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サウナでおしゃべりすんな|俗なサピエンスの生態観察日記 #73


サウナでおしゃべりすんな。


《会話厳禁》と書いてるだろ?ほらこの張り紙。

こっちはおまえらのおしゃべりを聞きに来てるわけじゃない。タモリや明石家さんまのならいいが、素人のトーク番組は聞くに耐えない。黙ってろ。



だがよく考えれば謎だ。コロナ風邪をパンデミックに仕立てあげた例の騒ぎは鎮静化し、冷静さを取り戻した今になってなぜ会話を禁止される謂れがある?

いや、2019年以前から《会話禁止》を掲げるサウナは多かった。サウナに限った話じゃない。カフェや図書館や電車内。「公共の場」でのおしゃべりはなぜこんなにもむかつくんだろう。

冒頭にああいうふうに書いたので、俺はおしゃべり反対派のような人間に見えているかもしれないが、そうではない。おしゃべり推奨派だ。サピエンスの自然な生態を保護したいと思っている。

冒頭シーンの「サウナでしゃべんなよ」というイラつきは、実際には2秒で収まった。俺はおしゃべり賛成派であることを思い出したし、自由を禁じるルール厨が大嫌いなことも思い出したし、根拠のないルールに対する疑問がふつふつと沸いて怒りがそちらに向かったからだ。

とはいえなぜむかつくんだろう。サウナでのおしゃべりも、電車内での通話も、誰かむかつくヒトがいたからこそ禁止ルールができたんだろう。「迷惑」とは個人的なむかつきを集団的主語(みんなが)にすり替えるための狡いワードだが、とはいえかなり多くの人がこれらの行為に不寛容なことは事実だろう。



────その謎の答えはサピエンスの会話の本質的な性質にある。会話とはゴシップだ。人間が有する会話能力は噂話のために進化したと進化心理学者R.ダンバーはいう。*R.Dunbar (1996)

ゴシップには、❶仲間を形成する効果 と ❷疎外する効果がある。


霊長類のグルーミングは同盟関係を形成するために行われるため、そこから派生したヒトのゴシップが❶の効果をもつことはわかりやすい。ニコラス‪·‬デフォンソは著書『ザ・ウォータークーラーエフェクト(邦題: うわさとデマ: 口コミの科学)』でゴシップの同盟機能をこう表現する;「ほら、いっしょにゴシップを話し合えば、僕たちはもう友達だよ。なぜなら敵のゴシップで興じることはあっても、敵とゴシップに興じることさないのだから!」*N.DiFonzo (2008)



《仲間意識》の育成は、《仲間はずれ》を生みだす。同盟とはそもそも「敵対勢力に対抗するため」にあるのだし、友情という感情システムは、元来そのために進化したものなのだ。*DeScioli & Kurzban (2011)

噂話ではその場にいない人間が会話の主題になることも多い。悪口(子供とちがって大人はあからさまな害意を隠そうとするけれども、「気に食わない」「ちょっとあの人あわない」等という)はゴシップの評判を悪くする一因だ。仮想敵は仲間の絆を強固にする。

リヴィングストンスミスは、❷の効果について述べている。

"「ここだけの話だけど……」という前置きとともに、人間関係について興味をかきたてるような情報が伝えられると、伝える者と伝えられる者のまわりには目に見えない境界線が生まれ、コミュニティのほかのメンバーを拒絶する世界ができる。" *D. Livinstone-Smith (2004)


ゴシップは他者を〈除外〉する。《われわれ/Us》の感覚は同時に《かれら/Them》の認識を作りだす。ヒトがもつ内集団・外集団バイアスについてはいまさら説明するまでもないだろう。

このようなゴシップの疎外効果は、それに加われなかった人間にとってはつらいものだ。ヒトの脳には仲間はずれ検知システム*が進化的に搭載されており、他者からの排除や拒絶、その兆候に対して敏感に反応する。ヒトが暮らしたアフリカのサバンナという原始的環境では、所属集団から排斥されたヒト個体は被食や飢餓によって早死にしてきたからだ。
*J.Spoor & K.Williams (2007)


仲間はずれ検知システムは集団への再受容を獲得するために働くので、「あなたも仲間に加わりなさい」、あるいは「自分の悪いところを見つめ直しなさい」と心理的・行動的調節を促すが、────オイオイちょっと待ってくれ!!オレはサウナにきているだけだ。なんでサウナで同席しただけの知らん野郎の会話に「ちょっと混ぜてよ」と加わらないといけないのか。

なぜおしゃべりがむかつくのか?もしかしたら、勝手に疎外効果を味わわされてオレたちはイライラしているんじゃないだろうか。



怒りの進化的起源とは動物が噛みつかれたり掴まれて身動きが取れなくなったときに爆発的なエネルギーを放出して逃げおおせるための感情システムだったと言われている。* だから「動きたいのに動けない」時に怒りの弱いバージョンであるイライラは発生するし、「したいことができない」ときにまた別のバージョンである欲求不満が起こる。

*Panksepp & Biven (2012)

それでいえば、「本当は会話に加わりたいと思っているのに加われない」(サウナでの会話にいきなり入ってきたら、なんやコイツ、と思われることは間違いない───日本は見知らぬ人への雑談開放性が低い文化だ)のが、無意識のうちにイライラの原因となっているのかもしれない。他人のおしゃべりにイライラするのは、たいてい自分がぼっちで行動している時と相場は決まっている。

ぼっちの人間が多く棲息している図書館や美術館、通勤中の電車内などは、たしかに会話が禁じられやすい。勝手に疎外感を感じて勝手にイライラして勝手にルールを押し付ける悲しきモンスターたち。

話したいなら、素直にそう言えばいいのに。

ああ、そうだ。オレは確かにあいつらと話してみたかった。あの時一緒におしゃべりできたら、ドラマ『サ道』のような、あだ名で呼び合う謎フレンズになれたのかもな。





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