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消えた豊臣秀吉を追いかけて Part 4 豊臣秀吉が鬼門を封じるか

●古川橋豊國神社の誕生

 Part4は古川橋豊國神社の関係者に対し行った取材を基に進めます。

 第三期大阪豊國神社が第二期京都豊国神社から独立する2年前の1919年(大正8年)11月8日に、関西電力株式会社の前身にあたる大阪送電株式会社が発足しました。同社は1921年(大正10年)2月25日に社名を大同電力株式会社に変更し、1922年(大正11年)7月に古川橋変電所を建設しました。関西電力株式会社によると、古川橋変電所の建設に伴い所内の安全と息災を祈念すべく敷地の隅に豊国大明神を祀ったそうでして、ここに古川橋豊國神社が誕生したのです。

在りし日の古川橋豊國神社。 写真の提供:関西電力送配電株式会社野江電力所

 第四期大阪豊國神社の社務所によると、古川橋豊國神社への分霊と勧請は第三期大阪豊國神社が執り行いました。ただし、祭神に豊国大明神を選んだ理由が全く分からないそうです。関西電力株式会社にも理由が継承されておりませんでして、残念ながら古川橋変電所に秀吉を祀った明確な理由の特定に至りませんでした。

 では、私なりに仮説を立ててみましょう。私は古川橋変電所に豊国大明神を祀った理由として、古川橋変電所の立地を挙げたいと思います。まずは古川橋変電所を捉えた衛星写真をご覧になってください。

古川橋豊國神社を廃社する直前に撮られた衛星写真です。グーグルより拝借しました。ちなみに、大同電力株式会社の初代社長・福澤桃介(ももすけ)は福沢諭吉の婿養子です。

 変電所の北東角=鬼門に古川橋豊國神社が鎮座しまして、鳥居と社殿が鬼門を向いて拝む配置であったと分かりますね。次いで広域の地図をご覧になってください。

古川橋豊國神社は第二期京都豊国神社の遥拝所を兼ねたのかもしれませんね。

 第二・三期大阪豊國神社及び大阪市の鬼門に古川橋豊國神社が鎮座しますので、東北に傾く古川橋豊國神社を拝めば、自ずと第二期京都豊国神社を遥拝する格好にもなったと分かりますね。これら立地を見るに、裏鬼門と鬼門の間を豊国大明神で鎮めつつ、変電所での厄災を封じたいという意思を感じないでしょうか。


●裏鬼門と鬼門とを結ぶ京阪電鉄

 仮説の補強として京阪電鉄萱島(かやしま)駅に鎮座する萱島神社の神木・大楠大明神について触れておきます。京阪電鉄は高度経済成長の極まる1972年(昭和47年)11月に輸送力の強化を目指し、萱島駅の前後を走る地上の複線を高架の複々線に改める工事に着手しました。しかし、線路の倍増に伴い萱島駅を増築する計画の上がったところで問題が発生しました。増築の予定地に萱島神社の神木が立っていたのです。京阪電鉄が神木を伐採しようとすると、周辺の住民から反対の声が上がりました。

 「京阪電鉄本社の鬼門にあたる
  大楠大明神を伐るとは不吉な!」

 大阪市と京都市とを結ぶ、つまり、裏鬼門と鬼門とを結ぶ京阪電鉄である故に、沿線の開発を思うように進められないという事実がありました。昔は鬼門を避ける習慣が強かったのですね。そういった背景もあり、住民の反対を重く受け止めたか、大阪方面行き3・4番線のプラットホームが萱島神社の神木によって貫かれる特異な姿に至ったのです。

京阪電鉄萱島駅と萱島神社です。樹齢約700年の大楠大明神が駅を真下から貫き、樹冠がプラットホームの屋根を超えます。

 大正時代に誕生した古川橋豊國神社と、昭和時代に増築した萱島駅の神木に、直接の関係を示す資料はありません。しかし、かつての古川橋変電所は京阪電鉄に送電した変電所の一つであり、大同電力株式会社で初代常務取締役を務めた太田光凞(おおたみつひろ)は同じ時期に京阪電鉄の常務取締役も務め、後に京阪電鉄の社長に就任した人物です。また、京阪電鉄本線の大阪側の終点は第三期大阪豊國神社に程近い淀屋橋駅でしたし、京都側の終点は第二期京都豊国神社に程近い三条駅でした(*1)。両社の経営陣が鬼門を疎んだなら、裏鬼門・第三期大阪豊國神社と鬼門・第二期京都豊国神社の間に豊国大明神を祀ってもおかしくないと思います。

*1)1989年(平成元年)10月に三条駅から出町柳駅までが延伸し、2008年(平成20年)10月に淀屋橋駅から中之島駅までが延伸しました。正式な名称は前者が鴨東線で、後者が中之島線です。


●古川橋豊國神社の消滅

 さて、長きにわたり古川橋変電所の鬼門を鎮めた豊国大明神も、時流の変化にしたがい存在の意義を弱めたのでしょうか。1951年(昭和26年)5月1日に関西電力株式会社が発足し、1955年頃(昭和30年頃)に始まる高度経済成長の中で、鬼門を避ける習慣が風化しました。かつては田園風景を走る京阪電鉄でしたが、沿線の開発が進み、車窓に住宅とインフラが敷き詰まると、どこを取って裏鬼門と鬼門と見做すか、境界が曖昧になったのでしょう。

 また、平成時代の中頃に古川橋豊國神社の社殿が荒らされ、神体を失うという事件が発生しまして、再び分霊と勧請を第四期大阪豊國神社が執り行いました。さらに、1990年頃(平成元年頃)に関西電力株式会社が複数の変電所を一括で管理する施設(*1)を置き、次いで2019年(平成31年)4月1日に関西電力送配電株式会社の発足に伴い野江電力所が古川橋変電所の管理を引き継ぐと、古川橋変電所に職員(*2)の常駐する必要がなくなり、古川橋豊國神社を営繕する必要もなくなりました。

 2019年(平成31年)の暮れに関西電力株式会社から第四期大阪豊國神社の社務所に一本の電話が掛かってきました。

 「豊国大明神の御霊を
  豊國神社にお還ししたい」

 2020年(令和2年)3月に古川橋豊國神社が廃社となり、秀吉の御霊が98年ぶりに大阪城へと戻りました。古川橋豊國神社の鳥居の扁額と社号標の石碑も第四期大阪豊國神社に保管されております。

第四期大阪豊國神社の保管する古川橋豊國神社の扁額と社号標です。
2021年(令和3年)6月2日に撮影した古川橋豊國神社の跡地です。北を向いて撮影しました。2本の神木の間に鳥居があり、手前の神木の左に社号標がありました。社殿が北西(右ななめ前)に傾いたと分かるでしょうか。


 本記事は以上となります。読んでいただきありがとうございました。お気付きの点があれば私のtwitterにお知らせください。

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*1)施設は2001年(平成13年)に廃止しました。
*2)変電所に職員を置いた頃の神事は八坂神社(大阪府門真市御堂町4番地28号)が執り行いました。老朽の進む古川橋神社の社殿の改修を図るも、業者の上げた改修の見積もりが数千万円にも及び、廃社の後押しとなったそうです。なお、境内の南に隣接する建物は、1981年(昭和56年)6月と1983年(昭和58年)3月に関西電力古川橋社宅として建てられ、2016年(平成28年)2月の改修を以て賃貸住宅のエル・セレーノ古川橋となりました。

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