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【第2回】進化心理学は「科学」なのか (1) 怪しいところもある…

検証可能性についての批判


 進化心理学に対しては「反証不可能な疑似科学だ」という批判がある。これはある意味では正当な批判だと思う。

 人の身体的特徴、例えば体の大きさや手足の長さ、脳の容量などが過去数百万年間どう進化してきたのかということであれば、骨の化石からある程度推測することができる。ただ、これも簡単なことではない。死んだ生き物の骨が化石になる確率は非常に低く、一説には(一つの骨について)10億分の1の確率だという〈1〉。また、化石になったとしても全身骨格がそのまま残ることは極めて稀である。

 人類学者たちは、奇跡的に化石になり奇跡的に発見されたわずかな骨の欠片を手掛かりにして進化の過程や系統の解明に取り組むのである。とはいえ、この場合、難しいにしても化石という直接的な証拠に基づいて仮説を立てることは可能である。

 これが人の心理のこととなるとそうはいかない。当たり前だが感情や行動は化石に残らず、直接の手掛かりはどこにもない。過去のことは基本的にわからないのである。ましてや、例えば100万年前の社会で男女の役割分担がどうであったかなど知りようがない。

 そのため、ある心理傾向の起源を説明しようとすればどうしても想像に頼る余地が大きくなる。「人間にはAという行動をとる本能がある。これは祖先が暮らしていた環境がBであったため、その中ではAの方が有利だったからだ」という論法で、やろうと思えば何通りもそれっぽい仮説ができあがる。「そういうのは解釈次第でどうとでも言えるのでは!?」という批判はもっともだろう。

 一般に科学の要件として検証可能性(もしくは反証可能性)、つまり、客観的な証拠やデータで実証したり反証したりできることがあげられるが、こうした「起源の説明」に関して言えば、この検証可能性を完全に満たすのは確かに難しいことのように思える。

煽りすぎな本もある

 世の中には「男と女がなんでこうも違うのか、生物学(や進化理論)に基づいて解説します!」という調子で書かれた本がけっこうある。

 その代表例といえば、2000年に日本語訳(初版)が出版され大ベストセラーになった「話を聞かない男、地図が読めない女」(アラン・ピーズ/バーバラ・ピーズ著、原著は1999年刊行)だろう。ずいぶん前の本であるが長く読み継がれており、Amazonではここ数年内に書かれたレビューもたくさんある。

 副題に「男脳・女脳が『謎』を解く」とある通り、この本では、男女の脳は何百万年もかけて異なる方向に進化し今や別物である、それゆえ男女の思考や能力には明確な違いがある、という進化心理学っぽい発想の男女論が、くどいくらいの分量で解説される(直接「進化心理学」という言葉は使われていないが)。
 
 本書の最初から最後まで全てがデタラメというわけではないし、日常的な実感としては「確かにそういうところあるよな」と思える箇所もたくさんある。しかし、その執筆姿勢はあまり科学的とは言えず、内容が盛りだくさんな分、「男は○○、女は○○」という一つ一つの主張について、どこまでが生まれつきの性差によるもので、どこからが文化の影響によるものなのか、じっくり検証されていない。自説に都合のいい研究ばかりを寄せ集めているようなところもある。

 また、ひたすら断定口調で書かれており、本当は個人差が相当あるにも関わらず、全ての男女がそうであるかのように誇張する記述が多い。影響されやすい人が読んだら性差についての固定観念を今まで以上に強めてしまう可能性もあるが、そういうことには無頓着な書きぶりである。

 より多くの人に買ってもらうために科学的な正確性よりも読み物としての面白さを優先するのは多少仕方ないとは思うが、それにしても(悪い意味で)明快すぎると思う。しかし、このわかりやすさもあってか本書は世界的なベストセラーとなり、文庫版の著者紹介によると日本では200万部、全世界では600万部も売れたという。それくらい、どこの国の人も男女差には関心があるようだ。

微妙な本が売れている

 最近の本で微妙なものと言えば、2019年に日本語訳が出版された「進化心理学から考えるホモサピエンス」(アラン・S・ミラー/サトシ・カナザワ著)である。原著の出版年がどうもはっきり確認できないのだが、「著者あとがき」の冒頭から推測するに初版から数年が経っているようで、そのあとがきの日付が2008年2月となっているので、おそらく2000年代中盤に刊行されたものと思われる。
 
 進化心理学については入門書的な位置づけの本が非常に少ないこともあり、手軽に読める解説書として人気なようで、Amazonでは130件以上のレビューがついている(2021年6月時点)。また、ダイヤモンド社が運営する「ザイ・オンライン」というサイトで進化心理学の知見に基づく時事論評を連載している作家の橘玲が「最良の入門書」と推薦コメントを寄せており、信頼が置けそうな雰囲気がある。

 だが中身はというと、これがまた科学的な装いと通俗性が混ざった内容で評価が難しいのである。先ほどの「話を聞かない~」と同様、全部がデタラメというわけでは全くない。
 特に人間理解にあたっての進化論的なアプローチの必要性を述べた2章までの記述、例えば人の行動を説明するためには生物学的な要因と環境要因の両方を見る必要があることや、これまでの社会科学が(少なくとも1990年代あたりまでは)前者について言及することを極端にタブー視してきたことなどは、他の進化心理学関連の本でもよく触れられていることだ。
 また、全体を通して他の書籍でもとりあげられている仮説や研究が所々見られ、研究者間で一定の支持を得ていると思われる主張も含んでいる。

 しかし怪しい記述も多い。全体的にQ&A形式の構成になっているのだが、「男はなぜセクシーなブロンド美女が好きで、女はなぜセクシーなブロンド美女になりたがるのか」〈2〉、「独身女性は海外旅行好きで、独身男性は外国嫌いなのはなぜか」〈3〉といった、それ自体が文化の違いを超えて人が普遍的に持つ性質であると言えるのか微妙な話が、当然の前提とされていたりする。
〔次回に続く〕



〈1〉『「私たちが化石になる方法」について専門家たちがレクチャー』GIGAZINE、2018.2.20
https://gigazine.net/news/20180220-how-can-we-become-fossils/
〈2〉アラン・S・ミラー、サトシ・カナザワ『進化心理学から考えるホモサピエンス』伊藤和子訳、パンローリング、p.68
〈3〉前掲書、p.207

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