【第21回】進化心理学で考える性差(9)嫉妬と配偶者防衛
チンパンジー界に浮気はない
「進化心理学で考える性差」シリーズ、今回が最後である。前回までの記事で見てきた通り、ヒトは一夫一妻を基本とする方向に進化したと思われる。浮気や不倫が数多く発生するものの、あくまで一夫一妻が原則であり主流なのだ。というか、一夫一妻が原則だからこそ、そこからの逸脱として「浮気」という概念が成り立つのである。
もしチンパンジーやボノボが言葉を話すようになったとしても、人間の世界で言う「浮気」に当たる概念を表す単語は発生しないだろう。単に「相手が自分以外の異性と性関係をもつ」という状況を表す単語は生まれるかもしれないが、それが「悪いこと」という意味で使われることはないはずだ。彼らにとっては、オスもメスも互いに不特定多数の異性と交尾するのが本来の在り方であり、それを「悪」とみなす観念など持ちようがないのである。
人間の世界でこれらが不道徳な行いだとされるのは、やはり大多数の人が、互いに独占的で排他的な異性関係(一夫一妻的な絆)を求める感情を生得的に備えているからだろう。にもかかわらず(前回述べたように)けっこうな頻度でパートナー以外の異性にも性的な関心が向いてしまうのが人間であり、これはほとんど生き物としての仕様のようなものだと思われる。
嫉妬心の性差
ことほどさように配偶者への背信がよく起こるヒトの世界であるが、どういった背信に強く嫉妬や怒りを感じるかには男女で違いがある、というのが進化心理学ではよく言われる。
男性は配偶者の肉体的な浮気に嫉妬心をより強く感じ、女性は配偶者の精神的な浮気に嫉妬心をより強く感じる、というのである(ここでいう「配偶者」というのは、婚姻関係にあるか否かに関わらず異性のパートナーのことを指すのだが、本稿では便宜上「妻」「夫」という呼び方をしていく)。
男性にとっては、妻が妊娠・出産する子供が100%自分の子供であるという確信を持つことはとても難しい。妻を24時間毎日監視し続けるのでもない限り、自分以外の男性と肉体関係を持ち妊娠する可能性を完全にゼロにすることはできないのだ。
現代であれば、自分の子なのかどうしても疑わしい場合はDNA型鑑定で確かめることができるが、そんな手段がとれるようになったのはここ20~30年くらいのことである。人類史の99.9%以上の期間、男性は妻の貞節をただ信じるしかなかったのだ。
男性はこうした「父性の不確実性」に宿命的にさらされているため、配偶者が自分以外の男性と肉体関係を持つことに(女性以上に)強い怒りと反感を感じ、それを阻止しようとする傾向を進化させたと考えられている。
一方、女性にとっては自分が妊娠・出産する子供は、間違いなく自分の遺伝子を引き継ぐ子である。夫が別の女性と肉体関係を持っても自分自身の子孫を残せる可能性には直接影響しない。
しかし、夫が自分以外の女性に強い恋愛感情を持ち精神的に惹かれてしまった場合、本来は自分と自分の子供に注がれるはずだった経済的・物理的・心理的な支援をそちらに奪われることになる(何度も述べてきたとおり、ヒトの男性は哺乳類の中では例外的に子供に多大な投資をする存在である)。そのため、女性は配偶者の精神的な浮気に対して(男性以上に)強く嫉妬心を感じる傾向を進化させたと考えられている。
本節全体〈1〉〈2〉〈3〉
D・バスによる調査
以前にもとりあげた著名な進化心理学者、デヴィッド・バスがこれについて調査を行っている。例によって完全に孫引きで恐縮なのだが以下のとおりである。
アメリカの大学生234人(男女各117人)に次のような質問をした。自分のパートナーがほかの誰かに恋愛感情(精神的なつながり)を持ち、かつ性的関係(肉体的なつながり)をもった場合、精神的なつながりと肉体的なつながり、より耐え難いのはどちらか? これに対して「肉体的なつながり」と答えた学生の割合は男子では61%なのに対して女子では13%、「精神的なつながり」と答えたのは女子では87%なのに対して男子では39%だった〈4〉。日本と韓国でも大学生を対象に同じ調査が行われ、国によって数字に差はあるものの、同じ傾向が確認されている〈5〉(どちらも1999年発表)。バスは似たような調査を繰り返し行っているようで、ドイツやオランダなどでも同じ結果だったという〈5〉。
こちらはバス自身が主宰したものなのか確認できなかったのだが、被験者に電極をつけて自分のパートナーが肉体的もしくは精神的な不倫をはたらいているところを想像してもらう、という(何かのプレイのような… )実験も行われている。
筋肉の収縮や脈拍、発汗などの生理的な反応を測定したところ、2つの条件間の差は女性ではそれほど大きくなかったが、男性は一貫して精神的な不倫よりも肉体的な不倫のイメージに対して有意に苦痛が高まったという〈6〉〈7〉。
「父性分割」という驚きの習慣
ところが、この傾向が当てはまりそうにない文化もある。南米のパラグアイやブラジル、ペルー、ベネズエラなどの一部の民族では「父性の分割」と呼ばれる珍しい習慣が見られる〈8〉〈9〉。
これらの民族では、胎児は母親が出産するまでの間に様々な男性から受け取った精子によって作られると考えられており、「強く、賢く、面白く、優秀な狩人になる子が欲しい女性は、強く、賢く、面白く、吹き矢の扱いのうまいたくさんの男性とセックスするよう心がける」〈8〉のだという。様々な男性の精子が雪だるまのように固まって赤ん坊ができあがる、というイメージらしい。
もちろん現代科学に照らせばこれは完全に見当違いな思い込みであり、子供の生物学上の父親は本当は一人だけなのだが、とにかくこれらの文化では子供には「生物学上の」父親が複数人存在すると信じられているのだ。そのため、女性の正式な配偶者である男性に加え、女性が妊娠中にセックスした他の複数の男性もまた子供に食料を提供するなど父親としての役目を果たすという。
この習慣には子供の生存率が上がるという利点があるようだ。以前とりあげたパラグアイのアチェ族も父性分割の習慣を持つ民族なのだが、227人のアチェ族の子供を10年間にわたって追跡調査したところ、父親が一人しかいない子供が10歳まで生き延びる割合は70%だったのに対して、父親が2人以上いる子供の場合、その割合は85%だった〈9〉。ベネズエラのバリ族でも、父親が一人しかいない子供が15歳まで生存する率は64%だったのに対し、もう1人父親がいた場合の生存率は80%だったという〈8〉。
こうした文化に属する男性は、妻が妊娠前や妊娠中に自分以外の複数の男性と性交渉を持ってもあまり気にしないという。したがって、男性の性的な嫉妬心は文化的な産物、特に男性が資源を独占し女性を従属させる家父長制的な価値観の反映だという解釈もあり得る〈10〉。
男女間で富の格差がある社会では、男性は蓄積してきた資源の多くを子供に投資することになる。だから男性は、実子ではない子供にそれと知らずに多大な投資をしてしまう事態を避けるため、妻が他の男性と関係を持つことを強く警戒するのではないか、というふうに。
しかし、男性が肉体的な浮気に強く反発する心理というのは、男女の生物学的な条件の違いから考えて全く理にかなっており、やはりかなりの程度生得的なものなのではないかと私は思う。
上にあげたような、男性の性的な嫉妬心が薄い民族は、割合的にはおそらく圧倒的に少数であろう。同じ狩猟採集民でも(何度もとりあげている)ハッザ族の男性は、配偶者の不貞に対して我々の社会の男性と同じかそれ以上に強い怒りを露わにするようだ〈11〉。イヌイットの人々には妻を共有する習慣があることが知られているが、そうした文化の中でさえも男性の性的嫉妬による配偶者殺人が多く発生しているという〈12〉。
【追記(2022年4月24日)】
最近読んだ本、クリストファー・ライアン著『性の進化論』(作品社、2014)によると、父性分割の習慣はアマゾン一帯で広範に見られ、少なくとも18の民族で確認されているという(p.134)。しかも、「同じ考え方が見出される複数の文化集団の間には、数千年の間、互いに接触があったという証拠は何一つ見つかっていない」という。したがって、一つの民族で生まれた特殊な習慣が他の民族にも広まった、というわけではなさそうだ。
また、パプアニューギニアのルシ族にも似たような考えがあるようで、こうした習慣を持つ民族は「圧倒的に少数」とは言えないようである。男性の性的な嫉妬心は、これまで進化心理学で言われてきたほど全人類に普遍的なものではないのかもしれない。
【追記ここまで】
また次に見るように、オスが、配偶相手のメスに自分以外のオスが近づくのを(または配偶相手のメスが自分以外のオスに近づくのを)妨害しようとする行動は、資源の蓄積のない動物界でも広くみられるものである。
そこまでやるか、動物界の配偶者防衛
こうした行動は「配偶者防衛」と呼ばれ、トンボのタンデム飛翔は典型的な例である。トンボのオスは交尾を終えた後、メスの首を尾の先の把握器で捕まえて、メスが産卵するまでずっと連結した状態で過ごす。
メスは交尾した後、オスの精子を貯精嚢(ちょせいのう)という袋状の入れ物にいったん入れておき、産卵時に卵が貯精嚢を通過する際に精子と接触して受精が起こる(これは昆虫全般にみられる生態である)。そのため、すでに一度交尾を終えているメスであっても産卵前の卵はまだ受精可能であり、別のオスが次々にやってきては交尾を試みる。
しかも、一部のトンボのオスには自分より先に交尾したオスの精子を貯精嚢から掻き出して自分の精子と入れ替える習性があるらしい(!)。オスは確実に自分の子孫を残すために、交尾した後も産卵の瞬間までライバルが近づかないようメスをガードする必要があるのだ〈13〉〈14〉〈15〉。
ヤドカリのオスも、常にメスの入っている殻をつかんで一緒に移動することが知られている。ヤドカリの交尾は通常、メスが脱皮した後にしか行われないため、オスはそれまでの間、他のオスに奪われないようメスを殻ごと持ち運ぶのである〈13〉〈16〉。
霊長類ではマントヒヒのオスが非常に荒っぽい配偶者防衛を行う。オスは幼いメスを親元から誘拐してくるという強引な方法で一夫多妻のハーレムを作り、メスがハーレムから離れようとすると首に噛みついて阻止する。メスは何度も噛みつかれることで死んでしまうこともあるそうだ〈13〉。ただ、オスは厳しい反面、メスをあらゆる危険から命がけで守ろうとするという〈17〉。
そこまでやるか、人間界の配偶者防衛
人間の世界でも、男性は(個人差はあるものの)、自分の配偶相手である女性に他の男性が接近することを(または配偶相手の女性が他の男性に接近することを)常に警戒し防ごうとする行動をとることが多い。世界にはこうした配偶者防衛の心理に起源を持つと思われる習慣が、伝統文化として定着してしまった例がいくつもある。
イスラム圏では女性は親族以外の男性に触れられてはならないとされ、厳格な地域に住む女性はブルカやニカブと呼ばれる布で顔も含めた全身を覆い隠し、視覚的にも外部の男性を遠ざけている。
中国ではかつて、女児の足を布で巻き成長を無理やり止める纏足(てんそく)という風習があった。小さく変形させられた足では走行はもちろん歩行もしづらく、女性は生涯にわたって活発な行動を妨げられた。
アフリカや中東の一部では、初潮を迎える前の少女に対して、性的快楽を失わせ貞節を守らせるという名目で女性器の一部を切除したり縫合したりする風習が現在でも根強く残っている。これは深刻な人権侵害として国際社会から長年非難されているのだが、社会に深く定着してしまっており、なかなか廃絶が進まないという。
これらの風習はいずれも複雑な宗教的・歴史的背景のもとに成立してきたのだろうし、女性たち自身が「従うべき伝統」として内面化してしまっている面もあるようだが、元をたどれば、女性に処女性や貞節を強く求める、男性の配偶者防衛の心理に端を発していると考えられるだろう〈18〉。
注
〈1〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.244-245
〈2〉ジョン・H・カートライト『進化心理学入門』鈴木光太郎・河野和明訳、新曜社、2005、p.81-82
〈3〉デヴィッド・M・バス『女と男のだましあい —ヒトの性行動の進化—』狩野秀之訳、草思社、2000、p.209-213
〈4〉麻生一枝『科学でわかる男と女の心と脳 —男はなぜ若い子が好きか?女はなぜ金持ちが好きか?—』ソフトバンククリエイティブ、2010、p.96-97
〈5〉前掲『進化と人間行動』p.245-246
〈6〉前掲『進化心理学入門』p.83
〈7〉前掲『女と男のだましあい』p.213-214
〈8〉クリストファー・ライアン『文明が不幸をもたらす —病んだ社会の起源—』鍛原多恵子訳、河出書房新社、2020、p.143-144
〈9〉ニコラス・クリスタキス『ブループリント —「よい未来」を築くための進化論と人類史—』鬼澤忍・塩原通緒訳、ニューズピックス、2020、p.206-210
〈10〉前掲『進化と人間行動』p.246-252
〈11〉前掲『ブループリント』p.194-195
〈12〉前掲『女と男のだましあい』p.229-230
〈13〉前掲『進化と人間行動』p.201-202
〈14〉『神戸のトンボ 第7章 小学生・中学生のためのページ』2017.10.01
https://www.odonata.jp/07jhs/adults/index.html
〈15〉『虫の精子金庫/虫の雑学』公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会
https://www.jataff.or.jp/konchu/mushi/mushi07.htm
〈16〉葛西臨海水族館『お嫁さんを運ぶホンヤドカリ』東京ズーネット、2003.5.9
https://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&link_num=337&inst=kasai
〈17〉新宅広仁『いきもの寿命ずかん』東京書籍、2018、p.36
〈18〉前掲『進化と人間行動』p.243-244