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🎯第2章 最も厳しかった時間:その6 表に出すことが出来ない苦痛
自分で出来ることは
ほぼ「0」になっちゃった僕。
食事は毎食食べさせてもらってたな~
朝食は看護師さん
昼食は叔母ちゃん
夕食は父親と妹
そんなケースが多かったけ!
食べ終わるのに
毎食かなりの時間を要してたんだけど、
みなさんずっと立ちっぱなし。
それにプリンやヨーグルト・漬け物みたいなのを
食堂にあった共用冷蔵庫に入れていたから、
観察室と食堂を行ったり来たり
そんな姿を横目で見ながら
自分は何もサポートできないふがいなさ…
![](https://assets.st-note.com/img/1737871674-DGCYPeLSIzK7laHOXf5RvN86.jpg)
(それもこれも
動かん左半身と出らん声のせいじゃ~~~)
イライラが爆発しそう…
(おんどりゃ~!)
壁をドカンと叩いて
ストレス発散したくなるんだけど
…
右半身にそんな力はないし
(も~なんなのよ~!)
そう叫びたくなるんだけど
…
声が出ないわけで…
何もかも
使い物にならない…
術前は何不自由なかったのに
…
なす術がない…
※観察室にいた当時の思い出:
ゴミのポイ捨てについて
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
※観察室にいた当時の思い出:
カヌーの先生からいただいた手紙について
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
※観察室にいた当時の思い出:
叔母ちゃんの娘さんから届いた手紙について
(僕にとっては従兄弟のお姉ちゃん)
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください
ー つづく ー
(第2章はここでおしまい)
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