虐待を受けて生きる

私は家庭崩壊した中で育ったため、幼少期から両親が毎日怒鳴り合う姿を見て育ちました。
以下の内容は、虐待を受けた内容を含みます。




私は千葉県の松戸市で育ったのですか、K澤という市内では数家庭あるかないかという苗字で、私は今まで1人しか同じ苗字の人に出会った事はありません。
父(以後M男)、母(以後S子)、妹(以後K子)、祖父母という家庭で小学生のころから暮らすようになりました。
母方の祖父母が同居を申し込み、市内の別のマンションに住んでいた両親と私達子供が同居のため祖父母の家へ引っ越してきました。
元々口論が耐えなかった両親は、祖母は母S子と毎日夕方に怒鳴り合い、父M男が帰宅すればまた怒鳴り合う、そんな日常で、外面だけいいM男はいつしか母が見ていない時私の頭を殴るようになりました。
体だとアザなどが残るので頭だったのでしょう。
「お前は黙って殴られてればいいんだ」、「お前は何をやってもダメだ」が口癖でした。
殴られる理由は「S子がはい、と俺の言う事を聞かない」という理由でした。
あまりにも殴られるので、S子に殴られていると話すと、「やられたらやりかえせばいいじゃない」と言って激怒されました。
小学3、4年生がどうやって年配とはいえ男性に殴り返せというのでしょうか。
S子は私が大嫌いな父M男と祖母にそっくりだと嫌がり、M男は大嫌いなS子と祖母に似ているから大嫌いだと言い、
祖母はS子とM男に似ているから大嫌いだといい、日常的にゴミを見るような目で私を見ていました。
S子からは、物置に閉じ込められたり、帰宅時間が10分遅れたという理由っ冬に外に数時間出されたり、友達から来た手紙を勝手に開封したり、片付けをするとゴミの中から「これはまだ使えるからすてるな」と拾われました。
M男の虐待は怒鳴るだけでなく、頭を殴るので離婚して欲しいと頼みましたがS子は「離婚はしない」と一蹴され、高校生の時には窓を全開にした車の中でいかに私がダメな人間かを怒鳴っていた所を学校の友達に見られ、とても心配されました。
毎日怒鳴られてるから平気、と言ったものの、自然と距離を置くようになりました。
蹴飛ばされ肋骨が折れたのも高校生の頃です。
S子は、私が太っているからという理由で大好きだったバレエはやめさせられ、妹だけ通えるような状態で、「あんたはデブだからスカートはやめなさい」と言えば、M男が「そうだそうだ」というような子供時代でした。
妹は高校生になると暴れたり外で問題を起こすようになり、「あいつは暴れるからダメだ。お前をその分殴ってやる」と言われました。
実際は殴る力が強くなり回数も倍くらいに増えました。
K子はK子で窃盗で何度も捕まったり丸井から督促の電話が毎日かかってくるほど買い物に狂い、おそらく自己破産したと思います。
タトゥーを入れては消すためにお金が必要になり、というような大人になり、当然精神の病気を複数持っていた状態で、現在も定職にはついていないようです。
女王様でいないと問題を起こす。
なんでこんなのが妹なのかと情けなくなります。
犯歴がかなりあるのにクレプトマニアの治療はしたくないと入院もせず窃盗を繰り返す実家に住む子供部屋おばさんです。
自分がいつも脚光を浴びていないと問題を起こすのでしょう。
S子に似てプライドが異常に高くすぐにキレるのでまともな話は出来ないので立ち直る事はおそらく無理ではないかと思います。

私は1900円の洋服を買っても叱られるのに、妹は数十万するバッグを持っても何も言われません。
私と妹をなぜ区別して育てたか。
ある日聞いてみました。
すると、
「あんなのがふたりもいたら私の子育てが失敗したと思われるじゃない!!」と叫びました。
ああ、あなたの見栄のためね。
この時心のもやが晴れました。

祖父母の介護も、実際は胃ろうはしたくない、自然と死にたいという祖父の声を無視し、無理やり胃ろうをし、口腔ケアを嫌がれば怒って行ってしまうので、どれだけおじいちゃんを大切に思っているか。必要だから協力して欲しい、と頼み込むのが私の役割でした。
祖父はずっとこのままお迎えが来て欲しいと話しており、それを椅子に座って何時間も聞いていました。
それをS子に伝えても私が嫌だからという理由で拒絶されました。

祖母の介護はリハビリなどは一切はやらず放置するので私がやっていました。
夜中騒いでしまうので、そばにいるのも私の役目でした。
ですがS子はヘルパーさん達がみえる時は私を別の部屋にやり、さも自分がひとりで介護しているかのように振る舞い、私の存在は隠されたままでした。
よくやっていますね、と言われてへらへらとしていました。

愛犬も私にしつけろと命令し、あれこれ試行錯誤しようやく私と信頼関係が築けるようになると、あんたにしか懐いていないと文句を言い出し、散歩や動物病院など人目につく事だけS子がやり、ブラッシングやシャンプー、爪切りや歯磨きなどのケアは全て私がやっていました。
命令して欲しいものだけ必ず手に入れる。私はこういう人間が大嫌いです。

親ガチャという言葉なありますが、わたしはハズレを引いたと思っています。
欲しいもの、自分の決めた事の為には子供さえ犠牲にしてでも手に入れる。
私は親ガチャという言葉は日頃は使いませんが、さっさと死んでくれと願うばかりです。
ですが、囚われの身から解放されるまで生きられたので、これからの人生は天涯孤独として生きていけると思うと本当に気が楽です。
生き延びられさえすれば、自分の生き方ができる。
たとえこころの病を抱えながらでも、決別できれば人生は違ってくる。
明日も太陽の光が浴びられますように。

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