ノベルゲーム実況について思うコト
約4200文字です。
ノベルゲームとはなにか
まず、前提としてノベルゲームとはなにか。
Wikipediaによると
とあります。
この書き方だとアドベンチャーゲームの中の1ジャンルという捉え方になるでしょうか。
あんまりノベルゲームというジャンルについての定義には深入りしても意味はなさそうなので「文章を読み進めることが主体のコンピューターゲーム」で「小説に映像や音声が加わったようなアドベンチャーゲーム」という認識でいいかと思いますが、単純に読ませて分岐させるだけだと、特に後発のものは独自の面白さが出しにくいのでいろいろ工夫がなされており、一概に上記の定義では当てはまらない部分が多々あります。
また、今回想定しているノベルゲーム(あるいはアドベンチャーゲーム)は物語が一直線に続いているようなタイプ(逆転裁判のような)ではなく、「弟切草」や「かまいたちの夜」、「街」のような物語の集合体タイプのノベルゲームになります。
物語の集合体というのはTrue ENDはあるんだけど、マルチエンディングというか、それ以外のENDでもそういう終わり方もあるよねという納得感というかどれもある種「正解」に感じられる作りをイメージしています。
ノベルゲームのおもしろさとはなにか
総論として
Wikipedia様の教えに従い、ノベルゲームとは「小説に映像や音声が加わったようなアドベンチャーゲーム」であると、ひとまず置いています。
であるならば、小説と共通する部分でのおもしろさはあるでしょうし、映像や音声によりおもしろさが提供されている、あるいは増強されている部分はあると思います。
また、ゲームという表現方法をあえてとっているわけですから、ゲームという表現方法に由来するおもしろさがあってしかるべきだとも思います。
まとめると、
・文章によるおもしろさ
・イラストや映像によるおもしろさ
・音声・音楽によるおもしろさ
・ゲームという特性を生かしたおもしろさ
実際、ちょっとこのnote記事を書き進めながらノベルゲームのおもしろさについて書いているブログ等は無いかな~と検索をかけてみたりしましたが、おおざっぱにまとめてしまうと上記に集約されるとおもいます。
要素を抜き出しているだけでなので当然といえば当然かもしれません。
「桜井政博のゲーム作るには」の「ゲーム性以外の面白さ 【ゲーム性】」の回ではゲーム性以外の面白さというところで裏にドキドキ文芸部が表示されていて、確かにゲーム性以外の面白さだし、ゲームという媒体でなければやれないことだな~と思いました。
あんまり言うとネタバレになりますので。
あと、「お話さえ面白ければ話がない立つわけではない」という部分。
ノベルゲームというものを考えたとき、話(文章)がおもしろい必要性はほかのゲームに比べると非常に大きな比重を占めるように思われますが、それだけであるならば小説や映画、アニメで十分なはずです。
ノベルゲームはゲームであるべきなのか
そういうこともある
上段の流れからも「ノベルゲームはゲームであるべき」です。
といいたくなったのですが、考えているうちにノベルゲームにせざるをえなかったパターンもあるな。と思いました。
どういうことかというと、創作のスタートとしてイラストや動画は使いたいというものがあったときに、ノベルゲームの制作はアニメや映画に比べると比較的制作の敷居が低いように感じられます。(もちろんピンキリでしょうが)
実際、「かまいたちの夜」のようなシルエットを利用したりすると比較的技術面では要求されるものはそうでもないのかなとは思います。
(その分発想がぶっ飛んで良い、BGMの作成とかもあるし、大変じゃないというつもりはないです。)
また、他の作品を作っていて、人員が足りないけど、なにか作ってくれというので生まれた名作ノベルゲームもあります。
商業作品だと経営の観点でいろいろ絡んじゃいますよね。
そういうこともあるし、ゲームだからできることもある。
(追記)開発費用の話と原作としてのノベルゲーム
2010年の記事なのでもう14年も前の記事になります。
ノベルゲームの開発費用はこの時期で5000万くらいって言ってますね。
億単位でかかること考えたらやっぱり安いからはじめやすさでいえばやりやすいんでしょうね。
売れなかったら意味ないですけど。
あとはここで言われてた原作としてのノベルゲームって思想はおもしろいなーと思いました。
14年経って、答え合わせとしては原作としてのノベルゲームというのは上手くいかなかったのかもしれません。
一方でライバルとしてあげられたライトノベル市場は伸びていました。(以下の記事の推定を信じるなら)
ゲームだからできること
おもしろさのところでも触れた「ゲームという特性」に由来するおもしろさがなんなのかを考えないといけないです。
ぱっと思いつくのが、「物語に干渉できる」という部分です。
また、それによって生まれる分岐や何度もやり直して、その分岐を見ることができる部分。
文章にしても小説とは異なり、一度に出す範囲をコントロールできますし、文字を出していく間のようなものが緊迫感を演出できたりするなーと思います。
自由だけど、自由じゃないですよね。
映画やアニメなどの映像作品に比べると進行を制御できるんだけど、小説に比べると勝手に進んじゃう部分もあって。
ノベルゲームは紙芝居だって揶揄ありますよね。
紙芝居聞いてるときに要所要所で「どうする!?」って選択肢があったらべらぼうに面白い気がします。
無限の分岐ですし、用意してなければ紙芝居をやってる側の力量が大きく問われるのでなかなか大変そうです。
と、講釈スタイルは現実的ではないと思いますが、多くの人に提供できる形としてノベルゲームはあります。
人によっては選択肢をつぶしてみていくだけで、ゲーム性がないといわれそうですが、ゲームに入り込んで推理をしたり、想像したりするおもしろさがそこには確実にあります。
ノベルゲームの実況について
ノベルゲームの実況を見るのは結構好きです。
人の感想を聞けるっていうのはなんだか楽しいです。
それだけではないんですが、イメージとして紙芝居をやっているところをみんなで囲んでいるようなそんな感覚があって、良いなと思います。
ニコニコ動画の方がその感覚は顕著かなと感じますが、コメントというのはその動画を良くもするし、悪くもするんですよね。
それを実況者がどう捉えているのかはわからないですし、なかなかコントロールできることではないと思います。
指示厨が多くなるゲームジャンルと比べるとノベルゲームというのは荒れにくいだろうとは考えられますが、いろいろ悩むところはあるだろうなと察します。
時代の流れもあって、ニコニコで活動していた実況者もYouTubeに移っていますが、このコメント文化とは、(いろいろあるけど)良い文化だとは思っていました。
とはいうものの、YouTubeのコメント欄の長文感想激熱コメントも読んでいるとそれはそれでおもしろいんですよね。
あとはあんまり個性というものを出しにくいジャンルではあります。
むしろ出しちゃうと雑味になってしまうというか。
名前は出しませんが好きな実況者も初期の頃の作品なんかは変なあだ名つけちゃったりしてて、ちょっとな〜と思わざるを得ませんでした。(それについてはその実況者も悔いてましたが。)
また、実況するゲームとして見たときにノベルゲームはアクションのスキルというのは求められません。
そういう意味ではやりやすいゲームジャンルなのかもしれませんが、その分、差異を出すのはどこになるのか。
読み方なのか、声質なのか、物語への感想なのか、リアクションなのか、理解度、いろいろあるようで他のゲームジャンルとは差異を出すのは難しそうにみえますし、なんなら無理に出そうとすると雑味になるし、バランス感覚が非常に重要だと感じます。
しつこいくらいそのゲームをしゃぶりつくすのも魅力にはなるかな。間口は狭そうですが。
オーディオブック、フルボイスとはまた違うゲーム実況
ノベルゲームのゲーム実況っていうと読み上げることが多いと思います。
また、フルボイスのゲーム実況でも読まれるところとそうでないところがあるので、読まれないところは読み上げるみたいな形をとる場合もあります。
自分としては読み上げ型の方が好きです。
ただその読み上げ方について、情感たっぷりに読まれるのはあんまり好みではないです。
朗読というかね。
オーディオブックみたいに読まれてもなぁと。(個人的な感想です。)
なぜでしょうか?
なかなか言語化できないなーと思っています。
あえていうなら雑味に感じてしまう。のかもしれません。
ただまぁ実況者ですから、漏れちゃうときはあるし、よくあるちゃちゃを入れちゃうときはあるんですが、やっぱりこれもまたバランス感覚というかさじ加減が大事になように思います。
さいご
つらつらと書きなぐりましたが、ノベルゲームはそこそこ好きです。
有名どころほとんど抑えているぜって感じでもないですし、あくまでそこそこって感じですが、なくなって欲しくないジャンルではあるし、その実況というのも続いてほしいなぁと思います。
盛り上げるためにはどうしたらいいんでしょうかね。