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【第14回】進化心理学で考える性差(6)モテる男とは ②


石器時代に資産家はいなかった

〔前回の続き〕
 前回の最後の節で、女性が男性に経済力を求める心理には進化的な基盤がある、というデヴィッド・バスの主張を紹介した。
 人間社会では男性間の資源格差が激しく、より多くの資源を持つ男性を配偶者にした女性の方が、そうでない女性より子孫を繁栄させることができた。それが何世代にもわたって繰り返された結果、女性は、より豊富な資源を持ち、かつそれを自分と子供たちに気前よく提供してくれる男性を好むよう進化した、というのがバスの考えであった。

 しかし私には、これがバスが考えるほど女性にとって強固に生得的な心理であるとは言い難いように思える。第7回と8回で述べたように現在の定説では、人類がチンパンジーとの共通祖先から分岐したのは700~600万年前、解剖学的に我々と同じ種であるホモ・サピエンスが誕生したのは30~20万年前、ホモ・サピエンスの知的・心的能力が現在の人々と同等になったのは4~3万年前くらいだとされている。

 一方、人々の間で資源の格差が発生するのは、約1万年前頃に農耕と牧畜が開始されて以降のことである。食料が大量に貯蔵できるようになったのは、麦や稲、トウモロコシといった保存性の高い穀類の栽培が始まってからのことだし、牛や豚や羊を財産として所有するようになったのも牧畜が始まってからである。
 これらの発展により人類史上初めて、食料や農地をより多く持つ人と持たない人、家畜をより多く持つ人と持たない人、といった富や権力の偏りが発生したのだ〈1〉〈2〉〈3〉。

 しかも、農耕も牧畜も発祥の地から非常に長い時間をかけて徐々に広まっていったのであり、世界中のあらゆる場所で一斉に始まったわけではない(タイミングよく同時発生するわけがない)。
 農耕は紀元前8000年頃の西アジア、現在のイラク付近で始まったが(中国でも同じ頃かもう少し後になって独自に開始された)、西北に伝播してギリシャに達したのは紀元前6000年頃、西に伝播してエジプトに達したのも紀元前6000年頃、イギリスやスカンジナビアに達したのは紀元前3500年頃だという〈4〉〈5〉。当然もっと後の時代に始まった地域も多い。
 したがって、人々の間に富の格差がある状態が世界中で当たり前になったのはここ数千年のことであり、600万年とも700万年とも言われる人類史の中ではものすごく最近の話なのだ。
 
 人類がその歴史の99%以上を過ごした狩猟採集社会は基本的にその日暮らしである。肉や植物の貯蔵はほとんどできず、大物の狩りに成功したら、みんなで分け合ってさっさと食べ切るしかない。これといった贅沢品も、もちろん貨幣もない。ある男性が他の男性より何倍も多くの財産を持っているという状況自体がなかっただろう。

 定説どおりヒトの心的機能が4~3万年前までの石器時代のうちに確立されたのだとすれば、女性に、より豊富な財産を持つ男性を好む方が有利になるような淘汰が働いたとは考えられない。裕福な男性がいない社会では、裕福な男性を好む心理など発達しようがないのである。
 バス自身がこう書いている。「かりに、すべての男性が同じ資源をもち、女性のために同じだけの量を提供しようとしていたとすれば、資源の多いほうを好む傾向など発達させる必要がなかったはずだ」〈6〉。

 同じ矛盾は、第3回で私が批判的にとりあげた書籍『進化心理学で考えるホモサピエンス』にも見られる。
 この本では「私たちの脳は石器時代のままだ」〈7〉「ヒトは一万年前からあまり進化していない」〈8〉「進化の時間的な尺度からすれば、一万年というのは非常に短い期間である」〈9〉としきりに強調している。
 しかしその一方で、女性はとにかくより豊富な資源を持つ男性を好む傾向を進化させてきた、と強く示唆している。本文にそう明言する箇所はないのだが、特に第4章の記述からは著者がそのように考えているとしか解釈できない。この二つの主張は両立し得ないものであり、これは本書の最大の欠陥だと思う。

人類の進化は加速している?

 もっとも、最近では「過去数千年間、人間はかつてないほどの速さで進化してきた」と主張する研究者が増えているらしい。「最近のヒトゲノムの研究から、過去一万年~5000年のあいだに、人間の進化の速度が100倍加速したことが明らかになった」という〈10〉。
 文明の誕生以降、人類はそれまでの数百万年間とは比較にならないほどの速度で食習慣や生活様式を変化させ人口も爆発的に増加した。それに伴い、人間の遺伝的・生物学的な変異も加速しているというのだ。
 
 たとえば、牛乳に含まれている乳糖(ラクトース)を消化するためには、ラクターゼという酵素の分泌が必要なのだが、人は通常、子供から大人になるにつれてラクターゼの分泌が減少する。
 そのため牛乳を飲むとお腹をこわしてしまう乳糖不耐症になる人が一定数いるのだが、北欧ではその発生頻度が非常に低い。これは北欧では牛が早くから家畜化され、そこに住む人々が数千年の間にラクターゼを作る遺伝子を変異させて牛乳を飲むことに適応してきたからだという〈10〉〈11〉。

 たしかに、この数千年間で人間をとりまく環境がいかに劇的に変化してきたかを考えれば、この「進化の加速」はあり得そうなことに思える。国や民族によって気質や得意分野に違いがあることにも、もしかしたら一定程度の遺伝的基盤があるのかもしれない。
 とはいえ、この「進化が加速してる」説が専門家の間でどれほど支持されているのか私にはよくわからないし、本当だとしても、それが配偶者選択にどれほど影響を与えているかについてはまだ何もわかっていない段階だろう。ここでは一応、定説に沿って論を立てていくことにする。

狩りが上手い男はモテたはず

 さて、ここまでの議論は女性の「経済力重視」傾向を「所有する資源の絶対量が多い男性を好む性質」と捉えた場合(バスは明らかにそのようなイメージで描写している)、それが強固に生得的だとは考えにくい、というものだった。しかし、これを「資源の獲得能力がある男性を好む性質」と捉えると話は違ってくる(この2つは似ているようで違う)。

 私は第8回で、男性と女性の身体的・生理的条件の違いから考えて、現代の狩猟採集社会と同様、石器時代においても男女の分業はあったと考えるのが妥当だろうと述べた。
 分業の程度が明確であったか、ゆるやかであったかは時代や地域によって様々であったろうが、「男は狩猟、女は採集と子育てをしていた」というありきたりなイメージはそれほど間違ったものではないだろうと結論づけた。

 祖先たちの環境において動物の肉は貴重なタンパク源であったことだろう。狩猟、特に大型動物の狩猟が主に男性の役割だったのなら、狩りの能力が高い男性は女性にとって好ましい存在だったはずである。

 現代の狩猟採集社会でも、狩りの腕がいい男性の方が、そうでない男性より、若くて働き者の妻を得て多くの子供をもつ傾向があることがわかっている〈12〉。
 この連載で何度も参照している『進化と人間行動』では、パラグアイのアチェ族の男性に人類学者が聞き取りを行ったときの会話が載っているのだが、「どんな男性が女性をたくさん手に入れられるの? 女性はどんな男性が好きなの?」という質問に対して、彼は「狩りがうまくなくちゃだめだよ」と真っ先に答えている〈13〉。
 タンザニアのハッザ族でも、男性が結婚するには狩りの腕前(特にヒヒを獲ってこれるか)が重視されており、結婚している男性でも狩りが下手なことを理由に妻から離婚を切り出されることがあるという〈14〉。

狩猟の発達史

 人類がいつ頃から動物の狩りをするようになったのか定かではないが、180万年前頃から小さなガゼルくらいなら狩れる能力はあったと考えられている〈15〉。最初の狩猟具はサバンナに広く生息するアカシアの木を削った木製の槍だったのではないかという説がある〈15〉。しかし、石器と違って木製の道具はすぐに腐敗してしまい遺物として残りにくいため、はっきりしたことはわからない。
 
 今のところ、確実に狩猟が行われていた証拠として最古のものはドイツ北部で発掘された30万年前の木槍である。近くからはそれで仕留めたと思われるウマの骨が数多く見つかっている。〈16〉〈17〉〈18〉。25万年前くらいからは木の先端に石器を装着した槍が使われるようになった。
 
 7~6万年前ころ、第8回でも触れた「アトラトル」と呼ばれる投槍器が東アフリカに登場した。これを使うと槍を20~30mも飛ばすことができ、腕の力だけで投げるより有効射程も殺傷力も大きく上がる。弓については、南アフリカの洞窟で発見された6万4千年前のものが最古とされている〈18〉〈19〉。

 こうした飛び道具は当時の人々にとって画期的なもので、獲物をそれまでより安全な場所から効果的に狩れるようになったと考えられている。ゾウやサイ、バッファローといった特別巨大で危険な動物を狩れるようになったのはこれくらいの時期(人類史の中では比較的最近)からではないかという見方もある〈20〉。
 獲物のスケールはともかく、いつの時代においても肉の獲得に貢献できる男性は女性から高く評価されたのではないだろうか。
しかし、これにもまた反論があり得る。
〔次回に続く〕



〈1〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.247-248
〈2〉ジョン・H・カートライト『進化心理学入門』鈴木光太郎・河野和明訳、新曜社、2005、p.27-28
〈3〉ジャレド・ダイアモンド『若い読者のための第三のチンパンジー —人間という動物の進化と未来—』秋山勝訳、草思社、2015、p.177-178
〈4〉前掲『若い読者のための ~』p.171
〈5〉ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 —1万3000年にわたる人類史の謎—』倉骨彰訳、草思社、2000、p.270-272
〈6〉デヴィッド・M・バス『女と男のだましあい —ヒトの性行動の進化—』狩野秀之訳、草思社、2000、p.46
〈7〉アラン・S・ミラー、サトシ・カナザワ『進化心理学から考えるホモサピエンス —一万年変化しない価値観—』伊藤和子訳、パンローリング、p.35
〈8〉前掲『進化心理学から考える ~』p.40
〈9〉前掲『進化心理学から考える ~』p.36
〈10〉マルタ・ザラスカ『人類はなぜ肉食をやめられないのか —250万年の愛と妄想のはてに—』小野木明恵訳、インターシフト、2017、p.60
〈11〉『人類の進化は加速している、米研究発表』AFP BB News、2007.12.12
https://www.afpbb.com/articles/-/2324575
〈12〉前掲『人類はなぜ肉食を ~』p.47
〈13〉前掲『進化と人間行動』p.234-235
〈14〉『ハッザ族 太古の暮らしを守る』ナショナルジオグラフィック、2009年12月号
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0912/feature05/_05.shtml
〈15〉前掲『人類はなぜ肉食を ~』p.38-39
〈16〉三井誠『人類進化の700万年 —書き換えられる「ヒト」の起源—』講談社、2005、p.103-104
〈17〉『考古学博物館パレオンで現存する最古の木槍、「シェーニンゲンの槍」を見る』チカ・トラベル、2018.6.29
https://chikatravel.com/2018/06/29/palaeon/
〈18〉『人類進化と狩猟技術の発達 佐野勝宏 准教授 (2017年11月当時)』早稲田大学 高等研究所、2017.11.13
https://www.waseda.jp/inst/wias/news/2017/11/13/4726/
〈19〉『弓矢』Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E7%9F%A2
〈20〉前掲『銃・病原菌・鉄』p.54-55

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