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2010年の中日ドラゴンズ優勝の凄さについて語りたい
中日ドラゴンズは2013年から2019年まで7年連続Bクラス、最下位1回。
唯一2020年には3位のAクラスに浮上しましたが、以降またBクラスに落ち、2022年から2024年には球団史上初の3年連続最下位という屈辱に終わりました。
この2013年から2024年の12年間でBクラス11回、最下位4回という大暗黒時代が続く中日ドラゴンズですが、しかしながらかつては常勝球団の名を欲しいがままにしていたチームでした。
とくに落合博満監督が率いた2004年から2011年は球団史上最高の黄金時代であり、8年間全てAクラス、リーグ優勝4回、日本一1回という無類の強さを誇っていました。
このリーグ優勝した年が2004年、2006年、2010年、2011年なのですが、
2004年
→落合監督就任初年度。就任時に「現有戦力を10%底上げすれば優勝できる」と発言し、守り勝つ野球で見事優勝し、有言実行を果たす。
2006年
→貯金34。2リーグ制以降の球団歴代3位の勝率.617をマークした球団歴代最強クラスのチームに。
2011年
→チーム打率.228のリーグ最下位、チーム得点419得点のリーグ最下位という貧打をマーク。
8月上旬には首位ヤクルトと10ゲーム差以上付けられ、8月9日終了時点で借金6と低迷。
さらにシーズン中に監督退任報道がされながらも、破竹の追い上げを見せ、奇跡の大逆転で球団史上初のリーグ連覇達成。
というように、落合監督時代のリーグ優勝したシーズンは2004年、2006年、2011年シーズンが強烈すぎて、この3シーズンが語られがちとなります。
そのため、2010年のリーグ優勝を語ろうとするドラゴンズファンはあまりいません。
しかしながら、この2010年のリーグ優勝はリアルタイムで見ていたファンにとってはまさに奇跡的なシーズン。もう15年前、当時の私は高校3年生でしたが、まさかドラゴンズが優勝できるとは思ってもいませんでした。
中日ドラゴンズが低迷している今だからこそ、15年前となる2010年のリーグ優勝を振り返りましょう。
①2010年当時のチーム成績
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当時の各チーム成績を見れば一目瞭然。統一球導入前の最後のシーズンであり、2024年シーズンと比較したら信じられないくらい、2010年シーズンは打高投低でした。(なおラビットボールではありません)
どれだけ打高だったか説明すると、2024年のセリーグ最多得点は横浜の522得点ですが、2010年のセリーグ最少得点は横浜の521得点であり、最多得点が阪神の740得点となります。
そのためか広島と横浜の投壊っぷりが凄まじいです。
そして順位表を見れば分かるように、ドラゴンズはリーグ優勝を果たしましたが、2位阪神とは僅か1ゲーム差、3位巨人も2位阪神と僅か1ゲーム差となっており、2ゲーム差以内に1~3位のチームがひしめく、文字通りの三つ巴のシーズンでした。
なお、リーグ優勝を果たしたドラゴンズでしたが、開幕から常に首位争いをしていたのかと言うと、そうではなく、7月3日の試合終了時点でドラゴンズは借金1と低迷していました。
また、この時は巨人が首位で貯金14、阪神が2位で貯金10となっており、首位争いには程遠い状況でした。
しかしながら、7月16日から怒涛の7連勝を決めたことを皮切りに、8月12日からも怒涛の7連勝を決め、巨人と阪神の首位争いに割り込みました。
そして三つ巴の首位争いの中、8月31日から6連勝、
9月3日からの対巨人戦3連戦では見事3タテを決め、ドラゴンズが2位、巨人が3位とついに順位が逆転しました。
さらに9月8日から再び6連勝を決めたことにより、9月10日にはついにドラゴンズが阪神を追い抜き首位へ躍り出ると、9月30日、ついにドラゴンズの優勝マジック1が点灯となりました。
そしてドラゴンズの試合が無い10月1日に2位阪神が広島に敗れたため、見事ドラゴンズが三つ巴の優勝争いを制し、リーグ優勝を成し遂げました。
②中日、阪神、巨人の主力選手の成績比較
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三つ巴の優勝争いを繰り広げた当時の中日、阪神、巨人の主力選手の成績をスタメンデータベースより引用すると、
中日ドラゴンズ
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チーム防御率3.29(リーグ1位)
チーム打率.259(リーグ5位)
チーム本塁打119本(リーグ4位)
チーム得点539得点(リーグ5位)
シーズン30本塁打コンビ(和田、ブランコ)
阪神タイガース
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チーム防御率4.05(リーグ4位)
チーム打率.290(リーグ1位)
チーム本塁打173本(リーグ2位)
チーム得点740得点(リーグ1位)
シーズン3割打者5人(城島、平野、鳥谷、新井、マートン)
シーズン100打点トリオ(ブラゼル、鳥谷、新井)
シーズン90打点コンビ(城島、マートン)
当時のNPBシーズン安打新記録樹立(マートン)
読売ジャイアンツ
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チーム防御率3.89(リーグ4位)
チーム打率.266(リーグ3位)
チーム本塁打226本(リーグ1位)
チーム得点711得点(リーグ2位)
シーズン本塁打王、打点王(ラミレス)
シーズン40本塁打コンビ(阿部、ラミレス)
シーズン30本塁打コンビ(小笠原、坂本)
シーズン90打点コンビ(阿部、小笠原)
成績を見ても分かるように、阪神と巨人は圧倒的な打力を誇り、対するドラゴンズは圧倒的なリリーフ陣を誇り、それぞれが三つ巴の戦いを繰り広げ、ペナントレース終盤まで優勝争いを繰り広げることとなりました。
ちなみに現代のリリーフ投手の運用は3連投すら酷使になるから御法度と言われるほど慎重に起用されていますが、当時のNPBにあっては4、5連投は当たり前。勝ちパターンのイニング跨ぎも当たり前であり、登板数を見ても分かるように主力リリーフのシーズン60~70試合登板以上はザラでした。
③ホーム勝率.746、サヨナラ勝ち12回。ナゴヤドームで見せた無類の強さ
チーム成績で見ても分かるように、各チームのホーム、ビジター別の成績を見ると
ホーム ビジター
中日 勝率.746(53-18) 勝率.371(26-44)
阪神 勝率.609(42-27) 勝率.500(36-36)
巨人 勝率.648(46-25) 勝率.458(33-39)
ヤク 勝率.507(36-35) 勝率.522(36-33)
広島 勝率.431(31-41) 勝率.386(27-43)
横浜 勝率.366(26-45) 勝率.306(22-50)
なんとホーム勝率.746という圧倒的な強さを誇りました。
このホームでの強さを誇示するかのように、なんとペナントレースでは球団新記録となる12回のサヨナラ勝ちを決め、CSでもサヨナラ勝ちで日本シリーズ進出を決めています。
しかしながらビジター勝率に関してはリーグ5位の広島以下となるビジター勝率.371と対照的な結果となりました。
ホームで最強のチームがビジターでは3割しか勝てない?明らかに異常じゃねーか
④快進撃の始まり「5試合連続完封勝利」
ドラゴンズの快進撃の始まりとなるのが7月16日からの7連勝なのですが、この7月16日から7月20日の間、なんとNPB新記録となる5試合連続完封勝利を成し遂げています。内容としても、
7/16 中4-0広 ○ 山井大介投手完封勝利
7/17 中4-0広 ○ 中田賢一投手完封勝利
7/18 中6-0広 ○ チェン投手完封勝利
7/19 中5-0横 ○ 岩田慎司投手7回無失点
7/20 中1-0横 ○ 延長11回完封リレー&サヨナラ勝ち
というものであり、この5試合連続完封勝利は2024年シーズン終了時点ではNPB記録となっています。
また、5試合連続完封勝利を樹立した試合後に落合博満監督はインタビューで「何度も言うようだけど、すべては山井。山井がこの流れを作った」と山井大介投手を評価していました。
ちなみに山井大介投手は8月18日の巨人戦では8回までノーヒットノーランピッチングをするも、9回に坂本勇人選手にホームランを浴びノーヒットノーランを逃すということもあり、2007年の日本シリーズの8回完全ピッチングを引き合いに話題となりました。
⑤森野将彦選手、ブランコ選手、和田一浩選手による「BMW砲」という絶対的中軸の活躍
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阪神、巨人の圧倒的な打線と比較したら当時のドラゴンズ打線はやや物足りないかと思われますが、それでも主軸を担った森野将彦選手、和田一浩選手、ブランコ選手はリーグ屈指の成績を誇り、ドラゴンズ打線を牽引し、その中でも最も優れた成績を残した和田一浩選手が2010年シーズンMVPを獲得しました。
当時の3人の成績が、
森野将彦
144試合 打率.327(547-179) 22本 84打点 OPS.936
和田一浩
144試合 打率.339(505-171) 37本 93打点 OPS1.061
ブランコ
134試合 打率.264(493-130) 32本 86打点 OPS.850
となっており、この成績がどれだけ凄いか説明すると、2016年から2024年まで在籍したビシエド選手のキャリアハイとなる2018年の成績が、
135試合 打率.348(512-178) 26本 99打点 OPS.974
現在ドラゴンズの絶対的主砲である細川成也選手の2024年の成績が、
143試合 打率.292(534-156) 23本 67打点 OPS.846
なので、当時の主軸は全盛期のビシエド選手や細川成也選手クラス、あるいはそれ以上の成績だったということになります。
(ボールの違いはありますが)
また、セイバーメトリクスの指標の一つである、打者が攻撃においてどれだけの得点を創出したかを表す「RC」という指標で当時の中日、阪神、巨人の中軸を担った選手を示すと、
中日:森野 111.22 和田 130.65 ブランコ 83.80
阪神:鳥谷 101.48 新井 99.81 ブラゼル 100.55
巨人:小笠原 109.75 ラミレス 109.97 阿部 107.77
RC合計:中日 325.67 阪神 301.84 巨人327.19
となり、シーズンMVPを受賞した和田一浩選手がトップとなり、またドラゴンズの中軸は阪神を上回り、巨人に肉薄するRC合計値となるため、言わばドラゴンズの中軸はセ・リーグトップの実力を誇っていました。
ちなみに2018年のビシエド選手のRCは107.21であり、2024年の細川成也選手のRCは90.64です。
また、中軸の打順については
3番森野、4番ブランコ、5番和田
3番森野、4番和田、5番ブランコ
3番和田、4番森野、5番ブランコ
の3パターンの打順があり、和田一浩選手は3番、4番、5番の全ての打順を1シーズンで経験しています。
なお、和田一浩選手の打順別成績が、
3番起用 22試合
打率.303(75-23) 3本 12打点 OPS.867
4番起用 48試合
打率.288(170-49) 12本 26打点 OPS.946
5番起用 74試合
打率.381(260-99) 22本 55打点 OPS1.191
であり、何故か5番起用時にやたら打つという選手でした。
ちなみに和田一浩選手の当時の月別成績ですが、
3・4月 打率.376 6本 21打点 OPS1.135
5月 打率.333 8本 14打点 OPS1.118
6月 打率.338 7本 14打点 OPS1.101
7月 打率.367 6本 15打点 OPS1.134
8月 打率.341 4本 16打点 OPS.939
9月 打率.269 6本 13打点 OPS.931
であり、8月終了時点でなんと打率.350以上をマークし、首位打者争いに加わっていましたが、9月に失速してしまい首位打者は獲得できませんでした。
つまり9月に失速した成績であのシーズン成績です。
なお、この年は月間MVPは受賞していません。
明らかに異常じゃねーか
⑥「髙橋-浅尾-岩瀬」の勝利の方程式の確立
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阪神、巨人の三つ巴のリーグ優勝争いを制することができた最大の要因は、この2つのチームに無かった勝ちパターンのリリーフ陣の確立でしょう。
当時のリリーフ陣の柱となった髙橋聡文投手、浅尾拓也投手、岩瀬仁紀投手の勝利の方程式は成績を見ても分かるように、
髙橋聡文
63試合 防1.61 4勝1敗31H 62奪三振 投球回61.1回
WHIP1.11 K/BB2.58
浅尾拓也
72試合 防1.68 12勝3敗47H1S 75奪三振 投球回80.1回
WHIP0.87 K/BB7.50
岩瀬仁紀
54試合 防2.25 1勝3敗3H42S 41奪三振 投球回48回
WHIP1.25 K/BB3.15
となり、当時のNPB最強の勝利の方程式でした。
とくにセットアッパーを務めた浅尾拓也投手はこの年にNPB記録となるシーズン59ホールドポイントを樹立し、さらに25試合連続ホールドポイントのNPB記録を樹立し、2024年シーズン終了時点で今なお破られていない大記録となっています。
また、当時のTVでも落合博満監督がインタビューで「和田がMVPを獲ったけど、浅尾にもMVPをあげたかった」と言わしめたほどの活躍を見せました。
なお、浅尾拓也投手のキャリアハイはシーズンMVPを獲得した2011年であると誰もが思いますが、この2010年シーズンを見ていた身としては、2010年こそが浅尾拓也投手の全盛期だと思います。
ちなみに浅尾拓也投手自身も「2011年は吉見の勝ちを2つ消してしまった。先発の勝ちを消さなかった2010年の方が良かった」と当時のTVのインタビューで発言しています。
なお、セイバーメトリクス等の指標の観点から見れば基本的には先発>リリーフという評価なり、昨今ではNPBはリリーフを過大評価していると一部では批判の的になっていますが、2010年シーズン当時の状況、特に対阪神戦、対巨人戦では大概ある程度の打撃戦となり、試合中盤~終盤に逆転しても常に逆転され返すようなシーズンでした。
そのため、どのチームも勝ちパターンのリリーフを確立することができておらず、結果として打高時代に勝ちパターンのリリーフを確立することができたドラゴンズが終盤のリードを守りきり勝ちを溢さない堅実な野球で勝つというのを体現していました。
なお、岩瀬仁紀投手は2010年シーズン中に通算250セーブを達成し、名球会入りを果たしています。
⑦衝撃のアライバコンバート
2010年シーズンのドラゴンズで衝撃的なことと言えば、2009年のオフシーズンに落合博満監督が宣言した「アライバコンバート」でしょう。
これは当時のドラゴンズの絶対的二遊間であるセカンド荒木雅博選手、ショート井端弘和選手のポジションを入れ替え、セカンド井端弘和選手、ショート荒木雅博選手にするという、球界を震撼させるコンバート案となります。
そもそも荒木雅博選手と井端弘和選手はお互い2004年から2009年までに6年連続GG賞を受賞していた球界を代表する二遊間であり、その二人のポジションを入れ替えることは理解不能であると、当時の殆どのプロ野球解説者にも批判されていました。
そして本当にアライバコンバートは敢行されましたが、やはりその影響は出てしまい、ショート荒木雅博選手の送球ミスが目立ち、結果荒木雅博選手はシーズン20失策を喫し、連続GG賞受賞の記録はストップとなりました。
一方でセカンドにコンバートされた井端弘和選手は不運にも目の不調により長期離脱を余儀なくされ、結果僅か53試合の起用に終わり、こちらも連続GG賞受賞の記録もストップとなりました。
⑧兄は代打の切り札、弟はセカンドで覚醒。堂上兄弟の活躍
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2010年シーズンで忘れてはいけないのが堂上剛裕選手、堂上直倫選手の堂上兄弟の活躍でしょう。
実父はドラゴンズOBの堂上照投手であり、父兄弟共に同一球団でプレーするのはNPB史上唯一無二の堂上一家。
兄の堂上剛裕選手は当時高卒7年目。打力はあるも守備に精彩を欠いていたため、レギュラーを掴み切れていませんでしたが、それでも打力を活かすために主に代打で起用され、結果を残していました。
特に9月22日の阪神との首位攻防戦では9回裏1死満塁のチャンスで代打起用され、当時の阪神の絶対的守護神の藤川球児投手からファーストゴロながらも相手のミスも合わさりサヨナラを決める一打を放ちました。
弟の堂上直倫選手は当時高卒4年目。2006年に高校生No.1スラッガーとして3球団競合ドラ1で鳴り物入りで入団するも、巨人にドラ1入団した坂本勇人選手が高卒2年目から活躍したため、当時は何かと同期ライバルの坂本勇人選手と比較されていました。
そんな中、セカンドの井端弘和選手が長期離脱したことにより、セカンドで起用されると、高卒4年目ながらも堅実な守備力を見せ、さらに打撃も開花したことにより、見事セカンドのレギュラーの座を掴み取りました。
また、8月6日の阪神戦では兄の堂上剛裕選手と共にタイムリーを放ったことにより、見事兄弟揃ってのヒーローインタビューにも上がりました。
⑨不屈の大記録、山本昌投手の史上最年長45歳完封勝利
9月4日の巨人戦、2位巨人と3位中日の直接対決となりまさにペナントレースの正念場となるカードとなる中、先発を任されたのが当時45歳の超ベテランの山本昌投手でした。
なお当時の山本昌投手は4勝0敗であり、45歳以上のシーズン4勝はNPB新記録となっていました。
そんな中、30発カルテットを達成する超強力巨人打線相手になんと6安打完封勝利となり、45歳0か月の完封勝利はNPB史上最年長新記録となりました。
なお、完封勝利の最年長記録更新は60年ぶりの快挙となりました。
⑩下克上を許すも死闘を見せた日本シリーズ
リーグ優勝を果たし、CSでも巨人を下し日本シリーズに進出したドラゴンズでしたが、相手はまさかのパ・リーグ3位からCSを破竹の勢いで勝ち上がった千葉ロッテマリーンズでした。
結果的に千葉ロッテマリーンズに敗れ、下克上日本一を許してしまいますが、この日本シリーズはまさに死闘でした。
ナゴヤドームで迎えた第1戦はエース吉見一起投手がロッテ打線に打ち砕かれ初戦を落としましたが、第2戦はドラゴンズ打線が爆発し快勝。
マリンスタジアムに移っての第3戦はまたもロッテ打線が火を吹き完敗。
第4戦はお互いのリリーフ陣が奮闘。特に9回裏2死満塁を抑えた浅尾拓也投手、延長10回裏1死満塁を抑えた髙橋聡文投手の魂のリリーフは今なおYouTubeで見ることができ、試合にあっては延長11回表の当時ルーキーの大島洋平選手のタイムリーでドラゴンズが勝ちきりました。
第5戦は前日の鬱憤を晴らすかのようにロッテ打線がまたしても爆発してしまい、ドラゴンズは大敗を喫し、ロッテが日本一へ王手となりました。
そして再びナゴヤドームに戻っての第6戦。後がなくなったドラゴンズでしたが、先発のチェン投手が7回1失点と好投しドラゴンズがリードする展開に。
しかしながらここまで獅子奮迅を見せてきた浅尾拓也投手が8回表に同点を許してしまい、再び延長戦に突入。
お互いのリリーフ陣が奮闘、さらに当時の日本シリーズの規定により延長戦は15回裏まで行われ、結果としてまさかの延長15回引き分け。試合時間5時間43分、日付が変わる直前まで試合が繰り広げられる死闘を見せました。
なお、フジテレビ系列で地上波中継されていましたが、午後11時以降から中継で流すCMが無くなってしまい、試合終了まで一切CM無しの中継が行われ、さらに当時日本シリーズ終了後に放送予定だった土曜プレミアム「バブルへGo!」は3時間遅れで放送されることとなりました。バブ川Go児
そして迎えた日本シリーズ第7戦。万が一、ドラゴンズが勝てば幻の第8戦が行われる予定でした。
試合は初回から乱打戦。初回にロッテ打線が2点先制しましたが、直後の1回裏にドラゴンズ打線が3点を奪い逆転すると、2回裏、3回裏にも追加点を上げ4点リードに。
しかしながら、4回表、5回表に今度はロッテ打線が4点を奪い返し、5回裏終了時点で7-7という乱打戦となりました。
そして7回表にロッテが勝ち越し、そのまま1点リードのまま9回裏となりましたが、この9回裏からが今なお語り継がれる伝説です。
1点ビハインドながらも、おそらく落合政権史上最大かつ以降15年間ではこれを超える応援は聞いたことがないほどのナゴヤドームが割れんばかりの大応援。
そんな状況からロッテの守護神小林宏之投手から放った和田一浩選手の3ベースヒット、続くブランコ選手の犠牲フライにより、ドラゴンズは土壇場で試合を振り出しに戻し、今回の日本シリーズ3回目の延長戦に突入しました。
そして試合の行方が完全に分からなくなった日本シリーズ第7戦。どちらが勝ってもおかしくない状況。
そして前日の延長15回引き分けの影響によりリリーフがいなかったため、9回表から登板した浅尾拓也投手が投げる投げる投げ続ける魂のイニング跨ぎ。
終いには延長12回表、浅尾拓也投手が4イニング目となるイニング跨ぎを見せましたが、岡田幸文選手に勝ち越しタイムリー3ベースを浴び、浅尾拓也投手とドラゴンズは力尽きてしまい、千葉ロッテマリーンズの下克上日本一で日本シリーズは幕を閉じました。
なお、結果として死闘を見せ、白熱した2010年日本シリーズとなりましたが、当時は日本シリーズ開催前に「3位のロッテと人気のないドラゴンズの日本シリーズなんか誰が見るんだ」と某所で批判されており、さらには信じられないことに、これまでや今でも日本シリーズは全試合地上波中継するのが慣例だったのに対し、何故か2010年の日本シリーズだけは第1戦、第2戦、第5戦が全国中継されない前代未聞の出来事が起きてしまいました。
ちなみに東海地方では全試合中継されました。
今でこそDAZNやスカパー!等のサブスクが普及し、見たいファンはそちらを見るのが普通ですが、15年前はまだサブスクという概念はありませんでした。
携帯でもスマホが販売されたのがこの年辺りで、まだまだガラケー主流時代でした。スマホに買い替えた人は当時の高校のクラスに一人いたかどうかのレベルでした。
また、この日本シリーズで後に大きな影響を与えたのが千葉ロッテマリーンズの応援曲やチャンステーマでしょう。
今では高校野球の定番として千葉ロッテマリーンズのチャンステーマや当時のロッテの選手(井口資仁選手や福浦和也選手や今江敏晃選手)の応援曲が甲子園で演奏されていますが、この日本シリーズの翌年から応援曲として演奏する高校が増えていき、次第に定番となっていきました。
東邦高校は愛知県の高校野球の名門。ドラゴンズの藤嶋健人投手と石川昂弥選手の母校です。
最後に、2010年のリーグ優勝から15年も経ってしまい、最早今の若い世代のドラゴンズファンにとっては記憶すらなく、ましてや生まれてないファンもおり、これを語れるのがアラサー以上のドラゴンズファンだけだと思いますが、こんなに強かった時代があったのは事実です。
弱いドラゴンズではなく、強かった時代のドラゴンズに触れることで、強かった時代と今のドラゴンズでは何が違うのか、何が足りないのかが分かってくるかと思います。
いい加減「ドラゴンズ=弱い」という図式を覆すような出来事が起きることに期待しています。
ご愛読ありがとうございました。