M&A後のスタートアップに起こったこと。 資金枯渇、組織崩壊を乗り越えて、さらなる成長を掴むまでの5年半 -前編
M&A後のスタートアップについて語られることは多くない。
スタートアップとしての物語はM&Aで終わりを迎え、そこからは子会社としての物語が始まる。
スタートアップでは無くなった小さな会社は、言わば「中小企業」でありメディアへの露出が途端に少なくなる。
露出が減っても人知れず成長を続けている会社もあると思うが、残念ながら数年後にサービスがクローズしたり、会社が無くなったりという記事を見かけることも多い。
もちろん会社が無くなったら失敗で、残っていれば成功という訳ではないし、親会社の役員になるなど別の形での貢献もあるだろう。
しかし、数十億円で売却したのに1年後に無くなったとか、うまく行かなかった事例ばかりがどうしても目立ってしまう。
正直に言うと、私が創業したコードキャンプも今から5年半前に上場企業の子会社となったが、その2年後には会社として存続の危機に瀕していた。
そのまま一つの失敗事例となる可能性は大いにあったが、どうにか危機を乗り越えてさらなる成長を掴むことができた。
もちろん、まだ成功事例と呼ぶには早すぎて、ここからが本当の勝負という段階。
ただ、M&Aや大型資金調達の後に成長の踊り場を迎えた時、どうやってその試練を乗り越えるべきか、参考になる点が少しはあるのではないかと考え、この記事を書くことにした。
M&A後のスタートアップの物語として、ご笑覧ください。
M&Aの決断
コードキャンプは2015年8月に上場企業の子会社となった。
まだ創業3年目、サービス開始からは2年も経っていないという段階で、実はM&Aという選択肢は頭に無かった。
ただ、ちょうど資金調達でVC回りをしていた時であり、投資検討したいという話を今の親会社からもらった。
途中まではマイナー出資ということで検討が進んでいたが、最終的に先方からマジョリティ出資、つまりはM&Aというオファーを受けた。
実はその時点で出資の意思決定をしてくれていたVCも複数あり、当初の想定通りVCからの調達を行うか、あるいは事業会社の子会社となるか、大いに頭を悩ませた。
2015年当時は数億円とかの資金調達は今ほど多くなく、出資決定していた額はまだ目標の調達額には届いていなかった。
特にコードキャンプが属するEdtechというカテゴリーは、先駆けて上場した企業の時価総額が低かったのもあり、Edtechは厳しいという空気もあった。(今では、その会社の時価総額は大きく上昇している。)
そのような背景もあり、やや資金調達には苦戦していた。
とはいえ目標額の80%くらいは決定していたので、もう少し粘ることもできたがVCからの評価があまり高くないこともあり、仮に今回の資金調達は乗り切れても次はどうなる?という不安もあった。
一方、事業会社からの提案はマジョリティでの出資のため出資額も大きく、また子会社化した後もIPOを目指そうという話だったので、業界No.1の地位を早期に確立するための手段として子会社化することを決めた。
M&Aがもたらした変化
ただ、子会社になった際に意識していたのは、「子会社感」を出さないことだった。
創業3年目の会社にとって必要な人材は「上場企業の子会社」として入社してくれる人ではなく、「スタートアップ」として入社してくれる人。
オフィスは親会社と別で構え、人材も全て自社で採用を行い、親会社の人が常勤で入ることもなかった。
加えて、子会社だからといって安定成長を目指すのではなく、これまで通り急拡大を目指すという方針を維持していた。
もちろん上場企業のグループに入ったことで、特に管理部門では経理、労務、法務面などで様々な対応が必要だった。
ただ、当時の管理部門は自分が全ての業務を行っていたので、メンバーにとって子会社化したという実感はほとんど無かったかもしれない。
これらの方針が良かったか悪かったか、今となっては何とも言えない部分があるが、少なくとも当時はこの方が良いという判断だった。
あれ、思ったより伸びないな・・
子会社する直前の2015年前半、事業は急成長していた。毎月ドンドン売上が伸びていき、半年で月商がそれまでの5倍になっていた。
さらに子会社化の際に大きな増資も行っていたので、益々成長できると考えていたが簡単にはいかない。
子会社化で退職したメンバーは一人もおらず、モチベーションが低下しているということも無かったが、それまでのように面白いほど伸びていくという感じではなかった。
もちろん半年ごとに5倍になっていたら1年で25倍なので、そんなうまい話はない笑。
ただ、子会社化した後の方が使えるお金もリソースも増えたのに「成長が鈍化している」という事実に強い危機感があった。
打開策として新規事業を企画
創業から3年間は「CodeCamp」というオンラインプログラミングスクールの1事業のみを行っていた。
子会社した翌年の2016年に入り、引き続き既存事業は伸びていたものの、思い描いていた成長曲線には届いていなかった。
この状況を何とか打破しなくてはと考え、出した結論は新規事業を行うことだった。
既存事業の成長率が年2倍だとしても、新規事業を二つ行うことで会社としては年4倍の成長を狙おうというもの。
今考えるとかなり乱暴な戦略だが笑、当時はいけると思っていた。
新規事業としてエンジニア転職に特化し教育と転職支援を行う「CodeIncubate」というプログラムと、非エンジニア向けにテクノロジー教育を行う「Torikaji」というプログラムを立ち上げることになった。
また、ちょうど当時は社員数が30名近くまで増えていたため、経営者が全ての意思決定を行うのではなく、中間管理職を置いた体制にすべきという話になった。
そこで既存事業と新規事業それぞれに「事業部長」というポジションを設け、陣頭指揮を任せることにした。
組織の混乱と苦戦する新事業
一旦、事業部長に任せるという方針になったものの、当時の経営陣は自分も含め任せることに慣れていない笑
ずっとプレイングマネージャーとして先頭を走ってきたし、まだまだ若いので経営というよりは事業をやりたい。
結果として事業部長と管掌役員のダブルリーダー的な形となり、事業部長はやりにくかっただろう。
こういうのを「クソジーコ問題」と言うらしいが、まさにこんな状態だった笑
また、事業部長に指名されたメンバーも全員がマネジメントに長けていたわけではなく、主にプレイヤーとしての有能さで選ばれた人だった。
よく聞く「30人の壁」かもしれないが、組織体制の移行がうまく進まず、メンバーからは不満も散見していた。
創業メンバーはやはり会社を創業したという事実から、メンバーからは特別視されている。なので失敗も許されやすい。
ただ、事業部長になると話が違う。特に次々と新しい人が入ってくる会社では、それまでの人間関係の蓄積もないので、まだ信頼関係が構築されていなかったのだろう。
本来であれば、創業メンバーは事業部長を全力で守る立場で援護射撃を行うべきだが、「自分の方がうまくやれる」というのがあるので笑、じゃあ自分がやるかとなってしまったり・・。
ただでさえ新規事業というのは難しい。
既存事業も創業メンバー全員が数年フルコミットして何とか立ち上がったものなので、それを事業部長が数名の部下と一緒に立ち上げるのは至難の技だ。
むしろ難しい、成果が出にくいという意味では、創業メンバーこそ新規事業に注力すべきだったのかもしれないが、中途半端に経営と現場執行の分離を行ってしまっていた。
社内では裏でも表でも個人攻撃、批判、悪口が増えており、「誰が仕事できない」とか「誰々の言うことは聞くな」とか、そういう言葉が蔓延していた。
当時は事業部制となっていたこともあり、他の部門について批判したりというのが当たり前になっていた。
ただ、その批判は全て的外れというわけではなく当たっている部分もあるので、案外対処が難しい・・。
こういう状況になると、なぜか事業と関係ないところでもトラブルが増える。社員のプライベートでも色んな問題が起きたりして、結構なカオス状態だった。
しかし当時は「成長が全てを癒す」という言葉を信じて、組織の課題に向き合うというよりは、事業成長すれば解決するだろうと考えていた部分もあった。
あっという間に消える資金
2016年の後半に新規事業を二つ立ち上げて、2017年には3事業(既存事業を個人向けと法人向けで分けていたので、正確に言えば4事業)体制になっていた。
全ての事業が急拡大を目指すという方針のため、人と金が必要になる。「採用こそ社長の仕事」という言葉の通り、当時の自分は採用にかなり時間を割いていた。
結果として採用は順調に進んでいた。ドンドン人が増えていく。しかし事業成長の方はあまり順調ではなかった。
とはいえ前年比で見ると50%くらいは伸びている。ただ、目標は全社で4倍なので目標対比だと半分以下ということになる。
でも人の採用は進んでいるし、広告費も増やしている。だから赤字が益々膨らんでいく。
でも赤字だからといって広告費を減らしたり、採用を止めたりはできない。まだ新規事業を始めて1年も経過していないのだから、ここで止めるわけにはいかない。
しかし2017年も半年が過ぎようとしていた頃、さすが赤字が膨らみすぎて、資金の枯渇が現実的になってきた。
スタートアップのままであれば、計画と乖離はあるものの成長は継続しているので、さらなる増資で戦いを続けるという方法もあったかもしれない。
しかし子会社化している以上、増資という手段は基本的には無い。資金調達の方法は親会社からの借入となる。
そこで親会社に対して借入を打診したのだが、年内には売上を4倍にして黒字化すると宣言していたこともあり、赤字が拡大し続ける状況に対して批判が集中した。
当時、同じグループの別の子会社が業績不振により事業から撤退する事態に陥っていた。それもあってか、赤字を出し続ける子会社に対する目が一層シビアになっていた。
そんな状況の中ではあったが、ラストチャンスということで何とか借入を行うことができた。
ただ、借入できた金額は当時の赤字額のままでは3ヶ月も持たない金額であり、この金額で黒字化できなければ、経営陣のクビが切られるというところまで追い込まれていた。
こういう状況になった以上、今までのような拡大路線を進み続けることはできない。3ヶ月以内に黒字化しないとそこで終わってしまう。
徹底的なコストカットとその代償
3ヶ月以内の黒字化という命題のため、大幅なコストカット計画を作り始めた。
コードキャンプのようなwebサービス企業では、売上原価を除くとその費用はほとんど広告費と人件費である。
広告費も半分以下にし、その他の費用も千円単位で削っていったが、それだけでは黒字化は難しい。やはり人件費に手をつけるしかない。
業務委託やアルバイトという形で勤務していた方の多くには契約終了してもらったが、それでも全然足りない。。
黒字化するには当時いた従業員40名を半分にするか、給与を一律カットするかくらいしか選択肢が残されていなかった。
経営陣の議論では、半分の社員に退職を打診しようという方向になりかけたこともあったが、最終的には給与の一律カットを決断した。
給与を一律カットすることが退職を促すことも予想できたが、それでもせっかく入社してくれたメンバーに本人の意思とは関係なく退職してもらうことに強い抵抗があった。
仮に給与が減っても自らの意思で残りたいと思ってくれるメンバーには残って欲しいという考えから、一律の給与カットを選んだ。
職責の重い順に給与の減額を行い、代表である自分は無報酬にして取締役は50%カット、事業部長やメンバーはその職責に応じた減額とした。
その結果として結局は大量退職を招いてしまい、3ヶ月後には従業員は半分以下になっていた。
こちらから打診するしないに関わらず、結果は同じだったということかもしれない。
ただ当初の予想と異なっていたのは社歴が長いメンバーや職責が重いメンバーの退職が多く、直近入社したメンバーはあまり退職しなかったことだ。
入社してすぐに転職したら職歴が傷つくということもあったのかもしれないが、どこかで変化を望んでいた部分もあったのだろうか。
実際に2016年後半くらいから組織の不協和が目立ち始めており、2017年に入社した人からすれば、この変化を少しはポジティブに捉えていた可能性もある。
一方、それまで社内の経営会議に出席していた取締役、事業部長は全員退職することになった。管理職が自分以外いなくなってしまった。
それらのメンバーとはこの危機をどう乗り超えるかという議論を重ねていたので、それでも退職するということは自分への不信任、もう復活は無理だという意見をもらっている気がして、自分の心にも突き刺さるものがあった。
ただ、今になって考えると仮に復活が可能だとしても、しばらくは黒字化優先モードになるし、彼らが望んでいたような急成長スタートアップ路線を歩むことはできなくなった。
それなら他で頑張ろうと思うのは至極真っ当な考えだし、実際彼らとは今でも交流が続いているので、決してコードキャンプを嫌いになったから辞めたわけでない(と信じたい笑)。
それに家族の生活だってある。自分の意地で家族を困らせるわけにはいかないだろうし、給与がいつ戻るかも分からない状況で続けるのは難しかったと思う。
自分にとっては会社が倒産しそうなことよりも、メンバーが我先にと辞めていく方が辛かった。
そもそも成功を確信して起業しているわけではないので、会社が潰れるという可能性は常に頭にあった。なので、それ自体はそうなったかという結果に過ぎない。
しかし人が次々に離れていく、むしろ辞めていく人達が晴れやかな顔になっていく光景は何とも言えないものがある。
そんな環境を作ってしまった原因は全て自分にあるのだが、この頃の自分は原因不明の頭痛、胃痛、どうきに悩まれており笑、かなりダメージを負っていた。
ただ自分が作った会社なので、最後の一人になったとしても結末を見届ける義務がある。とにかく会社を生き残らせる方策を考えていた。
3ヶ月での単月黒字化を達成
大量退職の結果として、固定費は半分くらいになった。
そして広告費も半分以下になったにも関わらず、既存事業であるプログラミングスクールの売上は伸びていた。
使えるお金が限られている分、選択と集中が進んだ結果かもしれないし、たまたまそういう時期だったのかもしれない。
とにかく売上も伸びてコストも大きく減ったことで、2017年10月には単月黒字化を達成した。
2017年8月に借入を実行し、まさに3ヶ月以内の黒字化だった。
これを美談として語るには失ったものが多すぎたが、とにかく会社としては生き残ることができた。
黒字化という事実自体は喜ばしいものではあったが、その主たる要因が社員の大量退職だと考えると、決して晴れやかな気持ちにはなれなかった。
思ったよりも長くなってしまったので、記事を二つに分けます笑
後編はこちらからご覧ください。