小学生時代に学芸会でしれっとエアオルガンを演奏した話
私はいわゆる器用貧乏ではあるが、運動と楽器だけはてんでダメである。
運動神経は幼少期に私の身体から乖離してしまったようなので仕方ない。
楽器に関してはまるで興味がなかった。練習せずともある程度できるものならそれなりの興味を持つかもしれないが、もう、練習が、嫌。音を奏でるために割くコストなど持ち合わせていない。そんな暇があるなら、お絵描きをしたり、妄想をしたり、本を読んだりしていたかった。音楽の授業は嫌いではなかったが、鍵盤ハーモニカやリコーダーは憎んですらいた(臭いし)。
私の通う小学校の各教室には足踏みオルガンがあったが、自分の思った音楽が鳴らない物体などに興味はなかった。楽器音痴な私は、アレクサくらい音出してくれる物でないと納得できないのである。何しろ、かえるの合唱(輪唱)を両手で弾くことすらできない人間なのだ。
今回はそんな私の、これじゃシャレにもならないヒステリーミステリーなお話をしようと思う。
(ヒステリーミステリー:私が中学生時代にドはまりしたバンド、ユニコーンの楽曲名)
思い通りに行かないエブリディ
小学5年生当時、私には仲の良い女子クラスメイトが2人居た。我々はジブリが大好きだった。1人が「ラピュタのセリフを完全暗記した」と言うのに刺激されて「じゃあ私はナウシカを暗記する」とやり取りするような狂った3人組である。
面白おかしく学校生活を送る私の日常に暗雲が立ち込めたのは、ある休み時間であった。狂った友人の1人が、音楽の授業で使っているソプラノリコーダーを取り出してこう言った。
「トトロ吹こう」
リコーダーが苦手だった私は承服できねぇ、と思ったが、どうせ休み時間の一時的なお遊びである。もう一人の友人と当然のように「吹こう吹こう」と言って各々リコーダーを準備した。3つの椅子を向かい合わせ、我々は耳コピでトトロを吹き始めた。当然ながら、合奏も何もあったもんじゃない。それぞれが耳コピで音を拾っているだけである。休み時間終了のチャイムが鳴り、お遊びを終えた我々はそれぞれ満足して席に着いた。
はずであった。
想定外の展開が起きた。
私以外の2人は全然満足していなかったのである。
その日から、ぼくらの休み時間~終わらないリコーダー篇が始まった。私以外の2人は完全にリコーダーで吹くジブリに沼っていた。特訓に特訓を積み重ね、彼女らの演奏はみるみる上達して行った。レパートリーもどんどん増え、トトロだけでなくラピュタやジブリサウンドトラックに入っているようなマイナー曲まで吹けるようになっていた。完全に置いてきぼりを食った私だが、この状態ではもう「他のことして遊ぼう」と言える雰囲気ではなかった。優しい2人なので、言えば何か考えてくれただろう。だが、優しい2人なので、水を差したくないという気持ちもこちらにはあった。結果的に私は「2人の間でリコーダーを吹いてるフリをしている何者か」になっていた。そして当然ではあるのだが、他のクラスメイト達は我々が向き合ってジブリを演奏している姿を毎日目にしていたのである。
今夜はミスキャスティング
学芸会の準備が始まったのは、そんな日々の中であった。
学芸会ではクラスごとの演劇と、学年全体で合奏・合唱という2つの演目に出演する必要があった。この年演劇で何をやったのか、私の記憶には一切残っていない。
合奏では一部の生徒が木琴や太鼓など学校備え付けの楽器を使い、残りの生徒はリコーダーを演奏することになっていた。準備はまず、リコーダー以外の楽器の担当者を決めることから始まる。担当決めをする学級会の最中、私は当然リコーダーをするつもりでぼんやりとしていた。そこが学校じゃなかったら口を半開きにしながら鼻をほじくっていた。間違いない。私には「その他大勢」のリコーダーしか選択肢がなかった。なぜなら楽器が一切出来ないからである。
学級会は6人用電子オルガンという楽器の担当決めに入った。音域は狭いが、名前の通り1台で6人がアンサンブル出来るという気の狂ったような鍵盤楽器である。このオルガンの担当者は各クラスから3名ずつ選ぶことになっていた。3名。賢明な皆さんならお気付きだろう。そう、このオルガン担当を決める時、誰かがこう言い放ったのである。
「あかりんぐさんがいいとおもいます!」
青天の霹靂である。
あまりのことに私は頭が真っ白になった。
人生には3つの坂があると言う。上り坂、下り坂、まさか。
俗世に生を受けて40年ほどになるが、私はこの時ほど「まさか」を感じた事はない。ちなみに次点は幼少期の次女が木製のテレビ台全面に青缶ニベアを塗りたくる様を目にした時である。
浅はかな小学生クラスメイトたちは、リコーダーもオルガンも同じ楽器だから適任だと思ったに違いない。判断基準が大味すぎる。
そう、オルガンに推薦されたのは我々、休み時間リコーダートリオだったのだ。
危ない夜を感じさせてあげる
クラス満場一致で大歓声の中決定された担当楽器に意を唱えられるはずもなく、善意のプレッシャーを全身に浴びて私はオルガン担当となった。
…と言うのは妄想で、あまりの衝撃で頭が真っ白になった私は、実際何が起きたのかサッパリ覚えていない。しかし、断る機を完全に逃してしまったことだけは間違いなかった。今思えば落ち着いて正直に断れば良いだけだったのだが、小学5年生の小心者の私にとってそれは難しいことだった。
演奏する必要があるのは2曲。1曲は「さんぽ」(トトロ)、2曲目は「君を乗せて」(ラピュタ)である。申し合わせたようにジブリである。友達2人は当然すぐに弾けるようになった。片手でメロディーを取るだけの簡単な演奏である。しかし、それでもできないのが私クオリティ―。学校の練習時間では全く足りないことに気が付いた私は、家にたまたまあった電子オルガン(近所のお姉さんのお下がりで貰ったもの)で自主練習をすることにした。偉い。偉すぎる。しかし同時に私は考えていた。みんなは学校の練習だけでいいのに、なんでワシはやりたくもねぇ演奏を家でも練習せなあかんのじゃ。ドラクエやらせろや。
私が弾ける曲は、アホな幼馴染たちと作ったオリジナル曲「タヌゴンのテーマ」のみである。タヌゴンとは当時我が家にあった間抜けな顔のタヌキのぬいぐるみのことだ。
「ドミッミッミミミソーミー ドミッミッミミミシシシドー(シは1オクターブ下)」
という秀逸なメロディラインなので、皆さんオルガンの練習に疲れたら弾いてみると良い。ちょっとだけ元気が出る(実証済)。ちなみにインストゥルメンタルである。フゥ~オッシャレ~。
毎日家に帰ってから練習し、タヌゴンのテーマで息抜きをし、ストレス解消にドラクエをやり続けた結果、なんと私は「さんぽ」を弾けるようになった。努力の勝利である。頑張れば出来るものである。自分を褒めてあげたい。しかしドラクエに時間を割きすぎたこともあり、私は遂に「君を乗せて」を弾けるようにはならなかった。
本番前日の夜、私はプレッシャーで胸が押しつぶされそうになっていた。ラピュタが弾けない。どうしよう。しかしもっと練習すればよかったなどとは思わなかった。自分が楽器に割けるコストの全てを割いてこれなのである。これ以上やってたらメンタルが死んでいた。分かっちゃいたが、完全なミスキャスティングである。
しかし自分はオルガン担当。何とか体裁だけは整えなければならない。私にも小学5年生なりの責任感はあった。
その夜、私は腹をくくった。
けだるい朝を迎えさせてあげる
体育館の舞台下で、観覧席の保護者達に向かって私は一礼をした。
6人用電子オルガンの前で椅子に腰を掛ける。
前奏が始まり、私は鍵盤に指を乗せた。
学芸会本番がとうとうやって来た。本当は熱を出して休みたかったが、心とは裏腹に体は元気だった。前日の夜に自分の部屋で素っ裸で踊り狂ってみたのだが、風邪には潜伏期間があるため前日の裸踊りは全く無駄な努力であると知ったのは大人になってからだった。
毎日の努力の甲斐あって、私は無事「さんぽ」を弾き終えた。
肩の荷が下りた気分だ。残るは最後まで弾けるようにならなかった「君を乗せて」のみ。私は最後の手段に打って出た。
足元にある自分の通電ペダルを、そっとオフにしたのである。
足元はオルガンの側板に隠れて観覧席からは見えない。私の行為は誰にも気付かれないはずだ。
曲が始まる。鍵盤に手を添える。6人用電子オルガンは2台、弾いているのは私を含めて12人。全員全く同じメロディー。一人くらい音が出ていなくたって誰も気付かない。オルガンは私の思ったメロディーを完璧に演奏している。私以外の11人すごい、すごすぎる。センスの塊である。
曲が弾けないと言っても、私だってそれなりに練習は積み重ねてきた。それっぽい指の動きは完璧である。私は真剣だった。真剣に「君を乗せて」を演奏した。初めてみんなと一緒に演奏できた。初めて一体感を得た。初めて鍵盤の上で指が踊った。息つく暇もないほどパントマイムである。顔色ひとつ変えないポーカーフェイス、付け入る隙も見せないクールフェイスである。
私は完璧だった。
完璧にラピュタを演奏し切った。
曲の終わりに、私はそっと通電ペダルをオンの位置に戻した。目指すは完全犯罪である。抜かりはない。
立ち上がり、一礼をする。
保護者と教員の温かい拍手の中、私は思った。
もう二度と楽器なんかやらねえぞ、と。
ヒステリーミステリー
私のエアオルガンチャレンジは誰にも気付かれなかった。翌登校日には誰もが学芸会のことなど忘れ、いつも通りの学校生活がまた始まった。
友達2人は学芸会で満足したのか、休み時間のリコーダー演奏頻度は減った。代わりに、休み時間の遊びは1行リレー小説のようなものを書くことへとシフトした。1行リレーなので、とんでもない速度で順番が回って来る。小説と言うより会話劇だったが、私はそんな地味な遊びがとても楽しかった。学芸会という修羅場をくぐり抜け、私はようやく平穏な日常を取り戻したのである。
十余年後。あれだけ楽器なんぞやるかという固い誓いを立てたのにも関わらず、うっかり者の私はなんとエレキギターに手を出してしまった。結果はお察し。Fコードが押さえられない絶望で爆竹レベルに素早く燃え尽きた。線香花火よりも儚い一瞬のプロミネンスである。しかしこの時、早い段階で潔くバンドメンバーに「無理や」と報告できたのは、学芸会の失敗があったればこそだ。あれがなければ、苦しみながら一生Fコードを練習するおぞましい生を歩まねばならなかったに違いない。人生は時に諦めが肝心なのである。私が「さんぽ」を弾けたように、確かに継続は力である。しかしヒトの健康寿命は長くない。効率面も考えなくてはならないのだ。何でも続けりゃいいってもんじゃない。学芸会という名のエアオルガン発表会で、私は齢11歳にして諦めることの大切さを学んでいたのである。
あれから数十年。
私は結婚し、2人の子どもを授かった。
去年の話である。
世間に新型のウィルスが蔓延し、日本政府から一人10万円の給付金が支給された年。小学3年生の長女が学校教材としてリコーダーを購入した。
家でリコーダーを吹く長女を見て、あろうことか私は羨ましくなった。100円ショップでリコーダーを購入したが、教材リコーダーとはまるで音色が違う。私はどうしても長女と同じ教材用のリコーダーが欲しくなった。
家族に相談の末、私は給付金でリコーダーを買った。
今回のトップ画像がそれである。
あんなに苦痛だったリコーダーが欲しくなるなんて、我が人生最大級のミステリーだなぁ、なんて思ったが何のことはない、自発的に始めてマイペースでやれることなら、きっと何でもそれなりに楽しいのである。
風の吹くまま気の向くまま、私は今もたまにリコーダーで耳コピアニソンを吹いている。
先日ご近所さんに
「よく笛吹いてるの聞こえるけど長女ちゃん?上手ねー!」
と褒められて私はにこりと頷いたが、奥さん、あなたが褒めたのは娘ではなく私です。