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【神の王国】④新天新地の聖都エルサレム
【1】新天新地の聖都エルサレムに入れる者と入れない者
新天新地の聖都エルサレムに入れる者と入れない者については、黙示録21章と22章に具体的な記述があります。この区別は、神の聖さと正義に基づくものであり、神の王国の最終的な完成における霊的な真理を表しています。
1. 新天新地の都「聖なる都エルサレム」
黙示録21章27節では次のように記されています。
「この都には、汚れた者、忌むべきことを行う者、偽りを言う者は、決して入ることができない。ただ、子羊のいのちの書に名が記されている者だけが入ることができる。」
また、黙示録22章14-15節では、入れる者と入れない者が具体的に対比されています。
2. 入れる者:義と清さを持つ者
(1) 子羊のいのちの書に名が記された者
この「いのちの書」は、救いを受けた者の名が記される書です(黙示録3:5、黙示録21:27、ルカ10:20)。
ここに名が記されている者は、イエス・キリストを信じ、罪の赦しを受けた者です(ヨハネ3:16-18)。
ヨハネの黙示録 3章5節
5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
ヨハネの黙示録 21章27節
27しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
ルカによる福音書 10章20節
20 しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。
ヨハネによる福音書 3章15-16節
15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。
16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
(2) 神の戒めを守る者
神への忠実さを持ち、義を実践する人々です(黙示録22:14)。
この義は、人間の努力によるものではなく、キリストの贖いによる義を意味します(ローマ3:21-26)。
ヨハネの黙示録 22章14節
14 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。
(3) キリストによって清められた者
都に入る資格は、キリストの血によって清められたことに基づきます(ヘブル12:14、1ヨハネ1:7)。
へブル人への手紙 12書14節
14 すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
ヨハネの第一の手紙 1章7節
7 しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
3. 入れない者:汚れた者、罪を行う者
黙示録22章15節では、都の外に出されている者について、次のように記されています。
ヨハネの黙示録 22章15節
15 犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
(1) 犬ども
聖書で「犬」という表現は、特定の罪深い生活や神を拒む態度を象徴することがあります(申命23:18、フィリピ3:2)。
神に背き、霊的に汚れた状態を表します。
(2) まじないをする者、偶像を拝む者
霊的な不貞行為(神以外のものに依存し崇拝する行為)を指します。
これは神の唯一性に反する行いであり、神の国にふさわしくありません(出エジプト20:3-5)。
(3) 姦淫を行う者、人殺し、偽りを好み行う者
道徳的な堕落、真理を拒む姿勢が含まれます。
彼らは神の正義を拒むため、神の王国に入る資格を持ちません。
4. 新天新地の都に入る条件と象徴
(1) 神の王国の清さ
聖なる都は、神の完全な清さと正義の象徴です。そのため、罪や不義がその中に存在することは許されません。
(2) 選別の理由
神は愛とともに正義を持つ存在であり、すべての罪が解決されない限り、完全な神との交わりは実現しません(ハバクク1:13)。
ハバクク書 1章13節
13 あなたは目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者であるのに、何ゆえ不真実な者に目をとめていられるのですか。悪しき者が自分よりも正しい者を、のみ食らうのに、何ゆえ黙っていられるのですか。
(3) 霊的な意味
入れるか否かは、霊的状態や救いの受容に基づいて決定されます。これにより、神の王国は罪や堕落から完全に守られ、永遠に続く平和と清さが保たれます。
【2】都には入れないが、火の池に入れらない者
新天新地の聖都エルサレムに入れないが、火の池に入れられない者がいるかどうかについては、聖書の解釈においていくつかの可能性があります。以下に考えられる解釈を示します。
1. 火の池に入る者
黙示録20章14-15節では、火の池について次のように記されています。
「死と黄泉は火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。命の書に名が記されていない者は皆、この火の池に投げ込まれた。」
(1) 命の書に名が記されていない者
これは、神の救いを拒み、イエス・キリストを信じなかった者を指します。彼らは最終的に火の池(第二の死)に投げ込まれます。
(2) サタンやその追随者
サタン、獣、偽預言者も火の池に投げ込まれる(黙示録20:10)。
この記述から、火の池は救いを拒んだ者の最終的な運命であると理解されます。
2. 都に入れないが火の池に入らない可能性
黙示録21章27節や22章14-15節では、聖なる都エルサレムに入れる者と入れない者について触れていますが、「都に入れない者」すべてが火の池に入るとは明確に記されていません。このことから、次のような解釈が考えられます。
(1) 千年王国の神の民と諸国の民
千年王国では、キリストと共に統治する者(復活した信者)だけでなく、「大患難を耐え忍んだ神の民」とキリスト再臨後に「羊とされた諸国の民」が存在します。
羊とされた諸国の民やその子孫が新天新地の都に入る資格に到達しなかった(千年の後にサタンの解放で惑わされた)場合、都の外で地上的に生きるという可能性があります。
(2) 白い御座の裁きで救われたが不完全な者
都に入るためには、完全な清さと義が必要とされています(黙示録21:27)。
救いを受けたものの、キリストの贖いを完全には受け入れられず、都の外で神の裁きによって矯正される段階がある可能性があります(黙示録20:12)。
3. 火の池に入れられないその他の解釈
次のような聖書の記述に基づく解釈もあります。
(1) 民族的な救い
例えば、ゼカリヤ書14章では、メシアの支配がすべての民族に及ぶと記されています。しかし、すべての民族がすぐに完全に従うわけではないと解釈されることがあります。
都の外にいる者が、新天新地においても何らかの形で神の統治のもとに存在し続ける可能性があります。
(2) 義の評価と報いの違い
コリント人への第一の手紙3章15節では、信者であっても「火を通るように救われる」と言われる者がいるとされています。これは、信仰はあるがその行いが不完全だった者が、報いに差がつくことを示唆していると解釈されることがあります。
都に入れないが、火の池にも入らない存在がこれに該当する可能性があります。
【3】まとめ
新天新地の都に入れる者は、イエス・キリストを信じて神の救いを受け入れた者です。一方、入れない者は、自らの罪に留まり、神の救いを拒んだ者とされています。これは、神の王国が清さと正義を持つ場所であり、完全に罪から解放された状態でなければならないことを示しています。この区別は、神の愛と正義のバランスを表し、信者に救いの重要性を強調しています。
都に入れない者の運命について明確に記されている部分は限定的であり、黙示録では主に都に入れる者の祝福と、火の池に入る者の裁きに焦点が置かれています。
都に入れないが火の池にも入らない者についての詳細は不明瞭ですが、千年王国や新天新地の状況を通して「都の外での存在」という可能性が示唆されています。
最終的な裁きは、神の公正さと愛に基づくものであり、都に入れない者の扱いについては、神の計画における未解明の部分として受け取る必要があります。
新天新地においては、神の統治が完全に成し遂げられるため、最終的には神の御心に基づく完全な秩序が実現されます。その中で「都に入れない者」が火の池以外の形で存在する可能性は、議論の余地があるテーマです。
シリーズ【神の王国】
「⑤王国を相続できない者」へと続きます
最終回➡️ 【神の王国】⑤王国を相続できない者
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