国も後押しする留学生受け入れ拡大。しかし定員の単なる埋め草になっていないか…在留外国人の“母語”について示唆に富むフィルムが登場。言語の尊重こそ、真の“共生社会”へ
▶「留学生受け入れの拡大」答申案にも盛り込まれる見通し
定員割れの大学が続出する中、欠員分は留学生でカバーせよ、との声が大きくなっています。
現在、文科省や中教審では、少子化の急速な進行に伴う、大学や高等教育全般の在り方についての議論が急ピッチで進められています。
中教審大学分科会の下に昨年秋に設けられた「高等教育の在り方に関する特別部会」は、いよいよ答申に向け大詰めにさしかかっています。
答申案を見ると、各大学においては、留学生受け入れの拡大も1つの重要な施策として盛り込まれています。
留学生を増やすべきであるという話自体、今に始まった話ではなく、昔から幾度なく、様々な局面で語られてきました。大学を評価・比較する際の国際化の進捗を測る重要なポイントとみなされているのです。
国際化が遅れているといわれている日本の大学においては、この留学生比率を上げることが大学の国際競争においても喫緊の課題であると異口同音に言われ続けてきているわけです。
▶留学生拡大の目的が変化?
ですから、留学生を増やす施策は特段目新しいものではありませんが、現在政府の方で行われている議論は、少し趣が異なってきていると感じるのです。
これまでは国際化とか多様性を担保することに主眼があったのですが、今回の議論は、少子化により国内の進学者で定員を充足させられなかった分を埋めるために、海外からの留学生にスポットが当たった、というわけです。言葉は悪いですが、欠員分の補充的扱いなのです。
今月文科省より発表された学校基本調査で2024年春の大学入学者の状況をみると、とくに私立大学において、留学生の入学が急増したことがわかります。
大学ジャーナルも、このことを詳しくレポートしています。
▼大学進学率は過去最高の59.1%でも進学者数は4,000人減 出身高校の所在地その他は約6,000人増(大学ジャーナルオンライン・12/23)
▶多様性が生まれることは歓迎すべきだが、、、
もちろん、留学生が増えることでキャンパスに多様性が生まれ、様々な学生が交流できるようになることは決して悪いことではなく、歓迎すべきことではあります。
しかし、
単純に数合わせや穴を埋めるための埋め草のような安直な動機で、留学生を増やしてもいいものなのでしょうか。それも、急激に。
こうした、一気呵成的な留学生拡大の風潮には、大いに危惧を覚えるのです。
とくに、コミュニケーションをとるうえで欠かせない“言葉”や“言語”の問題は、置き去りになってはいないか、、、、
▶神田外語大ならでは、の貴重な取り組み
そのような折、海外から日本に移り住み、暮らし続ける在留外国人たちの“母語”の現状について、深く考えさせられる機会に恵まれました。
12月19日、神田外語大学で行われた映画上映会&トークセッション。
上映されたのは、『はざま・母語のための場をさがして』(英題 “In Between – In Search of Native Language Space”)、まさに、在留外国人たちの母語について、真正面から向き合い、問題点に鋭く切り込むものでした。
さすが、日ごろから言語に向き合っている神田外語大学ならでの企画と言えるでしょう。
★この映画について紹介している出版社さんのnoteがありましたので、どうぞご覧ください。
上映会に先立って行われた監督の 朴 基浩(ぱく きほ)氏のプレゼンでは、日本に住む在留外国人の数が急速に増えている現状についての報告がありました。
▼令和6年6月末現在における在留外国人数について(出入国在留管理庁/
10/18)
この出入国在留管理庁の報道発表によると、「令和6年6月末の在留外国人数は、358万8,956人(前年末比17万7,964人、5.2%増)で、過去最高を更新」とのこと。
さまざまな在留資格によって、母国を離れ日本で暮らす人たちが増えているのですね。
それにしても350万人!ものすごい数です。
この人数は、静岡県の人口とほぼ同じとのことです。
▶「母語の保障」は誰がするのか
朴監督は、ディレクターズ・ノートのなかで、次のように語っています。
自身が在日コリアンとして生を受け、いわゆるバイリンガルとして成長するなかで、
と、「母語の保障」を訴えています。
増え続ける、在留外国人。
しかし、そうした人たちは、さまざまな面で、果たして丁寧に扱われているのでしょうか。存在自体、尊重されているのでしょうか。
そして、もともと使っていた言語=母語は一体どうなってしまうのか。
あるいは、そこに生まれてきた子どもたちの言語は?母語は?
▶祖国の祖父母の呼びかけに答えられず、、、
映画では、まさに母語が消滅しつつある、悲しい場面が描かれていました。
日本で暮らす海外ルーツの子どもたちが、主に日本語を使って生活している過程でだんだんと出身国の言語が話せなくなる、、、
映画では、日本で暮らすネパール人の家族が、ネパールで暮らす祖父母とテレビ電話で会話するシーンが写し出されていました。
久しぶりに孫の顔を見る祖父母たちの母語での呼びかけに、日本で生まれ育っている彼らは言葉が出てこない、、、すると、堪りかねた親御さんは、母国語での模範解答を、子どもに対して、まさに口移しさながらに教えるのです。子どもたちはそのとおりに口に出している、、、
まさに、母語が途絶え、消滅しかかっているという現実を痛感させられる瞬間なのです。
おそらくこうしたことは、日本で暮らす日本人は体験することのない風景でしょう。
実は、言葉は、その言葉=言語を使う人たちが日頃使い続けることで存在するものであり、使わなくなれば、あるいは使う人がいなくなれば、自然と消滅してしまうものなのです。
言語はとても儚いものなのですね。
ですから、母語を伝承することの難しさや大切さを、このシーンでまざまざと思い知らされたのでした。
・ ・ ・
当日は、後半に、外国にルーツを持つ学生数名が加わったトークセッションが行われたのですが、そこでも、これと同じような経験をしたことが自分たちにもあったと異口同音に証言していました。
本人はともかく、おそらく親御さんや祖父母の方々は、自分たちの子どもがどんどん母語から遠ざかっていってしまうことに、やりきれなさや寂しさを感じたに違いありません。
悲しい話です。
だからこそ、、、母語の保障、なのですね!
▶真の「共生」をめざして
朴監督は、トークセッションの中で、日本の大学における外国人留学生枠そのものについて、
「大学は在留資格について知らなさすぎる。もっと勉強すべき」と指摘し、
入試担当者など大学関係者に対しても、在留外国人に対する配慮がまだまだ足りないことを語っていらっしゃいました。
入学者選抜の出願要件、あるいは進学後の奨学金において、日本国内にいると気づかない不都合なことや無理解が、まだまだたくさんあるようです。
今回の映画&トークセッションは、言語や母語がフォーカスされていましたが、日本人は、これから外国の人たちをどう迎え入れ、そして、どのように暮らし社会を築いていくのか、月並みな「多文化共生」ではなく、真の「共生」についても、もっと真剣に考えなければいけないことを思い知らされたのです。
そして、とりわけ、言葉、外国人にとっての母語を大切にすること、そして、自らの母語を学び続ける権利を保証してあげられるようにすることが、いかに大切なのかを改めて認識させられたのでした。
▶言語は、平和の礎
ところで、今回のイベントの舞台となった神田外語大学。
その建学の理念は、
“言葉は世界をつなぐ平和の礎”
世界のあちこちで、紛争が続き、分断が起きているこういう時代だからこそ、人類が編み出したそれぞれの言語を大切に思い、理解しあうこと。
それこそが、互いの文化や歴史を敬い合い、ひいては人と人がつながる大切な絆となって、平和の礎が築かれるのでしょう。
とかく、AIやデータサイエンスなど科学やテクノロジーばかりがもてはやされている昨今。
でも、こうした世界の惨状を考えたら、こうした方向性は、ちょっとずれているような気もします。
神田外語大学が建学の理念で謳っている「言語」への思いこそ、これからキャンパスをグローバル化していくうえで、最初に確認すべき地点なのかもしれません。
▶言語・母語の議論も忘れずに
今回のイベントは科研費の対象となっているとのことですが、そもそも言語習得には高い壁があるのはご存知の通りです。
歴史上多くの先人たちが外国語習得に苦労をしてきましたし、中高生や受験生たちもその例外ではありません。
ですから、言語を継承していくことは、そう容易いことではないのです。
しかし、今後、資金や人材、エネルギーが確保できる可能性があるのであれば、もっとこうした方面の研究に注がれても良いのではないでしょうか。
そして、少なくとも、今後、留学生受け入れを拡大していこうとするのであれば、外国人や外国にルーツを持つ人たちの言語・母語についてもどうすべきなのかも、忘れず議論をしてほしいと思います。
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