フランスの文化とハイカルチャーとサブカルチャー

ピエール・ブルデューのディスタンクシオンは、徹底的なまでに文化カーストについて解析したものであった。

商業主義が蔓延すれば、この文化カーストは崩壊する。
事実として、イギリスにおいても上流階級がサッカーを見ることがまれに存在するようになったのだ。
とはいえ、日本ではこの文化カーストが崩壊したことによって、しょうもない虚無ばかりが生まれるようになった。

元々こうした文化カーストの崩壊は、ハイカルチャーが存在しないアメリカから世界に輸出されたものだろうが、これは全世界人のアメリカ人化を引き起こした。

本来は全ての人間にハイカルチャーを提供すべきであるのだが、ハイカルチャーが抹殺されたという点において、ソ連の共産主義と同じ帰結をたどったと言える。

ハイカルチャーとサブカルチャーを区分する手法を考えなければならない。
ただ単に、伝統であればハイカルチャーであるということはない。

筆者は、日本の幼児向けのマスコットグッズ(サンリオやサンエックス)などはサブカルチャーではないと考えているが、普遍的なテーマや美的構造が備わっているが故にだろう。

言うまでもなくオタクアニメは、サブカルチャーそのものでしかない。

サブカルチャーしか知らないという者は何も知らないだけなのだ。
富野監督は、古典を知らない者はアニメを造れないと述べたが、アニメ(ほぼサブカル)しか知らないものにはアニメが造れるわけがない。

この問題に関しては、平等を持ち込むのではなくて、階級を持ち込んだ方が社会のためになるだろう。

逆説的に考えれば、敵国の上流階級の文化を破壊すれば、敵国を破壊することも簡単である…

なんであれど、科学技術や政治哲学に親和性を持つ文化と、科学技術や政治哲学を否定するロマン主義は、分割(ディスタンクシオン)しなければなるまい

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