【神の王国】③聖徒と信者
【1】聖徒と信者とは同じか?
「聖徒」と「信者」は似た概念ですが、聖書において文脈によって区別されています。以下、それぞれの意味や関係性について説明します。
1. 聖徒と信者の定義
(1) 信者(Believer)
信者とは、イエス・キリストを救い主として信じる者を指します。
すべてのクリスチャン(キリストを信じる者)は信者と見なされます(ヨハネ3:16、ローマ10:9)。
信者には、信仰の成熟度や霊的状態に関係なく、キリストを受け入れた人すべてが含まれます。
(2) 聖徒(Saint)
聖徒は、文字通り「聖なる者」や「神に聖別された者」という意味です(ギリシャ語:ハギオス)。聖徒は、信者の中でも特別に神に召され、神の働きや使命のために聖別された者とされます。
新約聖書では、「聖徒」という語はクリスチャン全体を指して使われることもあります(エペソ1:1)。一方で、特に成熟した信仰者や、特別な使命を持つ者を指す場合もあります。
2. 聖徒と信者の共通点
【イエス・キリストによる救い】:聖徒も信者も、キリストの贖いによって救われます。
【神に属する者】:聖徒も信者も、神の家族の一員であり、神の国の民です(ピリピ3:20)。
3. 聖徒と信者の違い
(1) 霊的成熟度
①信者
信者には、信仰が芽生えたばかりの者や、霊的に未熟な者も含まれます(ヘブル5:12-14)。
信仰生活を始めたばかりの段階にいる信者も多くいます。
②聖徒
聖徒は、信仰が成熟し、神の御心に従って生きる者を指す場合があります(1コリント1:2)。
特に、義と聖なる生活を追求し、神との親密な関係を保つ者が聖徒として特別視されます。
(2) 使命と役割
①信者
信者全員がキリストに召されていますが、その役割は異なります。
多くの場合、信者の中には特定の霊的使命を担わない人々も含まれます。
②聖徒
聖徒は、神の特別な目的のために召され、神の働きに従事する者を指すことがあります。
例えば、使徒や殉教者、千年王国における統治者としての役割を担う者が含まれます。
(3) 新約聖書での用法
パウロの手紙では、「聖徒」という語は頻繁に使われています(手紙の冒頭のあいさつ)。聖徒には「召された」とあったり、聖徒と兄弟に対して「忠実」とあったり、聖徒≠信者、聖徒=信者の表現が混在しています。
黙示録では、「聖徒」が特に霊的に勝利した者や殉教者を指すニュアンスが見られます(黙示録14:12)。
4. 千年王国の統治に関して
(1) 聖徒が統治者として選ばれる
千年王国においてキリストと共に統治するのは、信者全体ではなく、特別な要件を満たした「聖徒」です。
以下のような要件を満たす者が聖徒として選ばれると考えられます。
霊的勝利を得た者(黙示録2:26-27)
殉教者(黙示録20:4)
忠実に神の使命を果たした者(マタイ25:21)
(2) 信者全体の位置づけ
信者全体が千年王国で直接統治者となるわけではありません。
多くの信者は、地上的な民(神の民)として存在し続けるか、あるいは新天新地での最終的な祝福を待つ段階にあると解釈されます。
5. 聖徒と信者の関係性
信者の中から、特別な使命や霊的成熟を持った者が「聖徒」として選ばれる。
聖徒は、信者の模範となる存在であり、王国の統治を補佐する役割を担います。
すべての聖徒は信者ですが、すべての信者が聖徒の役割を担うわけではありません。
【2】亡くなった信者は、第一の復活に預かり、千年王国の統治者になるか?
亡くなった信者は、第一の復活に預かり千年王国の統治者になるかどうかについては、聖書の記述からいくつかのポイントを整理する必要があります。この問題は、第一の復活がどの範囲の信者を対象にしているかに関わります。
1. 第一の復活の対象者についての聖書の記述
(1) 黙示録 20章4-6節
第一の復活に預かる者について、黙示録は以下のように述べています。
「イエスの証しのゆえに首をはねられた人々」
「獣やその像を拝まず、額や手にその刻印を受けなかった人々」
「彼らは神とキリストの祭司となり、千年の間、キリストと共に王として治める。」
これに基づくと、第一の復活は特に以下のような条件を満たす信者に限定されるように見えます。
【殉教者】:信仰のために命を捧げた者。
【終末の大患難を信仰を守り抜いて生き抜いた者】:偶像崇拝や獣の刻印を拒否した者。
この記述は、すべての信者が第一の復活に預かるわけではないことを示唆しています。
2. 第一の復活の範囲に関する議論
(1) 狭義の解釈:特別に選ばれた聖徒のみ
第一の復活は、特に忠実で霊的に成熟した信者、殉教者、終末において勝利を収めた信者に限定されると解釈される場合があります。
この解釈によると、信仰を持って亡くなったものの霊的成熟が不十分である信者は、この復活に預からない可能性があります。
(2) 広義の解釈:信者全体を含む
一部の解釈では、第一の復活がキリストを信じたすべての信者に及ぶとされます。
この場合、霊的成熟度にかかわらず、すべての亡くなった信者が復活して千年王国に入国する可能性があります。
しかし、すべてが統治者となるわけではないとされます。復活後の役割に差があり、「統治者」としての地位を与えられるのは特定の聖徒(霊的に成熟し、忠実な者)に限られると考えられます。
3. 聖徒に選ばれなかった信者の位置づけ
聖書には、信仰の成熟度や忠実さによる報いの違いを示唆する箇所があります。これらを基に、聖徒に選ばれなかった亡くなった信者がどのような位置づけになるのかを考察します。
(1) 役割の違い
①霊的に成熟し、忠実であった信者
第一の復活に預かり、千年王国でキリストと共に「統治者」や「祭司」としての役割を果たす。
②聖徒として選ばれなかった信者
霊的成熟が不十分な場合や、使命を十分に果たせなかった場合、第一の復活に含まれない可能性が考えられます。ただし、これらの信者も最終的な裁きで義と認められる可能性はあります。
新天新地での永遠の命に預かる資格は失わないと解釈されます(ヨハネ5:24)。
(2) 第一の復活に含まれない場合の可能性
聖徒に選ばれなかった信者が千年王国の時点で復活しないとする場合、これらの信者は「第二の復活」(千年王国後の最終的な復活)の際に復活すると考えられます。
この復活では、「いのちの書」に名が記されている信者が義とされ、永遠の命に入ります(黙示録20:11-15)。
4. 統治者になる可能性について
聖書の記述に基づくと、千年王国でキリストと共に統治者となるのは、特に選ばれた聖徒(忠実な信者、殉教者、大患難を乗り越えた者)に限定されるようです。
聖徒に選ばれなかった信者が統治者になる可能性は低いと考えられます。
「第一の復活に預かる者たちは幸いであり、聖なる者である。第二の死は彼らを支配しない。彼らは神とキリストの祭司となり、千年の間、キリストと共に王として治める。」(黙示録20:6)
この記述は、第一の復活に預かる者だけが千年王国の統治者となることを示唆しています。
5. 信者の救いに関する保証
千年王国の統治者にならない信者も、キリストへの信仰によって救いを受けるという点で保証があります。
「キリスト・イエスにある者は罪に定められることがない」(ローマ8:1)。
わたしの言葉を聞き、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠の命を持ち、裁きに遭うことがなく、死から命に移っています(ヨハネ5:24)。
信仰のあるすべての信者は最終的に永遠の命を得ますが、役割や報いには違いがあるという理解が広く支持されています。
【3】まとめ
「聖徒」と「信者」は重なる部分がありますが、すべての信者が聖徒と呼ばれるわけではありません。特に、千年王国におけるキリストの統治を補佐するのは、信者の中でも特に霊的に成熟し、忠実さを示し、神によって選ばれた聖徒たちです。この区別は、神の計画における役割の多様性を反映しています。
聖徒に選ばれない亡くなった信者は、第一の復活に預かる可能性は低く、千年王国でキリストと共に統治者になるとは考えにくいです。ただし、彼らも最終的な復活(第二の復活)において裁きから免れ、新天新地での永遠の命に参加する約束は保たれています。統治者となるのは特に選ばれた聖徒であり、信仰の忠実さと使命の成就がその基準となると見られます。
シリーズ【神の王国】
「④新天新地の聖徒エルサレム」へと続きます
次回➡️ 【神の王国】④新天新地の聖都エルサレム
おすすめ記事