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#みこと⛩️ "MindFulness"11月14日(木)no.33
果てしない闇の向こうに
ohoh〜手を伸ばそうっと♪♪
明日は誰しも知ることが出来ない
neverは"決して出来ない"
強い否定だった気もする
can notとは類似≒と擦るべきか
成田山に今朝視線で触れ
荒んだ頃にも神に便りを出し新年の祈願をする
結局あの頃は解消は己に有り
特ににこやかに謹賀出来たのかというと
全く違う気がしている
その頃は受験期だったのだろうか?
言い訳を作ってるわけではないだろうけど
"人に流されやすい"は
記憶として観光物を側におけない様な気がする
だったら近所にある神社の方が⛩️
地元の縁の家庭に世代勢を感じて
誰の為にが側にあったのかもしれない
その凝り固まった目線は
冬の独特なファッションに寄るのだろうか?
どうしても地味な装いになりがちであるし
地元は特に年齢層が高いのだ
成田山新勝寺
浅草寺
神田明神
今度は
川崎にでも挨拶しにいこうかな?
などと思いの外熱心にいつの間にかなっていた
川崎もCinecittàで
半世紀へのエントランスに
再入場してから
季節を繰り替えきたのも又いつもの繰り返しだ
あべこべで
町田か八王子にも
行ったその年始
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黒木華 主演映画
"アイミタガイ"
お弾きを跳ね返してきたのであれば
日毎の推進力はなんなんだろうとも思ったりする
止まって漂ってる時こそ
クルーがいるとしたら前向きになれない時間だ
不甲斐なくはやってはいないけれど
時たまより遥かには出し切った様な末に
苦しさを感じてしまう
大切な日々の中で
もしもそんな余裕がある様でない様な
無理感情は支えてあげるというのは
目線じゃなく
子供に身体にピースを
足りない小銭の10円玉を
そっと
そうだ
そっと…
巫女も今時Timeeなのだろうか?