山行記その2蝶ヶ岳〜そして私は蝶になり、夢の中へ飛んでゆくわ
随分と早い梅雨明け。
短い雨季の間、やまなみは雲に隠れ、雨が降るたびに雪解けが進む。次に青空のもと顔を見せたときには、残雪はだいぶその姿を消している。
蝶の形に雪形が残るから、蝶ヶ岳なのだそうだけど、麓からその蝶を見たのは4月のことだったろうか。
ああそうか、もう7月だ。
山道を登っていると、時々思う。
自らの意思とはいえ、なんでこんなにつらい思いをして山なんか登っているのだろう。どうせいつかは高いところに上るのだから、今からこんなに焦って登らなくても。休日の午前からリビングに寝転がって大リーグの中継でも見ていれば余程快適だろうに。
登山や旅を人生に例えるのは随分と使い古されたやり方だけど、やっぱりそう思う。
なんだか理由もないけど、つらいときはつらい。
なんだか理由もないけど、嬉しい時はただ嬉しい。
そもそも生きるのに道理なんてないので、自分で選べないことと自分で選んだことが、待ったなしで迫り、ちぎっては投げ、いつか終わる。
登山でも人生でも、坂道を登っているときは大概つらいものである。
いままで見たことがないものを見に行く。
それも目的だけど、いつもうまくいくとは限らない。
その衝動を、行動に移すことのできる人生を幸せと思う。誰だってそうできるわけでもない。
登ってみなければ、見られない景色がある。
やってみなければ、分からないことがある。
五十の手習いが教えてくれるのは、高いところへの上り方だけではないみたいだ。
久々のテント泊は、雷雨あり、絶景あり、ブヨの大群に刺されまくったりととても変化に富んだ実りあるものになりました。ご来光を拝んだ後は残念ながらまた雨となり天気予報も良くなかったので、常念岳への縦走を予定していたのですが変更して下山することにしました。いつかまたトライしてみたいものです。
さて次回からは30年振り(正確には29年振り)の穂高に挑戦してみます。中年の空回りな気合いが通用するのか、それともあえなく敗れ去るのか、それは僕にも分かりません。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
(あ、タイトルは夢想花から頂きました)