「その日暮らし」の人類学ーもう一つの資本主義経済、を読んで(ミニ読書感想文)
「将来、いい大学に入るために、今は遊ぶのを我慢して勉強しなさい」よく聞く言葉だし、僕もそのように「今」を犠牲にしてやってきて、医者という仕事にありついている。
大学の次はなんだろう。いい仕事につくために、いい暮らしができるために、いい老後を迎えるために、いい死に方ができるために...。僕たちは常に少し先、を見て生きていくことがデフォルトになって、今この瞬間をどれだけ楽しむことをつい忘れてしまいがちだと思う。実際に、最近の僕の頭の3割くらいは、来年までに博士論文を仕上げなきゃ、が占めている。
「『その日暮らし』の人類学」は、Living for Todayーその日その日のために生きるーをkey概念(テーマ)に、資本主義経済の裏にある、アフリカや香港の大衆市場におけるインフォーマル経済の実践の場をフィールドワークを通して読み解きながら、「わたしたち」の社会で支配的な「今」を犠牲にして「未来」を優先する、「生産主義的・発展主義的人間観に問いを投げかける」ことを試みた本である。
この本を読みながら、自分たちの身近にも「今」を生きる人たちがいることを思い出した。「もの忘れ」あるいは「認知症」のある人たちである。つまりは未来の我々(の多く)である。
例えば、今この瞬間も、どこかの病院では、足腰の衰えを気にせずベッドから離れて果敢に歩き出そうとする彼らと、「転ばないように」とあの手この手で転倒予防に努める看護師の「闘争」が繰り広げられている。
「今〜する」という身体の彼らと、「もし転んだら〜」という未来志向からくるリスクを中心に考える看護師は、同じ空間に居ながら、違う時制、価値をもって存在していると言える。
もの忘れがちな、今を生きる彼らと関わるケアの専門職は、彼らを「わたしたち」の社会の当たり前にはめ込もうとすることを少し手放して、自分たちの時制を「未来」から「今」にズラしてみることで、彼らの生きている世界の片鱗が見えてくるのではないだろうか。
少なくとも自分が将来「ボケ」たときは、見えている「今」の景色を一緒に楽しんでくれる人に世話になりたいと思うのである。
しかし一方で、博論の締め切りを意識せずにはいられない、未来志向の支配から逃れられない自分も優しく許してあげたいとも思うのである。
文献:「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済. 小川さやか/著. 光文社新書 https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334039325