わたしのふるさと㉑~東京都世田谷区編~
猫に招かれて…
身近な場所ほど知らない。
そんな経験ありませんか?
私は以前、猛暑の中、友人とスマホ片手に世田谷区を歩き回るという、苦行みたいなことをしたことがあります。
その時初めて、自身の「ふるさと」に沢山の「歴史」が詰まっていることを知りました。
「歴史」なんて、自分には関係ない。その考えが180度変わった瞬間でした。
今回は、私の「ふるさと」である東京都世田谷区を、豪徳寺にフォーカスをおいて紹介していきたいと思います。
<井伊の赤備え、赤鬼と猫の出会い>
さて、豪徳寺と聞いた時、皆さんは何を思い浮かべますか?
…そもそも知らない。そんな方もいるかもしれません。
でも大丈夫。
この記事を読み終えた暁には、豪徳寺の魅力に取り憑かれているはずです…!
豪徳寺は約540年前に建てられた、歴史深く、趣ある寺院です。
皆さんご存知、彦根藩主・井伊家の江戸時代における菩提寺で、文化財も多く所蔵されています。
一歩踏み出すと、日常から駆け離れた静寂な歴史の重みに圧倒されます。
井伊と豪徳寺の出会いは一匹の猫でした。
鷹狩り帰りの井伊直孝をまるで「おいでおいで」をするように、お寺へ招いたのです。
猫の可愛さには、さすがの殿様も勝てなかったのでしょう。
ふらっと立ち寄ることに。
お寺で一休みしていると、突然雷雨が始まりました。
まるで、雷雨を避けるために、豪徳寺にたどり着いたよう…
一匹の猫が招いた幸運に、直孝は感極まったとのこと。
後に、豪徳寺では猫を「招福猫児」と呼ばれるようになり、沢山の招き猫が置かれるようになりました。
ありえんほどの量に、初見は誰もがびっくり。
訪れた時、ちょうどいらした観光客の方と思わず笑い合ってしまいました。
猫好き(招き猫好き?)にはたまらん、猫の魅力で溢れた豪徳寺ですね。
<天正に消えゆく城>
ここで余談ですが、豪徳寺の土地にかつて存在した城・世田谷城について紹介しようと思います。
世田谷城は、吉良氏が築き上げたお城です。
シンボルとなる天守閣はなかったそうですが、それでもさすがは武将。
土塁や堀は深く強く築かれており、今でも「世田谷城跡」として、その痕跡は見ることができます。
しかし、天正18年、豊臣秀吉の小田原征伐によって、落ち果ててしまいました。
まさか自分の「ふるさと」に豊臣秀吉も関わっていたとは、驚き。
その後、お城の中心地は豪徳寺の境内へと変化していきました。
<皆さんの「ふるさと」も?>
豪徳寺、いかがでしたか?
世田谷区をかなりピンポイントに紹介させていただきました。
思いの外の深い歴史に驚きですよね。
私たちが日頃歩いている道は、誰かが歩んできた道でもあって、
それは何十年、何百年、いや何千年と続いているものです。
教科書に載ってもいない私の「ふるさと」なんて…。
そう思いがちかもしれません。
でも、実際に掘り下げてみると、太い長い巻物が出てくるかも。
皆さんの「ふるさと」の歴史。
私の記事が、皆さん自身の「ふるさと」を知るきっかけになったら幸いです。
参考文献
・豪徳寺, 公式サイト, https://gotokuji.jp , 2023.7.16参照
・2<中世の世田谷>世田谷城とは?, 世田谷デジタルミュージアム, ジュニア講座, https://setagayadigitalmuseum.jp/junior/380/detail/ , 2021.3.16, 2023.7.16参照