足るを知ると溢れだす。
一昨年の冬。
朝、
店へ出勤する途中。
頭の中で
「足るを知る、足るを知る…」
と繰り返している事に気が付きました。笑
いつから繰り返していたのか
分からない位に、
自然と頭の中に現れたこの言葉。
何処かで見たのか、
聞いたのか、
記憶の隅から
突然現れました 。
呪文の様に
頭の中で繰り返される
この言葉。
なんだろうと不思議に思いながらも
店に着き、
仕込みをしている間に
自然と忘れていきました。
その日の午後。
いつも来店される
紳士なお客様。
私はいつものように
コーヒーを淹れ、
そのお供に
カフェオレのシフォンケーキを
ご注文頂きお出ししました。
ホッとひと息いれた頃に、
そういえば、
こんな言葉知ってるかと、
そのお客様は、
手帳を開いて見せてくれました。
さっき知り合いから教えてもらって、
京都の龍安寺にある
蹲(つくばい)に
こんな文字が刻まれているらしいんだけど…、
なんて読むか分かりますか?
と、その方は、
クイズを出した出題者のように
ウキウキと私に尋ねてきました。
私は蹲(つくばい)とはなんぞや?
と一瞬そちらに気を取られたものの、
答えがすぐに分かりました。
真ん中の「口」の字を
上下左右の字が共有していて、
「吾 唯 知 足 」
という4文字になります。
こういうの
得意!得意!
なんていい気になっていたら、
この読み方をお客様から聞いて驚きました。
この4文字は老子の言葉で、
ワレ タダ タル(ヲ ) シ(ル)
吾 唯 足 知
と読むそうです。
私、今朝っ!!
この言葉を頭の中で繰り返しながら
来たんですよ!!
と興奮気味に
お客様に伝えましたが、
あはは~なんて
お客様は笑いながら
あまり私の興奮を受け止めてくれない…。
朝、
頭の中で繰り返された言葉が、
また改めてお客様の手帳の中から
出てきたもんだから、
こりゃもう
龍安寺に行きなさいって事だなと、
単純な私は
気持ちがすぐに京都へ。
毎年
何度か関西へ行くので、
京都へ行く事に関しては
ハードルが低かったのですが、
その年は、
大阪へは行けたものの
京都までは足を伸ばせず…断念。
その間にも
店を訪れた神戸出身の男の子が
「僕、龍安寺好きなんです」
なんて言うもんだから、
ますます行かなくてはと
勝手な使命感をふつふつと湧かせながら、
昨年の秋、
念願の龍安寺へ行って来ました。
実際に、
その蹲(つくばい)を見たら
自分はどんな気持ちを抱くんだろう…。
なんてワクワクしながら、
山門から参道を歩き境内の中へ。
龍安寺は、
石庭も有名らしく、
皆そこで足を止め
穏やかに流れる時間に
身を委ねていました。
何やらこの石庭の石は
15個配置されているらしいのですが、
どこから眺めても必ず1つだけ
石が見えなくなっているそうです。
うん、
確かに。
庭の前の廊下を行ったり来たりしながら
私も石を数えてみましたが、
どうしても15個数えられない。
この石庭を作った人は不明らしいのですが、
こんな
私ごときに全てを見ようとすること事態が
おこがましいわ。
とそんなことを思わされ、
それがこの庭を作った人が伝えたい事なのかなと、
どうやったって見ることの出来ない
15個の石の意味を自分なりに感じてみました。
そしてついに、
目的の蹲(つくばい)の場所まで行きました。
茶室の前に
見逃してしまいそうに在った
蹲(つくばい)。
スマホで
一生懸命に寄ってみたものの…粗い。
こちらは模造品で
本物を見ることは出来ないそうです。
吾(われ)唯(ただ)足るを知る。
この言葉が
自分には必要なんだと
何人もの人が過ぎ去る中、
気の済むまで眺めさせて頂きました。
そして私はこの日から、
無いものを見るのではなくて、
今在るものに目を向けようと
考えようと決めました。
しかし、
そうは言っても難しい。
理不尽な事にぶつかれば
余裕はなくなるし、
分かったふりをして、
無理矢理にでも
そう思い込もうと一生懸命になっている
ズルい自分にも気が付いていました。
中々、
腑に落ちきれずにいたのですが、
1年経った今まさに。
やっとこの言葉が
身に染み始めてきたのです。
綺麗に納めようと
考えるのではなくて、
じわじわと
感じずにはいられないこの想いは、
お客様の存在のお陰です。
世の中の不安が増している
この状況で
店に訪れてくれるお客様たち。
常連さんも
初めての方も、
一人ずつの気持ちを感じたときに
在ること以外、何も無い。
店に来たくても
今はどうしても来れないお客様の想いでさえも
既にここに在るではないか。
今まで分かっていたはずだったけれど、
つもりな部分があったはず。
今起きている事は、
大変な事なのかもしれないけれど、
ここまでならいと
足るを知ることが出来ない
私だったのです。
至らない所だらけなのですが、
今まさに
足るを知って
感謝が溢れだす。
あの日
頭の中で繰り返された言葉は、
その感謝が尽きないことも
私に教えてくれました。
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