【雑記】映画「きみの色」は淡く、美しい、青春色を描いた映画だった。(観た人向けなのでネタバレ多めです)
こんばんは、かさつです。
またよくわからんタイトルですが、お願いします…
(タイトルを深夜テンションで書くと毎度毎度バグるんですが、それ以外の時間だとそもそも浮かばないので、こうせざるを得ないともいう)
今回は、8月30日に公開となった、映画「きみの色」を公開3日目に観てきたので、感想というか考察というかみたいな何かを書いていきたいと思います。
今回もネタバレ多めです。ごめんなさい…
まだ観てないって方はほとんどいないと思いますが、とりあえず観てください…お願いします…
とか言ってるけど、もう上映終了のところが多いみたいですね…
どんだけ記事溜めてんだ…ってつっこまれそうですが
ちなみに後半はやる気の都合上、参考書と目線を反復横跳びさせながら書いてます。そうじゃないと文章が浮かばない…
ということで、書いていきたいと思います。
率直な感想
めっちゃいい映画でした。あのちょっと気怠く感じるぐらいがちょうどいいなあと思いました。悪く言えば、大きな事件がないんですが、元々、日常ってそんなもんなのかもなあなどと思いました。
ということで、次の章から、いろいろ書いていきたいと思います…
オープニングの色というものについての説明はなぜあったのか
まずは、オープニング。今回は、トツ子が聖堂で「ニーバーの祈り」の前半部分を暗唱し、祈りを捧げるシーンから始まります。
ニーバーの祈りとは以下のようなものです。
では、どうして、オープニングでニーバーの祈りの前半部分が出てくるのか…
個人的には、人の色が見えるというのが、トツ子本人の力で変えることのできるものではなく(というか、誰にも変えることのできないもの)、それを受け入れるだけの心の平穏が欲しかったのではないかなあと思いました。
その後、トツ子の過去の回想が始まります。
その途中で、色というものについての説明が入ります。この部分は一部の予告編などにも入っており、その重要性がうかがえます。
では、なぜ、このパートが入ったのか…
個人的には、トツ子が見える色は、普段私たちが見ている色とはまた別のものであるということをわかりやすく示すためなのではないかなと思いました。
見えるというよりかは感じるものなんだそうで…
あと、人が色で見える、トツ子の個性は、周囲から理解されづらい、というよりかは、トツ子自身でも理解しきれているわけではないのかなと思いました。
回るという表現&トツ子はなぜ自身の“色”が見えないのか?
次は、度々出てくる、回るということについてです。
今作では、これでもか!というほど回るという表現が出てきます。
トツ子本人がバレエを踊ったり、三人で手を繋いで回ったり…
地球儀やそばのお盆でさえも回ります。普通に天ぷら蕎麦美味しそう…
これらは全て、太陽を中心に公転する惑星の表現(伏線)なのかなと思いました。
なぜ惑星なのか?
答えは単純で、トツ子以外は、自分、そして他人の色を見ることができないからではないかと思います。
色は、太陽の光が反射することによって、私たちの目に届き、見ることができます。
つまり、太陽光がなければ、他の惑星やそこに生きる生き物たちは色を見ることができない…
↓
他の人々は自身そして他人の色を見ることができない
ということではないかと…
言語化能力が低すぎて伝わるか怪しいですが…
これにより、必然的に、トツ子が太陽ということになるのですが、これにより、トツ子が自身の色を見ることができない理由も分かります。それは、太陽は、太陽自身の色がわからないからです。
そもそも、太陽光によって色が見えるので、光を放つ太陽側は、太陽自身に光が当たらないため、色を見ることができません。
実際に、太陽の正確な色はわかっておらず、カメラによってオレンジや青や、紫になります。
ここあたりは、トラペジウムの光っている人はその光がわからない的なところに近い気もしなくはないです。
ということで、トツ子は、光を放つ側だから、他人の色が見えるにも関わらず、自身の色は見えないのではないかと…
このパートはこちらの素晴らしすぎるnoteを参考に書きました…
素晴らしすぎるので是非読んでください…
圧倒的長崎感
次は、映画全体が圧倒的に長崎感の強いものだったなあという話です。
今回の舞台は、長崎、佐世保、五島列島だったのですが、行ったことがある方ならお分かりいただけるはず…長崎感が本当に強いんです。
あの独特な空気感がしっかり作品に落とし込まれていてびっくりしました。
個人的には、あの空気感、本当に好きなんです…受験終わったら長崎行くぞ…
なんなら、長崎の大学に進学しましょうか…?
中の人の個人的戯言はさておき、長崎らしさというか、長崎の空気感というかがしっかりと組み込まれているのは流石だなあと思いました。
あとは、ミッションスクールが舞台というところも長崎らしいなあと…
なんだかんだ、長崎はいろんな文化が入り混じっているところなので…
舞台をカトリック系のミッションスクールにした理由について、山田尚子監督は、
とおっしゃっています。
いろいろな文化や信条が“同居”している世界として、長崎のミッションスクールっていうのはピッタリな存在だったのかなと思いました。
こういう国ってレアな気がします。宗教云々の話だけでなく、いろいろな方面で…
よくよく考えたら、いろんな宗教の記念日が国民的行事になってる国って日本ぐらいな気がします…
それぞれの色に込められた意味…?
次は、トツ子が感じる、色の意味についてです。
トツ子自身の色は赤、作永きみの色は青、影平ルイの色は緑だったんですが…
この3色はそれぞれ光の三原色であるという関係性があります。
この3色の光が合わさって白色の光になるので、しろねこ堂というバンド名にしたのではないかなと思います(作品内の三人は多分知らない事実だと思います)。
トツ子自身が太陽で〜のくだりから、トツ子は必然的に赤になりますが、残る二人の色はなぜこの色なのか、また、他の登場人物の色はなぜこの色なのか、色彩心理学の観点からちょっと考えてみます。
まずは、オープニングの「なっちゃんみかんの色してる」のみかんの色=オレンジ色について考えてみます。
オレンジにはこのような意味があるのだそうです。
同じ方法で青と緑の意味も調べてみました。
なんか微妙ですね…もうちょい考察したいので後で追記します
テルミンっていいよなあって話
次は、影平ルイの担当楽器、テルミンっていいですよね〜って話です。
テルミンとは、ロシアのテルミンさんが発明した、空間の手の位置で音の高低と大小を操って演奏する楽器です。
こういうやつです↓
世界初の電子楽器とも言われているテルミン。なぜそんな楽器が採用されたのか。個人的には、なにもないところから音を生み出す的なところがあるからではないかなあと思いました。
あとは…音がすごく好きです。本当にすごい。特に「あるく」とか、テルミンの良さがとても生かされている良い曲だと思います。このことは後で書きます。
作永きみの恋愛感情…?
次は、作品中でうっすらとしか出てきていない、というかほぼほぼ出てきていない、作永きみの恋愛感情についての話です。
セリフにそういう系の話は一切ないのですが、作永きみの仕草がもうそれなんですよ…わかる…わかる…
多分、口にしてしまうとすぐに崩れるぐらい繊細な感情ではあるっていったらそうなので、わざと仕草のみ、それも、わかりづらいように入れているのだと思います。流石すぎる。
でも、しろねこ堂の本棚でのシーンは、完全に恋する乙女の仕草だなあと思いました。
この話はこれぐらいで締めにしておきます。
日暮トツ子の言葉遊びが散りばめられている、「水金地火木土天アーメン」
ここからは、トラペジウムと同様、曲に関する個人的考察と感想を書いていきたいと思います。
まずは、しろねこ堂の楽曲で1番人気の(個人の所感です)、「水金地火木土天アーメン」です!
この曲の良さは、何と言っても、語呂のいい歌詞×テクノポップという最高の掛け算ではないでしょうか!
夏休み入る前に聖堂で日吉子先生と話す時に、チラッと歌詞作り中のノートが映るんですが、本当に細かく歌詞が練られてあってすごいなあ…と思いました。
歌詞の中に三人の名前を入れてるの良い…
「あったかソーメン」は「アーメン」とかけてあるようですが、最高…
語呂が良すぎて本当に頭に残る…
「わくわくわくわく」→「私は私は惑星〜」の掛け合い(?)もすごく良い…
普通に「反省文」→「あるく」→「水金地火木土天アーメン」の流れが良すぎる
あとは、映画館でしか味わえない大音量の降り注ぐ音声がいいですよね
それをうまく活用した曲だなあと思いました。
あと、Perfumeみたい。好き。
寄宿舎お泊まり会がなければ生まれなかった、「反省文」
次は、バレンタイン祭のライブで最初に演奏された、「反省文〜善きもの美しきもの真実なるもの〜」です。
最初のキックがすごくいいですね。劇場版だと結構音圧が強いので響くのですが、配信版はナーフされていたのでなんだかなあ…
これぞロックって感じで好きです。
だけど、歌詞は柔らかい。このギャップがすごく良い…
特に冒頭の歌詞とか…
こんな歌詞、曲調が強めのタイプのロックであんまり出てこない気がします。
こういうのもしろねこ堂の良さだと思います。
ミュートしながらのストロークとか辺りはよくわからないので、他の有識者の方にお任せします…ミュートってなんだ?
それでは本題か何かに行きます。
この章の見出しにもある通り、この曲は、寄宿舎お泊まり会後の反省文関連のくだりが元になっています。少なくともタイトルはそうです。
多分ここあたりからタイトルの、反省文というワードが出てきている気がします。
善きもの美しきもの真実なるもの の部分は、トツ子と日吉子先生が、夏休み前の聖堂で話をしている際に出てきた、
の部分が大元にある気がします。それか、作永きみが聖歌隊にいた頃に聞いた話とか…
テルミンの良さが生かされた、「あるく」
次は、一番曲調がゆったりとしている、「あるく」です。
この曲は、作永きみが学校を辞めてから、寄宿舎お泊まり会をするまでの間に書いた曲です。メロディ自体は、大元を作永きみが、編曲を影平ルイが担当しています。
伸ばす歌詞が多い気がします。多分、作永きみの聖歌隊での経験を活かしたかったからかなとか。そんなわけないでしょうけど。
多分、今の自分(作永きみ)に寄り添うような歌詞を、寄り添うような歌い方で歌う的なところがあるのではないかと思いました。
そして、この歌詞と歌い方がとてもテルミンの音色とマッチしている気がします。世紀の大発見か!?って感覚でした。
最初出てきた時は、テルミンってなんぞや?なぜにそんなマイナーな楽器を…と思って観ていましたが、ここで全て繋がった気がしました。なるほど、この繊細な気持ちを表現した歌詞に合う楽器はこれしかないわ…ってなりました。あとは、ハープとか…?
あと、歌詞、半分、影平ルイへのラブレターだろこれ…(絶対違う)
ミスチルの主題歌はミスマッチだったのか
次は、主題歌である、Mr.Childrenの「in the pocket」についてです。
最初の頃は、ミスマッチだ〜って結構言われてた気がします。確かに、トラペジウムの方位自身ラストを知っている民である私も、ミスマッチって感覚になるんだろうな〜とは思ってました。 大きく裏切られました。
なんこれ、めっちゃマッチしてるやん。えええええええ!?
ってなってました。
まあここあたりは個人の感想的なところがあるのでこれくらいにします。
だけど、これだけは言わせてください。
どんだけミスマッチだと思っても誹謗中傷はやるな。
ということで、こっからは歌詞と共にいろいろ書いていきます。というか、個人的感想の補強的な。(数行前でこれくらいにするとか言ったばっかなんですが…)
この曲、なぜか、最初の方で一瞬涙腺が緩みそうになる確率が高い曲だったりします。なんでだ…?
個人的には、この曲は、多分未来の三人が、過去のことを思い返して…みたいな要素が強い気がします。この物語を別視点から見る的な…
そういえば、以前どこかのサイトのインタビューで、山田尚子監督がそういうことをおっしゃっていた気がします。どこでだっけな…
特にこの歌詞あたりが、未来から過去を思い返して…とか、別視点から…的要素があるなあと感じました。
あとは…
この歌詞は結構的確に若者の心理を突いている気がします。
良い曲でした。
あと思い出したついでに書いておきますが、サントラの番号は全部色の番号と知って驚きました。見覚えは結構あったので、そうかな…とは思ってましたが、本当にそうだったとは…
きみの色から学ぶ、生きづらい現代の生き方
最後は、きみの色は、生きづらい現代を生きていくためのやり方を教えてくれる映画なのかもしれないなあと思った話です。
そう思った理由の発端は、HPにあった、山田尚子監督の企画書です。
この現代は、SNSの発展などによって、他人を気にして、それによって生きづらくなっているなあと感じています。
そんな様子が劇中にも出てきますが、それを乗り越えて、“コップの水が溢れる”という瞬間が描かれているという点がそうなのかなと思った理由です。
その溢れ出た感情でさえもプラスなものとして表現する。そういうところにも徹底的にストレスを排した作品要素があるなあとも感じました。
あとで追記するかもです。
まとめ
というわけで、今回は、山田尚子監督のオリジナルアニメーション映画「きみの色」についての感想だかなんだかでした。
めっちゃ引用多め&超うっすい感想ですみません…