信行為と見なされます。

ヤコブの手紙 4章4節
不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。

エペソ人への手紙 2章3節
また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。

放蕩的な生き方は、自己中心的で神を無視する結果となり、そのような生活が神から離れる原因となるとされています。

2. 放蕩享楽的行為に対する聖書の教え

聖書では、放蕩享楽的行為を避け、自己を制御し、神の意志に従った生活を送ることを強調しています。神は、肉体的な欲望を超えて、霊的な価値に焦点を当てた生活を求めています。

ガラテヤ人への手紙 5章22-23節
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。

コロサイ人への手紙 3章5節
だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

神の御霊に従うことが、肉体的な快楽を超え、霊的に豊かな人生を送る鍵とされています。


【5】まとめ

(1) 聖書における「性的堕落」
聖書における性的堕落は、神が創造した秩序に反する行動や価値観に基づくものであり、神との関係における不正や不信の象徴とされています。そのため、聖書は性的行動に関して、純潔や誠実を重視し、神の意志に従った関係を求めています。

(2) 聖書における「異教的・迷信的行為」
聖書における異教的・迷信的行為は、神に対する忠実さを欠く行為として強く非難されています。神は唯一の真の神であり、その力と導きに信頼することが求められています。占いや魔術、偶像崇拝、霊媒などの行為は、神の意志に反するものであり、罪として扱われています。

(3) 聖書における「社会的堕落」
聖書における社会的堕落は、道徳的・倫理的な規範が崩れ、不正、暴力、貧困層の抑圧、偶像崇拝、欺瞞などが蔓延する状況を指します。聖書は、正義、公平、誠実、貧しい者や弱者への配慮を重視し、これらが社会に広がることによって神の怒りが引き起こされると警告しています。社会的堕落は、個人の罪だけでなく、共同体全体の道徳的な堕落を示すものとして描かれています。

(4) 聖書における「放蕩享楽的行為」
聖書における放蕩享楽的行為は、自己中心的で物質的な欲望を追い求め、神の意志から離れる生き方を指します。過度な飲酒、淫行、物質的な浪費、道徳的堕落などは、神に反する行為として強く非難されています。聖書は、自己制御、神との正しい関係、霊的な価値を重んじ、肉体的な欲望を超えて生きるように教えています。



シリーズ【神の王国】全5回
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