57/100 死ねと言われても生きる理由:悔しいから
こんげー、わたげの本音です。
今回は、死ねと言われても生きる理由について
お話します。
死ねと言われ続けた過去
私はこれまで何度も「死ね」と
言われて生きてきました。
幼なじみに事あるごとに
「死ね」と言われたり、
部活の顧問の先生に
「あなたが生きてきた12年間は
間違っていた」と生きていることを
否定されたりと、
散々な思いをしています。
おそらくストレス発散で
言っていたのでしょう。
言葉というのは気軽なもので、
体に目立ったケガはできないし、
「言っていない」ととぼければ
済むものです。
だから「死ね」なんて軽々しく
言えたのだと思います。
分析した結果:負けず嫌い
実際に死のうと思い行動しながら
私が生きる理由は一体なんなのか、
分析してみました。
その結果、私は負けず嫌いで
「死んで喜ばれるのは悔しい」と
思ったから生きていると分かりました。
私は昔から負けず嫌いで、
些細な勝負事に負けると涙を流すほど
負けるのが大嫌いでした。
もしも彼らの思う通りに死んだとしたら、
彼らは喜ぶかもしれない。
喜ばれる=負けるとどこかで
結び付けている、
負けず嫌いな私は
生きているわけなんですよね。
心が強いってわけじゃないと思います。
何度も死のうと思いましたから。
だから死ねなんて言っちゃだめです。
死ねって言うな
死ねと言われるのはとても悲しいことです。
自分の存在を否定されるのですから。
私は死ねと言われるたびに、
目の前が真っ暗になって
クラクラしました。
「死ねというなら、
その手で私を殺せよ」と
思いました。
直接手を下す気はないのに、
死ねなんてよく言えますよね。
最低です。
今でも死ねと気軽に言っている人は、
痛い目に遭えばいいと私は思っています。
痛い目に遭いたくなければ、
死ねなんて言わないようにしましょうね。
それでは、おつげー。
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