樹海奇譚 ~初めての樹海で迷ってしまった、ちょっと怖くて不思議な体験~
久しぶりの観光旅行へ
2022年11月2日から3日、平日休みと祝日を利用し河口湖へと旅立った。
富士五湖と青木ヶ原樹海がその目的で、有名スポットであったがこれまで一度も行ったことがなかった。
富士山は新幹線からと芦ノ湖で見る程度だったので、間近に見るのも今回が初めてだった。
『旅行』と言えばここ5年くらいは創作に関する取材を兼ねたものだったので、いわゆる普通の観光旅行が出来るとあって心は高揚していた。
私の一人旅は基本的に車を使わない。
出来るだけ歩けるところは歩くことで、その町の印象を刻むことが出来るからだ。
しかし、それには体力がいる。
近年は加齢による身体の衰えも感じ、旅の前に緩い筋トレを始めていたが、それでも体力は随分と落ちていたと思う。
旅の計画を立てる
旅を計画は主にネット検索を中心に組み立てた。樹海についてはやはりガイド付きのツアーを利用してみたいと考えていた。
しかしこのご時勢、おそらくマスク着用が必須であろう。
せっかくの大自然を味わうのにそれは結構大きな障壁だと思い、結局一人で歩いてみようと決めた。
とはいえ、ガイドなしの樹海はそれなりに不安もあると思い、西湖に近い定番樹海コースではなく、樹海はかすめる程度の、鳴沢氷穴から紅葉台、三湖台というプチ登山をメインとするプランに切り替えた。
樹海というと様々な都市伝説があるが、そのほとんどが迷信である、ということは周知していたつもりだった。
ところがこの後、私は思いもよらぬ体験をすることになる。
その体験はとてもミステリアスで、しかしそこそこの恐怖を感じたことを正直に言っておこう。
そもそも今回のコースは三湖台から見渡すパノラマを見るのがメインで、迷うようなものではなかった。
登山と言っても300メートル程度の高低差なので初心者でも問題ないとされていたから、登山的装備品などは特に持たなかった。
リュックの中の飲食物は水とカロリーメイトだけだった。
ゆっくり進んでも片道90分、往復3時間という情報であったから特に問題ないと思っていた。
それが最後の最後に、気づかぬうちに誤った方向へと進むことになってしまったのだ。
これを書いているということは当然無事に帰ってこれたのだが、思い起こせばここに至るまでに色々と予兆的なものがあった。
3度目の正直
さかのぼること9月初旬、旅先を富士五湖に決め、その月の下旬の宿を予約したが天候が危うくなりキャンセルをした。(結局その日は体調を崩したのでどちらにしても行けなかったのだが……)
ところが10月も思うように晴れてくれない。
富士五湖の観光に天気は重要なので雨天決行に踏み切ることはできなかった。
そうして11月、3度目の正直でようやく願いは叶った。
季節は紅葉シーズンの入り口であったが、程よく緑も混ざる、自分的に好きな情景が見られる頃になっていた。
鳴沢氷穴
旅行初日の計画では11:30頃に鳴沢氷穴バス停に到着し、そのまま紅葉台、三湖台へ向かい、下山後に氷穴と風穴を見学する予定であった。
ところが、鳴沢氷穴バス停を降りると、何やら頭がぼーっとし、視界が狭くなるというか平面的に感じるような、何とも言えない不快感があった。
久しぶりに大自然の中に来たからなのか、とまずはこの状況に慣れてから山へ行こうと思い、鳴沢氷穴を見学することにした。
300メートルほど進むと立派なコテージがあり、氷穴の観光案内や受付があった。
氷穴は神秘的であったが、かなりしゃがまないと歩行できない箇所もあり、高齢者には結構大変なのではと感じた。
氷穴を出ても何とも言えない圧迫感は改善しなかったが、とりあえず進むことにした。
ちょうどネットで検索したルートも、この鳴沢氷穴の裏手から、先のバスが走る国道139号下のトンネルをくぐって登山道へと続く林道であった。
東海自然歩道
この道は『東海自然歩道』の一部にもなっていたので案内板もしっかり掲げられていた。
ここから登山道へ出るまでがいわゆる青木ヶ原樹海の一部であったが、その区間は数百メートルほどであり、樹海にいる時間は十数分であった。
それでも原初的な森の一端を垣間見ることができ、また何とも言えない異様な雰囲気も味わうことが出来た。
親切な案内表示板も随所にあり、安心できる道だった。
ちなみに、この日は平日なので人出はまばらであり、山を登り始めるまですれ違う人はいなかった。
そして国道139号線をくぐるトンネルがこちら。
先入観無しに、なんとなく不気味さはある。
ここを超えると、いよいよ登山の入り口を感じる傾斜が現れる。
そこでとても印象的な光景があったので写真を撮った。
ここが、おそらく帰り路で分岐したであろう『黄色い絨毯の柵』である。
また、この辺りからあの圧迫感は少しずつ薄れていき、紅葉台へ着くころにはなくなっていた。
山の経験
山登りなどいつ以来だろうか。
若いころにリゾートバイトを転々とした時期があり、そのほとんどが山岳地帯であった。
初のリゾバが標高2000メートルの秘湯の宿で、登山口もいくつか近くにあり、見通しのいい岩山を夜に登ったりした。
箱根湯本で働いたときは芦ノ湖まで、正月のたいそう寒い時期に徒歩で往復(6時間くらいかかった)したこともあったが、道は分かりやすく山深く入ることはなく、人とすれ違うことはほとんどなかったが不安はなかった。
京都では比叡山や鞍馬~貴船などの山道を歩いたが人気スポットなのですれ違う人は多い。
と、これくらいなので山を見るのは好きだが、本格的な登山などは経験していないし、基本的なこともおそらく分かっていない。
話が逸れたが、紅葉台までは車で行くことが可能なので、そこから三湖台、五湖台と続く道はファミリーハイクにも最適な観光ルートであった。
その紅葉台までがプチ登山であるが、予想以上に急斜面もあり結構疲れた。
2~3か月間でも軽い筋トレをしていてよかったと感じた。
それがなかったら完全に膝を痛めていただろうと思う。
そもそも運動不足で足、特に膝に不安を感じたことから始めた筋トレだった。
紅葉台から三湖台へ
紅葉台、三湖台からの眺めはとても素晴らしかったが、富士山の片方に掛かる雲が結局晴れず終いでちょっと残念。
それでも感動できるパノラマを拝むことができた。
紅葉台までは車で来られることもあり、7~8組の観光客と出会った。
紅葉台レストハウスでなめこそばを食し、トイレ休憩も終えて三湖台へ向かう。
三湖台では一組のツアー客(高齢者4人とガイド)と一人旅のおじさんがいるくらいで、平日観光の特権を享受した。
雲が富士山頂から離れるのをしばらく待ったが、その様子もないので少し早めだが下山をすることにした。
13:30くらいだっただろうか。正確には覚えていない。
下山
膝に来そうな急斜面もあるので焦らずに降りたが、やはりなかなか足に堪える…
天候は安定しており、少し暑いくらいであった。
ちょっとしたトラップもあってヒヤッとするところもあったが、順調に降りていき、先に紹介したここ、『黄色い絨毯の柵』に辿り着いた。
帰りはやはり行きよりも進むペースが早い。この時おそらく14:15くらいだったと思う。
ここからは樹海を通り鳴沢氷穴へ出た後、そのまま『東海自然歩道』を進み、風穴へ出る予定だった。
この場所から先の139号下のトンネルまでは7~8分ではないかと思うが時間を計っていたわけではないので体感である。
ところでここへ着く少し前、なだらかな斜面を進む途中で、何故だかわからないが両手が無意識に中央へ寄り『合掌』をした。
自分でも不思議だったが、再度樹海へ入る前に、ここが色々な噂のある場所であることが頭をよぎったのだろうか、「安らかに…」と心の中でつぶやき合掌をしていた。
といっても立ち止まって頭を下げて、というわけでもなく、歩きながら何ともなしにそうしてしまったのだ。
樹海で迷う
さて、ここからがいささか肝を冷やした体験談の始まりとなる。
当然ながら来た道を戻り、139号下のトンネルを目指し進んでいった。
はずだったが、いつまでたってもトンネルは現れない。
5分くらい歩いたころだろうか、一度何かおかしいと思い、立ち止まった。
『黄色い絨毯の柵』からトンネルを目指し進んできた道はずっと下りであったが、行きの時にそんなに登っただろうか。もっと平坦な道ではなかったか。
それに案内板も一切なく、行きより歩きづらい道ではないだろうか。
何かが違う、と思いながら、実はこの道に入った辺りから例の妙な圧迫感が復活し、視界はとても狭くなっていた。
さらに足元に注意することもあって、先を見渡すという行為が減っていたのは事実だ。
それでも、歩いているところは道っぽくはなっているし、それに国道139号を走ってるだろう車の音が聞こえていたので、あと少し進めば到着するだろう、と思いもう少し進むことにした。
しかし、進めば進むほど車の音は消えていき、やがて聞こえなくなってしまった。
これは間違った。
そう確信したときにスマホを見ると14:30くらいだった。
日没までまだまだ時間の余裕はあったが、『一度道を外すと出てくることは困難』というあの都市伝説がまことしやかに迫ってきた。
コンパスも正常に動くというし、スマホも実際動いている。
そう、スマホだ。
そうして開いた地図アプリだったが、GPSが示す自分の位置を確認して血の気が引いた。
そこは、絶対にいない場所をさしていた(と思う)からだ。
と思う、というのはこの時点で正直かなり焦っており、そして異様な感覚と視野の狭さも相まって正常に考えられたかは疑問だからだ。
そんな中で見えた画面内の自分の位置は、139号を渡っていないのに、その先にいることになっていたのだ。
しかも向いている方向はそのまま進めば道路に出る方を示している。
それはない。
そこでスマホをあてにすることを本能的にやめた。
とはいえ、今回のルートで迷うことなど想定外であったのでその周辺についての位置感覚はあまりなかった。
よく分からない中で、想定外のことが起こり、更に樹海というパワーワードによって相当焦っていた。
明らかに正常ではない状態であったが、ここまで道なき道を進んできたわけではない。
道らしき道を進んできた。
だから戻れる。
まだその安心感は残っていた。
基本的に山を降ってきたのだから登ればいい。
そしてあの場所が思い浮かんだ。
そう、『黄色い絨毯の柵』だ。
分岐してしまったのはあそこに違いない。
まずはあそこまで戻ろう。
そう決心し、大丈夫だと思いながらも、不安は一気に加速し、来た道をを引き返すことにした。
喉はカラカラに渇いていた。
ペットボトルの水はまだ半分残っているし、カロリーメイトも半分残っている。
それでも立ち止まって休憩する気にはなれず、ひたすら来た道を戻った。
何故だろう、来るときはいなかったハエらしき虫が耳元へ何度も寄ってきた。
体力はまだあったが、登山による足の疲労を少なからず感じていた。
アップダウンを繰り返せば一気に体力も削られるだろう。
色々と不安は大きかったが電話をかける、という手段は残されている(はず)ので、あの場所へ戻れないようなことがあったら頼るつもりでいた。
何十分も進んだわけではなかったので、普通に考えれば戻れるはずだが、その自信は先の分岐で間違ったこともあり、かなり頼りなかった。
狐の仕業?
そうして無我夢中で登り続けること5分くらい、かどうかは分からないが進むと急に道が開けた。
着いた!
そう思って駆けあがった先に見えたのは本来戻るべき場所ではなかった。
が、辿り着きたい場所であった。
そう、あの『黄色い絨毯の柵』ではなく、国道139号線下のトンネルに出たのだ。
狐につままれたとはまさにこのこと。
しばらく放心状態となり、近くの岩場に腰を掛け、残ったペットボトルの水を流し込んだ。
10分ほど座っていただろうか。
それでも何が起こったのか皆目見当がつかない。
来た道を戻ったはずなのに別の場所へ辿り着いた。
そこがたまたまトンネルだった。
もしかしてあの時の『合掌』が良くも悪くも影響したのか。
理屈では説明できない体験はそうそうあるものではない。
『高野聖』
言わずと知れた泉鏡花の名作だが、何となくこれを思い出した。
何はともあれ、電話をかける必要はなくなった。
ホッとした。
樹海、恐るべし。と言いたいところだが、冷静に考えるとこれは山や森、林ではどこでも起こりうることだ。
しかし、色々な知識によって武装されてしまった”樹海”はやはりその辺の森ではなく、唯一無二のミステリースポットとして存在する。
都市伝説と呼ぶのは勝手だが、これは私が経験してしまった不都合な真実とも言える。
ちなみに私は心霊現象的なものは、巷間賑わすネタ的な現象をそのまま信じることはないが、この世の中が存在すること自体が既にとんでもないミステリーだと思っている。
だから呼び方はどうあれ、この世に説明のつかない現象はまだまだたくさんあると思っている。
そういう体験をしたいという好奇心もあるが、それをしてしまった後に現実とどう対峙しなければならないのか、そういう不安もある。
一昨年書いた自作小説でも、ちょうどそんな要素も含んだ近未来を描いていたことを思い出した。
そしてこの河口湖へ来るまでの電車内で読んでいたのは、千葉雅也氏の『現代思想入門』で、ジャック・ラカンの考え方についての項であった。
哲学は認識や存在について追及する学問であり、不可思議な現象についても近代思想的に面白い解釈ができるのではと思う。
以上がちょっと怖かった樹海体験談です。
ちなみにその後はトンネルをくぐることは当然せず、道路へ出てひとまず風穴へ行こうと歩きだしたが、やはり妙な感覚は治まる気配がないのでバス停へ引き返した。
バス停には遅延するバスを待つ観光客が3組いた。
存在としての人のぬくもりを感じ、とても安堵した。