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【作者解説】短歌20首連作「ぺらぺらなおでん」

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柴田葵(私)の歌集『母の愛、僕のラブ』(書肆侃侃房 2019年)の冒頭に収録されているのが、短歌20首連作「ぺらぺらなおでん」だ。Amazonの試し読みから20首すべて読める。

これは第2回石井僚一短歌賞に応募し、次席(2位)になったものだ。なお、第1回石井僚一短歌賞に応募したのが、同歌集に収録されている別の連作「より良い世界」である。第1回石井賞は「20首以下」というめずらしい規定だったため、一首とでもどうとでも解釈できる「うん」だけの行がある。会話形式で進む、少しトリッキーな連作だ。一首だけ引用する。

三万円くださいきっと心とか鍛えてより良い世界にします
/柴田葵「より良い世界」より

(歌集『母の愛、僕のラブ』収録※以下同)

ここ数年で短歌に取り組みはじめたり、短歌を読みはじめたりした人にとっては「石井僚一短歌賞ってなに?」と思うだろう。ここで詳しく書くつもりはないが、本賞は第2回を最後に停止している。
石井僚一さんは短歌研究新人賞を受賞したすごい歌人だ。しばらく完全に短歌から離れてしまっていたが、最近になって元気だとわかり、とてもうれしい。「短歌から離れた」実際の理由について私は知る立場ではないが、その背景というか騒動はリアルタイムで把握しており、個人的には今でも(石井さんに対して騒ぎを起こした年配の歌人たちに)憤っている。そういうこともあって、私は、石井さんが「いた」記録を残すべきだと思っていて(戻ってきたらそれはそれでいいし)、だから自分のプロフィールには文字数が許す限り「第2回石井僚一短歌賞次席」を入れている。なお、第2回で受賞した上篠翔さんの『エモーショナルきりん大全』は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズから出版されている。

前置きが長くなった。

歌集を構成する際、受賞作で最もボリュームの多い50首連作「母の愛、僕のラブ」を最後に置くとして、連作「ぺらぺらなおでん」を最初に持ってくるのがよかろう、と書肆侃侃房さんからアドバイスをいただいた。結果、その通りにして正解だったと思う。

プリキュアになるならわたしはキュアおでん熱いハートのキュアおでんだよ
/柴田葵「ぺらぺらなおでん」より

とにかくこの一首がよく引用される。この一首だけが(よちよちレベルではあるが)一人歩きしている節さえある。私もこの一首は気に入っているんだけれど、この「ぺらおで」は連作として読むことでもっとも生きるようにめちゃくちゃ考えて考えて考えてつくったので、ぜひ20首通して読んでほしいとも思う。

短歌は(基本的には)一首ごとに成立しているべきだけれど、一首でも成立している複数の短歌を、さらに並びなどを考え抜いて構成した「連作」というスタイルが私は大好きだ。連作として読むとわかるとおり、「ぺらおで」は台風の晩、一人暮らしの家に恋人がきて、その翌朝までのことを書いている。

「ぺらおで」を構成するにあたってこだわったのは(たくさんあるが)主体(=短歌内の視点と言える存在)もその恋人も「性別が特定される単語を用いていない」という点だ。けれども、おそらく多くの人が、偏った性別で読解するはずだと思う。

絶滅した恐竜、体格、勝ち負け、守ることと守られること。「人間がひとりならば発生しない関係性」を表したかったように思う。それは愛であり暴力であり関心の対極にある無関心であるかもしれない。

この連作にはプリキュアのほかにも、ヌードル、コロッケ、マリオ、ルイージ、ウルトラなど、カタカナ語も多い。だからというわけではないが、私の短歌は「ふざけているみたいだ」と言われることが多々ある。個人的にはふざけてなどおらず、すべて大真面目だ。「ぺらおで」が完成したとき、というかその前の「キュアおでん」の短歌ができた時点で、「どうしようこれは我ながら泣いてしまう」と思った。そして実際、石井僚一短歌賞の選考経過を読んだら、選考委員の一人である石井さんの涙腺に触れていた。これは泣ける連作だし、本気で、大真面目です。私は真面目だけが取り柄の人間なので。

長くなったのでこの辺で。個人的に「ぺらおで」のなかで特に気に入っている短歌を引用して終わる。なお、二首目の「掬って」は「救って」と同じ音だから採用している。私自身の考えとして、短歌は「短い歌」なので、「文字を黙読する以外に音読もする可能性のあるもの」と考えており、同音異義語はかなり意識している。

体格差で負けてしまうよきみ五人わたし五人で相撲をとれば
コロッケのたねをつくって揚げるのが面倒になり掬って食べる
剥げかけたキャッスルアップル幼児用メラミンコップでやさしいうがい

/柴田葵「ぺらぺらなおでん」





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