グレーな自分を白でもなく、黒でもないグレーとして受け入れてくれる仲間。 僕はフィリピンにある児童養護施設を支援する団体「パラサイヨ」に所属している。パラサイヨは現地の言葉で”あなたのために”(For You"を意味する言葉だ。 そこでは年齢、仕事や役職など関係なくフラットな関係性が文化として根付いている。 5年目でも二ヶ月目でもいい意見は通り、そうでないもの消えていく。 そこでは僕はSteveでいられる。 当たり前のことなのかもしれないが、それまではあまりできなかった事
長崎県の五島列島小値賀にある島宿御縁ではヘルパーさんを募集しています。(多分今も)以前は外国人が多かったようですが、このご時世ですからね。 オーナーさんに聴覚障害者も参加可能か聞いたところ、そんなこと考えもしなかったが、新しいことにチャレンジすることは楽しいことなので、ぜひ前向きに受け入れを検討したいとのことでした。 もちろんオーナーさんも宿のスタッフも手話はできないので、筆談とかになると思うが興味がある人はチャレンジしてみては? さて、僕は昨年そこの宿にお邪魔しました。
今回は自分がやりたいアカデミックプログラムに関して書いてみました。 まずはこちらから(こんなことがやりたい!) プロフィールにも書いていますが、現在求職中です。厳密にはフリーランスになるべく勉強中かな。 何を勉強しているか? 現在は手話、NLP、コーチングの勉強しています。どれも以前ちょっとしらぺたり、やっていましたがお金をもらえるほどのレベルでは無い。 なぜそれらをやっているかはこちらに少し書いているので、興味があれば参照ください。 Noteを始めた理由 ー
昨年からお家時間も増えたこともあり、テレビだけではなく定額制動画配信サービスを利用している人が多いと思う。 ご多分にもれず僕もNetflixユーザーで主にアメリカの捜査系ドラマをみては 寝不足な日々を過ごしています。 特にMetalist, Criminal Minds, Blacklistとあげるときりがないですね。 今回はアメリカドラマの話ではなく、昨年ぐらいから思っている疑問、 アメリカのBET(Black Entertainment Television)みたいな
もう、フィリピンを出国して1年が経とうとしている。って事は一年子供達に会っていない事になる。 昨年の3月、休暇+半分仕事でポルトガルに。コロナは話題にはなっていたし、ロックダウンって単語も耳にはしていたが、流石に一週間で何かとアクションの遅いフィリピン政府が動きだすとは思わず出国。 それが自分の人生を大きく変える判断になったが、その時はそんな事を知る由もない。 そもそも、なぜ海外で生活していたのか?正直、日本で生活する理由が思い当たらなかったのが一つあるかもしれない。
今回、自分がやりたいことを仕事しようと思ったきっかけのお話です。 本題に入る前にちょうど去年3月の話から。 昨年の3月に休暇もかねてポルトガルに、しがし到着した翌日に当時住んでいたフィリピンがロックダウンで帰国できないことに。 そこで日本に帰国してもよかったのですが、特にどこからでも仕事はできるしわざわざ日本に帰る必要もなかったのでビザが切れるまでの三ヶ月半を ポルトガルのリスボンで生活することにしました。 ビザも切れ、他のヨーロッパへの入国も厳しかったので結局は7月に
小さい頃から目立つのが嫌いだった。評価されるのも苦手。結果、自己表現をすることをやめてしまった。おそらく僕ら世代がハーフでいじめられる最後の世代ではないだろうか? もちろん、今もいじめや差別はあるが結構露骨にいじめられたのは僕らぐらいまででそれ以降は市民権を得ているように思う。 もちろん、人種と国籍が関係ないと多くの人が気がつくにはまだ時間を要すると思うが、それは長くなるので別の機会で。 そんなこともあって、目立つのは苦手だった。目立つ=いじめられるとすり込まれたのかもしれ
自己紹介?48年(もうすぐ49年)も生きてると、自己紹介もついついたくさん書きたくてなって長くなりそうなので、今回はシンプルバージョン。 生まれも育ちも日本です。父がアメリカ人、母が日本人で英語も多少は話しますが幼少期は母方の祖母と過ごすことが多く中身や考え方は古く見た目以外での外人要素は薄いです。 アイデンティティ的には 40% 日本人 20% アメリカ人 40% ハーフ ってところでしょうか。もしかしたら最近はアメリカ人の割合がハーフに移行しているかもしれません。