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🎯第2章 最も厳しかった時間:その6 表に出すことが出来ない苦痛

自分で出来ることは
ほぼ「0」になっちゃった僕。

食事は毎食食べさせてもらってたな~

  • 朝食は看護師さん

  • 昼食は叔母ちゃん

  • 夕食は父親と妹

そんなケースが多かったけ!

食べ終わるのに
毎食かなりの時間を要してたんだけど、
みなさんずっと立ちっぱなし。

それにプリンやヨーグルト・漬け物みたいなのを
食堂にあった共用冷蔵庫に入れていたから、
観察室と食堂を行ったり来たり

そんな姿を横目で見ながら
自分は何もサポートできないふがいなさ…

食べるのに必死…

(それもこれも
動かん左半身と出らん声のせいじゃ~~~)

イライラが爆発しそう…

(おんどりゃ~!)

壁をドカンと叩いて
ストレス発散したくなるんだけど

右半身にそんな力はないし

(も~なんなのよ~!)

そう叫びたくなるんだけど



声が出ないわけで…

何もかも

使い物にならない…

術前は何不自由なかったのに

なす術がない…

※観察室にいた当時の思い出:
ゴミのポイ捨てについて
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください

※観察室にいた当時の思い出:
カヌーの先生からいただいた手紙について
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください

※観察室にいた当時の思い出:
叔母ちゃんの娘さんから届いた手紙について
(僕にとっては従兄弟のお姉ちゃん)
記事を書いたことがあります。
詳しくは以下を参照ください

ー つづく ー
(第2章はここでおしまい)
 


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ヨワヨワマン辛島
僕が書くすべての記事(手紙)は、長い時間かけて継続して書いてきた記録や、そうでなかれば得られないであろう考え方や貴重な体験を基にしています。いただいたサポートは、その評価だと捉えさせていただき、それを糧に今後も多くの記事を書いていきますので、どうかよろしくお願いします。