医療ではないけど体のことで喜んで欲しい
子供に「何が本職なの?」と聞かれて答えに困ってしまったのだけど、私の仕事の1つにボディケアがある。
私がボディケアを任されている人は70代前後の人が多い。
みなさん、一様に「酷い状況になりたくないから」と予防的意識で取り組んでくれている。
私の考え方が伝わっていて、素直に嬉しい。
医療が発展しているとは言え、どうにもならない状況で医療介入を始めても、どうにもならない。
その状況では医療者側も患者側もやりきれない気持ちになるものだ。
私も病院勤務時代にやりきれない気持ちをたくさん経験したので、「病院でであう前のタイミング」でなんとかできないものかな、と思って私の知識と技術を使ってもらおうと行動に移した。
人の体も自然の理の中で存在していると思っているので、どうにもならないサイクルにはまってしまうと、どうにもならない。
けれど、どうにかなるサイクルのうちに変化を作れると、どうにかなる。
その境界線が、個々によって異なる。
気付けるタイミングもバラバラ。
だから、定期的に体と意識のチェックが必要になる。
「歳だからしょうがない」と諦めの台詞が一般的に使われる場面もあるけれど、本当にしょうがないものもあれば、全然そんなことないものもある。
「歳だから痛いのは仕方がない。」
「歳だから動きが悪いのは仕方がない。」
そんな意識になりがちな年齢でも、体の状態が改善できている人もいるし、良い状態をキープできている人もいる。
取り組み方と意識と情報次第なのだ。
旅行に行った後、突然膝が痛くなって正座ができなくなった人がいた。
私は「医療機関に行くべきタイミングと症状」を伝えて、セルフケアの方法を伝えて、定期的に相談に乗っていた。もちろん手で施術も行なった。
自宅内でも杖をついて移動するくらいの痛みがあったようだけど、痛みが落ち着いて、正座が再びできるようになった。
その人は周囲の人に驚かれたらしい。
「ちゃんと、やるべきことをやっていれば、良くなるのよ、って皆に言ったのよ。」
後日、そんなふうに教えてくれた。
しゃがめなくて困る、という悩みを相談された人もいた。
年齢的に考えたら変形性膝関節症と診断されて、湿布と飲み薬が渡され、体重を落としましょうと言われ、太ももの筋トレとかを教わるのだろうなあ。
それは診療ガイドラインに載るくらいの標準的な対応なので、何も間違ってはいない。
ただ、その対応では十分でない人もいる。
その対応に「何が、どういう理由で、どうなって、どんな状況になっていて、放っておくとどうなって、解決策にはどんなことがあるか」を加えて、自分自身に矢印を向けてもらう必要が出て来る。
湿布と薬をもらうだけだと自分に矢印が向かないものなのだ。管理されてる感覚なので。
その人は整形外科を受診するほどでもない、と自分で判断されたようだった。
私から見ても急いで受診しないといけない状況ではなかった。
体のチェックをして、自己管理の方法を伝えて、定期的に相談に乗っていた。先ほどと同様に「受診すべき条件」も伝えた。
痛みなくしゃがめるようになった。
「この歳でもよくなるものなんですね」
その人は驚いて、喜んでいた。
良くなるも何も、悪くなる手前で舵を切れていただけじゃないかな、と思う。
怪しい雲行きの時に、晴れ間の指す方向に行けるか、暗やみに突っ込んでいってしまうか、そのターニングポイントに気付けない場合が多いし、暗やみに突っ込んでいく人がいるってだけの話だと思う。
知識と情報と少しの技術を持っている私は、ただのガイド役だ。
ガイドに沿って進むかどうかを決めるのは本人の意思。
決定するための情報は可能な限り渡す。
苦労する道を進みたがる人もいる。
それはそれ、と思っている。
ガイドなしで進みたがる人もいる。
それはそれ、と思っている。
ただ、困った時は頼ってもらえるように準備はしている。聞くだけ聞いて、自分の足で進まない人も、そのうち嵐に巻き込まれて大変な思いをすることになる。
大事なのは自分で決めて、自分の足で進むことなんだと思う。
年齢だけで向かう先が決まるわけではない。それを皆さんから教わっている。
むしろ、若い人には伝わらない話でもある。
無理が利く年齢なので。
最近、良く見聞きするようになった持続可能性とか多様性という言葉。自分の持てる知識と技術でどんなことができるか、考え始めている。
周りの人が医療インフラを無駄遣いしないように元気に過ごせていたら、持続可能性に一役買っているのかな、とか思ったりしている。
医療自体が「持続」に向かうだろうし、医療が持続したら地域の住民は生活を安心して送ることができる。
私がやっていることは医療ではない。でも、医療を機能させたくて行動している。
もうちょっと勉強しないとかな・・