プレゼントに悩む

先日、贈り物をする機会があった。

こんなご時世なので、現実に会えなくなって久しい。

何を贈ろうか悩む際のもとになる情報は、数年前の情報(記憶)になる。

生活スタイルや好みは変わっているかもしれない。

そんな状況で、贈り物を選ぶのは少々骨が折れる。


私自身、あまり贈り物に慣れていない。

なにかしらプレゼントをいただくのも、プレゼントするのも混乱してしまう。

何かをいただくのだとしたら、「どうして私に?????」と思ってしまうし、プレゼントする際は「私からもらって変に思わないだろうか?????」と思ってしまう。

プレゼントを凄くナチュラルにできる人もいる。尊敬するし素敵だな、と思う。

そういう人は、さらっと贈り物ができるし、凄く自然に受け取れている。


私自身は「申し訳なさ」みたいなのを感じてしまっていて、受け取るにしても渡すにしても「自然」にはできていない。

なんなのだろう。


それでも、プレゼントされたら感謝の気持ちはあるし、プレゼントする時は相手に喜んでもらえるように最善を尽くす。


今回も、最善を尽くした。


まず、なにより悩みまくった。

相手を知り尽くしていれば別だけど、知り尽くしているとは言えないし、しばらくお会いしていない。

過去の思い出を振り返り、喜んでいた顔を思い出そうとする。


どんな贈り物なら喜んでくれるだろうか、自分の中の抽斗を探した。

もちろん、予算というか、費用の面もある。

バカみたいに高額なモノだと相手は恐縮するだろう。


この度は「それなりの金額」で選ぶという難しさもあった。

いくつか候補を挙げた後、私自身が胸を張ってお勧めできるモノを選んだ。

自分自身が好意を持てないモノをプレゼントするのは気持ちよくないし、自分自身が好意を持てないモノで喜ぶような相手なら、その相手との関係は長くは続かないと思ってしまうだろうから。


悩み抜いて選んだ贈り物は、喜んでいただけたようだった。

本当のところは、その相手本人しかわからない。

自分の中で意外だったのは「喜ばれると嬉しい」といった感情があったことだ。


かつては同じシチュエーションでも「自分の仮説通りであった」達成感くらいしか感じていなかった。

「ほらね、嬉しいでしょ?」みたいな感覚だ。嫌なやつだなあ、自分。


「喜ぶ」を共有できていなかったのだろう。

今回は相手の気持ちを共有できていた気がする。

多くの人は当たり前に経験していることかもしれないが、私が実感できたのは今回が初めてかもしれない。

41年の歳を重ね、少しは人らしくなっていっているのかもしれない。


喜んでもらえると嬉しいよね。

だからきっと、こちらも喜んでいるのはもっとストレートに表現していいのかな、と思った。

いいなと思ったら応援しよう!

フクダヨウスケ
記事を読んでいただいて、共感していただけたらサポートをしてくださると嬉しいです。あなたからのサポートを、他の誰かに届けられるよう頑張ります。

この記事が参加している募集