モノマネってバカにされてるのになんで許すの? | 俗なサピエンスの生態観察 #74
モノマネされた芸能人って、あきらかに芸人にバカにされてるのに、なんで許すの?
────先日noteネーム「毛の無いところに寝癖は立たぬ」さんからそんなお便りを唐突に頂きました。ありがとうございます。
じゃあ早速、この質問に解凍していきたい。これなら150Wで5分くらいでいいかな?
進化心理学的観点からは答えは明白だろう。
プレスティージ/名声だ。
「モノマネ」とは尊敬の証なのである。
────いや、実際にはまったく証ではない。コストが伴っていないためシグナルとしての信頼性は薄い。
しかしホモ・サピエンスという種にはたしかに、自分が尊敬していたり、憧れていたり、無意識のうちに《上位ランク》と認識している個体の仕草や振る舞いを思わずマネてしまう心理が進化している。
何のためにそんな心理システムが備わっているのか? 人間はコピー猿なのだ。たとえば狩りというスポーツでは上位ランカーの真似をして「ワザを盗む」ことで各個人はスキルを上達させることができる。そのほかにも人間のあらゆる暮らしの面でその道の達人や上位ランカーの真似=コピーは役立つ。女性ならおそらく村で持て囃されている美女が日々行う美容習慣を真似して採り入れたことだろう(おしゃれの起源は古い)。コピーは経済学的な意味ではタダだが、生物学的にはタダではなく、適応度の通貨が支払われる。真似する側(=プレスティージ地位の低い個体)は、真似される側 (=プレスティージ地位の高い個体)に〈名声〉という対価を払うのだ。これにより真似される側は快く真似を許してくれるようになる。なぜなら名声は適応度の上昇につながり、それはヒトという生物が無意識のうちになによりも求めているものだからだ。
ヒトには、「憧れている個体の真似」をする習性がある。
────こんなことはわざわざ進化心理学に教えてもらわなくても誰もが直感的に「知っている」ことであり、だからこそモノマネ芸は許される。たとえそこに多少の「いじり」の意味合いが含まれていたとしても。
じっさい、モノマネ対象の芸能人とモノマネ芸人が共演した時、両者はプレスティージの地位階層における上位個体と下位個体の典型的な振る舞いをみせる。下位個体であるモノマネ芸人は、本人を前にするとみな肩をすくませる。まるで師匠に付き従う弟子のように、慎みのある姿勢を取る。バカにしたったぞドヤという態度を取る者はいない。
モノマネされた側の芸能人は、たしかにときには「こいつ内心オレの事バカにしてるだろ」と感じる脳のモジュールを発火させる一方で、しかしそれと同時に「こいつはオレに付き従ってるな」と感じる脳のモジュールを活性化させている。そのモノマネに尊敬の意がこもっていることを認める。
そして「モノマネにマジギレするのは小物のやること」という芸能界の規範もある。芸人のモノマネのオモロさによって本人の人気にも火がつくとか、大衆に名前を忘れられずに済むという利点もある。モノマネ芸の流行りによってモノマネされた本人も社会的・経済的メリットを享受できることが多い。
もちろん、モノマネ芸人の側に1ミリも本人をバカにする気持ちがないと言えば嘘になるだろう。本人のいないところでその人の真似をして楽しむのが侮辱のコンテクストを帯びることはもちろんある。
笑いは脳のバグ取りのために進化した情動であり、誰かのモノマネをみるとヒト脳内では「あれ?誰々に見える!→でも誰々じゃない」と即座のエラー修正(=バグ取り)がなされるために、オモロくなる。
笑いは脳のバグ取りのために進化した機能だが、ひとたび誕生した生物学的機構は当初の目的を超えて別の目的もこなすように進化的に転用されることが多い。
たとえば「嘲り」だ。マイケル·ビリッグは嘲りを“懲罰的ユーモア”と“反逆的ユーモア”に区別しているが、モノマネ芸人が大物芸能人のしぐさをマネするのは “反逆的ユーモア” の方に分類できるだろう。
>参考: サピエンスが進化させた、権力者を抑えるための5つのSTOP──ゴシップ、公開討論、皮肉、不服従、そして暗殺。# RevDom
“反逆的ユーモア” は、たくさんの弱いサルが集まって一匹の強いサルの力を抑えるというヒト社会に進化的に存在する逆支配力学を反映したものだ。
ヒト社会では、太古の昔から、群れの中で権力を持った「大物」が威張り散らすのを抑制するための社会機構として、笑いは機能してきた。トランプゲームではたいてい、ジョーカーにはキングを倒しうる力が与えられている。
あなたがキングの立場ならムカつくだろうか?
だがムカついてはいけない。「強いサル」の立場にあるあなたが怒りに任せて暴力を振るうようでは、弱いサルたちからますます反感と警戒を買ってしまう。やがて弱いサルたちは同盟を組み、協力してあなたを死刑に処すことを考え始めるかもしれない(これを人類進化の処刑仮説/The Execution Hypothesisという───ヒトという種の動物的な暴力性の低下は、暴力的な強い猿をヒト遺伝子プールから代々取り除いてきたために起こったというシンプルな理論だ)。
だから保身のためには、寛容にジョークを受け入れることが大切だ。〈ドミナンス・支配─トレランス・寛容〉尺度は動物学者が群れにおけるアルファ個体の支配力をはかるために用いているものだが、ドミナンスではなくトレランスの方に錘を傾けるということだ。大物芸能人は、ジョークを許すことで自らのトレランス性を示すことができる。
「器のデカさ」と言い換えてもいいそれを示すことによって、大物芸能人は「いい人」として、大衆社会から承認され受容される。「好感度」とは社会からの受け容れられ度合いを図るバロメーターだ。「ああ、この人は威張り散らす人じゃないんだ」と大衆は安心できる。
そんなわけで、モノマネによってバカにされることを許すことは大切なのだ。それを許した時、そのモノマネ芸はプレスティージ性(あなたを尊敬しています、の含意)だけを帯びるようになるだろう。
〝人から憧れられる立場になる〟というのは悪くない。
そう、悪い気分じゃないんだ、ベイビー。