子供は必ずしも本音を言わない。
やりたいことをさせる
子供がやりたいと言っていることをさせる
子供が好きなことをさせる
と話す大人がいる。
それは親子にとって必ずしも幸せな方向に進まない場合がある。
子供は「大人」特に「親」が望んでいることを敏感に感じ取り、親を喜ばせたくて「自分の意思」と見せかけて、大人の願望を叶えようとする一面がある。
そうじゃない場合もあるし、そもそも親子共々自覚できないので見極めは簡単にはいかない。
「やりたい」は本心から?
人は自我が芽生えると、自我が自分自身であると思い始める。
しかし、その自我の中には他人によって作られたものも多く含まれる。
加えて、自分の思い込みの部分も含まれる。
だから、子供が自分だと思っている自我からの発信は、実は周囲の願望を表しているに過ぎない可能性を自覚しておきたい。
本来の自分がやりたいことではなくても、「周りを喜ばせよう」とするために「やりたいことである」と自分に言い聞かせてしまう子供。
周りが喜ぶことを「自分がやりたいこと」だと思い込んで発信、行動してしまう。
そんな状況が生まれている場合がある。
一見、子供の意思に見えることでも、そうじゃないケースも存在するのは覚えておきたい。
これが難しいのは、本当のところどうだったかは、時間が経ってはじめてわかるという部分だ。
親からの呪い
子供のやりたいことを応援する
子供が好きなことをさせる
それは、親から子への呪いになっているかもしれない。
事実、私は呪いにかかっていた自覚がある。
なぜか思春期の頃に気づき、可能な限りを自分で祓っていった。
しかし、幼少の頃の呪いを大人になっても引きずるパターンはある。
子供には、「好きなことを頑張って続ける」ことではなく「やめる自由」を伝えていきたい。
それが成長していった時の防衛になるから。
続けることが素晴らしい
本心から望むものは続けたら良い。続けること自体を否定しない。
それは、大きな能力をつかむことになるだろう。
大人は、大人が思っている以上に子供の意思に影響を与えていることに目を向けよう。
大人が意識していない一言や、態度が、子供の意思を混乱させる。
まあ、混乱するのは良いのだけど。
大人の意思を自分に投影してしまい、子供自身が「なんか違う」と思った時に、軌道修正する自由とチャンスが用意されていることを願う。
長い時間、諦めずに続けたことを賞賛するのと同じくらい、自分の意思に反していたことをすぱっと諦めて違う可能性を探す行動も賞賛されて良いと思うのだ。
やめる勇気
何をやっても続かない。
やりたいことがコロコロ変わって続けられない。
そういう話を耳にする。
人が、特に子供が、何をやっても続かないのは選択肢が少なすぎるからなのかもしれない。
続けられない現状を責めるのではなく、選択肢を用意してあげるといい。
もちろん、「やめる選択」も責めない。
子供時代の呪いを引きずる大人は、自我の支配を強く受けているかもしれないので自分と向き合ってみるといいかも。
本人はそれに気付けないので、適切なコーチングを受けるなどが必要かもしれない。
本音と選択肢
呪いなんていうと大袈裟な印象を与えたかもしれない。
別に病気でも何でもないので、自覚があっても特に気に病む必要はない。
ただ、「止めるタイミング」を見失う人は、自分の首を締めることにもつながり、最終的に苦しい結末を迎えることもある。
続けることは大事なことだけど、続けることが美徳なわけではない。
本心から続けようと思うのかどうか、が重要だ。
本心から続けようと思わないのなら、やめる勇気を持てた方がいい。
そして、本心からやろうと思う何かを見つけ、続けていこう。
それが見つかるまで、途中で投げ出すのは、温かく見守ってあげよう。