禅と馬の話
2022年11月28日
ある経典に、四種類の馬の話があります。
四種とは、卓越した馬、優秀な馬、普通の馬、そして劣った馬です。
卓越した馬は、鞭の音が聞こえる前に、騎手の意志に従って、早足や並足、あるいは左右に走ります。
優秀な馬は、鞭がちょうど皮膚に届くか届かないかのうちに、卓越した馬と同じように走ります。
普通の馬は、身体に鞭の痛みを感じたときに走ります。
劣った馬は、痛みが骨の髄まで達した時に走ります。
劣った馬が走ることを学ぶのに、どんなに大変かわかるでしょうか。
この話を聞くと、誰も卓越した馬になりたいと思います。
卓越した馬になることはできなくても、せめて優秀な馬になりたいと思います。
これがこの話の、また禅の通常の理解です。
坐禅すれば、自分が最高の馬か、劣った馬か、わかると考えます。
しかし、ここには、禅についての誤解があります。
坐禅の修行は最高の馬になるためのトレーニングだ、と考えるのであれば、問題です。
それは正しい理解ではありません。
正しい方法で禅を修行すれば、最高の馬でも、一番劣った馬でも関係ありません。
ブッダの慈悲を考えてみれば、ブッダがこの四種の馬に対してどう感じていたかは、すぐにわかるでしょうか。
ブッダは卓越した馬よりも、最悪の馬に対して、より慈悲を感じたはずです。
ブッダの偉大な心とともに坐禅の修行をすると決意すると、最悪の馬こそが最も大事な馬だとわかります。
自分が不完全であるからこそ、道を求める心のしっかりとした基礎ができるのです。
<禅マインド ビギナーズ・マインド>より
鈴木 俊隆(著)
@sunshan20221107
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