来世はパンダに生まれ変わりたいと本気で考えている話
皆さんは、輪廻転生というものを信じているだろうか?
いわゆる、生まれ変わりというやつである。
私はめっちゃ信じている。
より正確に言うならば、輪廻転生はある、という前提で生きることにしている。
この何もかもがままならない浮世で生を送るには、生まれ変わりを信じた方が気が楽だと思っているからだ。
たとえ今世うまく行かなくても、来世はうまく行くかもしれない。
そんな希望を持てるからだ。
来世でやり直しができると思えば、この重い人生も少しは軽い気持ちで歩めるというものだ。
昨今アニメやマンガで流行っている異世界転生ものなどは、まさにそんな発想に基づいて生まれたシンデレラストーリーだと思っている。
しかし、である。
私は基本、異世界転生には興味が持てない。
なぜか。
リアリストだからである。
せめて20代くらいであれば、私も異世界転生、人生やり直しに夢を見ることができただろう。
しかし世知辛いこの世を生き抜くうちに、人間としての夢の実現可能性を考えるようになってしまった。
君たちは、自らの転生について本気で考えたことがあるだろうか?
私は元来ネガティブでコミュ障の人間である。
陰キャである己を恥じて過ごした青春時代、虚勢を張った大学デビューを起点にした青年時代を経て、ブラック企業で心身ともにすり潰され、パワハラ事件を目撃したバイトは当事者でもないのに怖くなって辞め、最終的に完全在宅業務という引きこもりOKな仕事を何とか見つけた途端インボイスの脅威にさらされて崖っぷちの状態で今を何とか生きている。
いつでも、最悪の事態を考える。
最悪の事態を考えて余裕を持った行動を心がけているので、同人誌の〆切は落としたことがない。
ネガティブも悪いことばかりではないのだが、自分の基本性質がコレではやはりしんどい時の方が多い。
メンタル健全おばけの夫氏には「ほんとに生きるの辛いね」と月イチで笑われ、最初はちょっとイラっとしたが、夫氏の「生きるのが辛いと思ったことなんて一度もない」という言葉を聞いてカルチャーショックを受け、自分がどうやら損な性質を持っているらしいことを自覚した。
パリピ以外の人間は全員私と同じように、この世は修行場だと思って辛い生を歩んでいるのだと信じていた(偏見)
プラモとゲームとマンガが好きなくせに、生きるのが辛いと思ったことがない人間がいるなんて信じられない(偏見)
さて、くどいようだが、私は生まれ代わりというものをかなり本気で信じ(ることにし)て生きている。
今の生が辛い(※当社比)ぶん、来世は幸せに、憂いなく過ごしたい。
そう考える場合、例えば今流行の異世界に転生することは、本当に希望となり得るのかを検討した。
まず第一に、冒頭で述べた通り、異世界転生作品は「シンデレラストーリー」であると私は思っている。
なぜなら何の特徴もなかった、あるいは不幸とも呼べる境遇の主人公が転生する先は
・貴族等、デフォルトで育成環境が優位
・初期能力値が常識はずれに高い、あるいは特別な能力を有する
・前世の記憶や知識が引き継がれ、活用できる環境にある
のいずれか、あるいは全てが備わった肉体であることがほとんどだからだ。
ではここで、転生先の世界に住む主人公以外の人間の能力や生活環境がどうか思い出してほしい。
平凡な人生を歩むキャラならまだ良い。
その世界に差別はないか。
虐げられている人々はいないか。
貧困にあえいでいる人は。
断言しよう。
異世界転生するならば、主人公に転生する確率より、その他大勢に転生する確率の方が高く、しかも現世より不幸な環境に身を置く可能性も決して低くはないのである。
異世界転生に夢や希望を持つのは、あまりにもリスキーだ。
大体、私みたいな雑魚がまともな境遇の人間に異世界転生できるとは到底思えない。
ガリガリに痩せて貧困街で道端にうずくまり、虚ろな視線を地面に落とすモブあたりが一番可能性が高い。
シンデレラみたいな主人公は、そんな私を一瞥して「街がこんなことになっているなんて…」と言い、生まれ持った特異なスキルと前世の知恵を駆使して為政者に挑むことになるのだ。
一度、2児の育児に疲れ切った時に異世界へ次元移動したくなり、実際に妄想までしたことがある。
私の思い描いた異世界転生主人公主婦が、言葉も通じぬ世界で、大変苦労して満身創痍で何とか村長の元までたどり着き、非常に運良く(という設定で妄想)優しい村人たちが困りながらも面倒を見るために職を紹介してくれるのだが、その職場が孤児たちの育児施設で、メンタル不安定な数えきれない幼子たちを便利グッズもない中で世話し、言葉が通じないゆえに職員同士のコミュニケーションにも困難があり、年長者の子どもには馬鹿にされ、住居は子どもたちと一緒で雑魚寝という最悪な環境で、抜け出したいが村人の厚意を蹴った上に野たれ死ぬリスクを考えるとそれも出来ず、帰りたい帰りたいと毎晩枕を涙で濡らしながら網戸も蚊帳もないため蚊に全身刺されまくるまで思い付いた所で、これなら今の環境で私の精神を蝕む2児の世話をしている方がよっぽど幸せだと思って考えるのを止めた。
私はリアリストなのである。
転生に夢さえ見られない、生きるのが辛い。
要するに、私はこの脳みそと性質を持つ限り、転生しようが何しようが生きること自体が辛いのである。
無事に今生を終えて生まれ変わったとしても、運が良くなければまた生きるのが辛い脳みその人間になってしまうかもしれない。
それならば。
些末なことに思い悩み続けるような、こんな高度な脳みそなどない方が幸せなのでは?
そんな時に出会ったのが、パンダの動画である。
食って遊んで寝るだけである。
転がるだけで人間様に喜んでもらえるし、ドジしても可愛いと笑ってもらえる。
自分の知らんところで社会貢献すらしている。
夢のような生活では。
パンダは良い。
人間様に保護してもらえる。
他の野生動物に比べたら、危険に晒されたり、不慮の事故で命を落とすリスクも少ないのではないか。
家族には「笹しか食えないしストレスないわけないと思うよ」とたしなめられるが、人間に比べたら色々気にならないんじゃないかと思う。
食い物が笹ばっかりだって、パンダとして生まれればそういうものだと思って何の疑問もなく食い続けるだろう。
もちろん、前世の記憶は一切引き継がないのが条件である。
今の人生だって前世の記憶などないのだから、この条件はおそらくクリアできると思う。
当初は中国の保護区に生まれ変わろうと思っていたが、かつて和歌山アドベンチャーワールドで働いていた人が
「パンダ生意気ですよ。VIP待遇ですもん。エリート飼育員じゃないと担当できません」
と言っていたので、何とか和歌山アドベンチャーワールドに潜り込みたいところである。
メンタルおばけの夫氏は、また人間に生まれ変わりたいなどと正気の沙汰とは思えないことを言ってのけた。
それならば転生後は和歌山アドベンチャーワールドの飼育員になってパンダを担当してくれとお願いしたのだが、にべもなく断られてしまったので、私は愛について少し考えた。
こうして着々とパンダ転生計画が進んでいたある日のこと。
転生を応援してくれている(と私が勝手に思っている)夫氏がとんでもないことを言い出した。
「パンダに生まれ変われるのって相当エリートじゃないの?現世でかなり徳を積んでないと無理じゃない?しかも和歌山アドベンチャーワールドでしょ。VIP待遇だよ?しゃちほ子さんヤバいんじゃない?」
衝撃である。
今まで私は勝手に、パンダより人間の方がエリートだと無意識に信じていた。
高度な脳を持つ方がエリートだと考えていた。
だからこそ、私くらいの雑魚人間であれば上手い具合に獣堕ちできるという希望を持っていたのである。
しかし考えてみれば確かに一理ある。
VIP待遇のパンダの方が人間よりもエリートなのではないか。
人間社会の世知辛さを乗り越えた者だけが、遊んで食って寝るだけの生活に辿り着くことが出来るのではないだろうか。
でも徳を積むってどうやって?
黒柳徹子さんぐらいならパンダに生まれ変わることもできようが、私ごときが一体どうやってパンダ徳を積めばいいのか分からない。
金もなければ行動力もない。
実を言えば生のパンダすら見たことがない。
せいぜい上野駅のパンダ像と一緒に写真を取ったことがあるくらいである。
そもそも、私ごときがなぜ哺乳類に生まれ変われると思っていたのか。
思い上がりも甚だしい。
虫か。
虫じゃないのか。
虫が妥当なところじゃないのか。
アリかミミズがせいぜい良い所じゃないのか。
夫氏の前で、私はしばし考え込んだ。
そして一つの結論を出した。
「虫くらい脳みそが小さいならきっと何も考えなくていいから、それはそれで良いんじゃないかな…」
そう、私はただ、人間の生き辛さとおさらばしたいだけなのである。
ならば転生先が虫でも、当初の目的は達せられるのではないか。
私が死んだら、次はきっと虫に生まれ変わる。
ただし、パンダ転生を諦めたわけではないので、徳を積める時には何とか詰んで、ワンチャン狙おうとも思っているのだ。